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モールの影

君は最後の得意先を回った後、事務所には戻らず、自宅へ直帰するために営業車を走らせている。
もう総走行距離が10万キロを過ぎている白い小型のセダンだ。
営業車なのでCDプレイヤーもテレビもついておらず、君はFMラジオを聴きながら、煙草に火をつけた。
道路の前方で工事が行われているらしく、二車線の道路は渋滞している。
車列はいつのまにか止まっている。

君はガラスを十センチほど下ろして煙草の煙を外へ吐き出しつつ、ブレーキペダルから足を浮かせて惰性で前の車との車間距離を詰めた。
時刻は午後六時半。
ただでさえ家路を辿る車で最も道路が混雑しそうな時間帯だ。
自宅まで後五キロほどで、空いていれば十五分かからずに着きそうだが、この調子ではいつになるのやら、と君は溜息を漏らした。
まだ水曜で週末は遠く、なんとなくうんざりとした気分になってくる。

やがて、どうにか工事区間を抜けた。
すると、まるでそれまで押さえつけられていた鬱憤を晴らすように、車の流れが急に速くなった。
君はその流れに乗り、車を走らせていく。

前方に、巨大なショッピングモールが見えてきた。
横に長い巨大な建物だ。
その建物はライトアップされていて、まるで漆黒の夜の海に浮かぶ航空母艦のように見える。
君はそれを見て、どうせこのまま一人暮らしの家に帰ってもろくに食い物もないし、モールに寄って食事をしていこう、と思った。
ついでに書店やCDショップなどを覗いて、夜の時間の暇つぶしのためのものを物色してみてもいい。
どのみち家へ帰ったって、することなどないのだ。
そんなことを考えながら、君はモールの広い駐車場へと続くアプローチ・レーンに車を乗り入れた。

さすがに週末のように駐車場が混み合っていることはなく、君は自走式の立体駐車場に入ると、そのまま五階まで上がり、店舗への入り口に近いスペースに車を止めた。
低層階のスペースは適度に車が埋まっていたが、五階まで上がると、空いたロットが目立った。
君はブリーフケースを持って車から降りると、店舗棟へと歩きながら、どこで何を食べようか、と考えた。
レストランのフロアで店を探すか、それともフードコートにするか。
財布の中身を考えるとフードコートのほうが身の丈に合っている気がした。
とはいえ、レストラン街でも、ラーメンとかの店なら千円でセットが食べられる。
君は迷った挙げ句、モールに入ると、レストランフロアへ向かった。
昼食が適当だったので、極度に腹が減っていて、ラーメンとチャーハンと餃子のセットを食べることにした。
気に入ってもう何度となく食べている店があり、そこなら外れがないからだ。
味も良いし、何よりラーメンとチャーハンがレギュラーサイズでそれに餃子が五個ついて980円とお得なのだ。

目的のラーメン店へ行き、自販機で食券を買って暖簾を潜ると、「いらっしゃいませー」という複数の威勢の良い声に迎えられた。
店内は、ウィークデイだからか、夕食時のわりに空いていた。
混んでいると、オヒトリサマは大抵カウンター席へ通されるが、客が数組しかいなかったからか、どちらにするかと訊かれることもなく、君はアルバイトらしき若い女の子の店員にボックス席へと案内された。
君としても、カウンターよりはやはりボックスの方が落ち着くから、それは好都合だった。
その女の子が水を持ってきて、食券を半分千切って厨房へ向かい、オーダーを通した。
君はその声を聞きながら、水を一口飲んだ。

ラーメンとチャーハンと餃子を綺麗に平らげると、君は店を出て、ひとまずエスカレーターで一階へ下り、フードコートにあるマクドナルドへ向かった。
満腹になったら、無性にコーヒーが飲みたくなったのだ。
モール内には全世界的にチェーン展開しているカフェから喫茶店までコーヒーを飲める店はいくつもあるのだが、マクドナルドが最もお値打ちだ。
値段が安い点もポイントが高いが、フードコートのテーブルなら一欠片の気取りも必要なく、その気楽さが君は好みだった。

マクドナルドでコーヒーを買い、君は広いフードコート内を見渡して空席を探した。
といっても、席はかなり空いていた。
土曜や日曜の昼などに来ると殆どのテーブルが埋まっていたりするのだが、水曜の午後七時半前という時間帯では、空席の方が目立った。
君は左手でブリーフケースを提げ、右手にコーヒーのカップを持ちながらテーブルの間を進み、空いている席についた。

君がそのテーブルを選んだ理由は簡単だ。
斜め向かいのテーブルに女子高生がひとりでいて、ジュースのコップをテーブルに置いて携帯を弄っていたからだ。
金髪の女子高生だ。
その女の子は、制服の上から派手なショッキングピンクのパーカを着て、セーラーの襟だけを出している。
パーカの裾が極度に短いスカートを殆ど隠しているため、セーラーの襟がなければ制服とはわからない。
女の子はテーブルの横に投げ出した脚を組み、携帯の画面に視線を落としながら、ひたすらボタンを押しているが、むっちりとした太腿の量感がなんとも絶妙で、浅黒い肌と白いルーズソックスの対比が鮮やかだった。
しかも、踵を踏み潰したローファーは脱いだのか脱げたのかわからないが床に転がっていて、若干黒ずんだ
ソックスの足の裏が、魅惑的に揺れていた。
君は傍らの椅子にブリーフケースを置き、熱いコーヒーを啜りながら、その姿を見るともなく見た。
ちょうど君の位置からだと、その女子高生の姿は斜め後ろの横から眺める形になっていて、多少無遠慮に見ていても、視線は交錯しないのが幸いだった。
そういう状況であるのをいいことに、君は揺れるルーズソックスの爪先を見つめながら、(目の前に跪いてあのルーズソックスの足の匂いが嗅ぎたい!)と思い、(爪先は一日の汗と脂をたっぷりと含んでムレムレに違いなく、ほんのりと湿り気を帯びていたりして、鼻を押し付ければ相当良い匂いがするんだろうな)と夢想した。
君はマゾで、しかも極度の足の匂いフェチの変態で、特に派手めの女子高生には並々ならない憧れがあったから、その揺れる爪先と太腿の張りを見つめているうちに、激しく勃起した。
お世辞にも細いとはいえない脚だった。
むしろ、太い。
しかしその肉感的な太さが君にとってはストライクゾーンだった。

ただし、そんな魅惑の傍観の時間は、それほど長くは続かなかった。
やがて女の子は携帯をパタンと閉じると、ジュースの残りを飲み干して靴の中に爪先を突っ込み、席を立った。
通学用の紺色のナイロン製の肩掛け鞄を取り、空のコップを持って歩きだす。
君はその後ろ姿を目線で追い、女の子がゴミ箱にコップを捨てるところまで見届けると、漸く視線を解除し、コーヒーを飲んだ。

なんだか無性にムラムラしていた。
通常であれば、満腹時にはあまり性欲は沸き起こらないのだが、なまじか女子高生の汚れたルーズなんかを目の当たりにしてしまったため、妙に落ち着かない気分だった。
とはいえ、それを解消する手段は、ひとつしかない。
家に帰ったら、自慰に耽るのだ。
それが、異性に縁のない、寂しく侘しくパッとしない君にとっては、唯一の性欲解消方法だ。
平日の夜の風俗は、翌日のことを考えると気が重い。
まだ今週は木金と二日もあるのだ。
それにそもそも、衝動的に使える金の余裕なんか、君にはない。

そんなことをつらつらと考えながらコーヒーを飲み終えると、君はフードコートを出て、モールの中を歩いた。
そして、エントランスに差し掛かった時、何気なく外を見ると、ガラス扉の向こうを先ほどの女子高生が一人で歩いていた。
金髪とピンクのパーカが派手だから、すぐにわかった。
女の子は、喫煙所の近くで立ち止まると、地面にぺたりと座り、煙草に火をつけた。
それを見て君は、自然に女子高生に近づけるチャンスだと思い、自分も煙草を吸うことにした。
べつに話なんかしなくても、灰皿の傍に立てば、憧れる女子高生と空間の空気を共有できる。
灰皿はそこにしかないのだから、君が女子高生の近くにいても、まるで不審さはない。

君はエントランスのガラス扉から外に出ると、上着の内ポケットから煙草の箱を出して一本抜き、それを咥えながら灰皿に近づいた。
そして、地面に座る女子高生から一メートルほどの距離で足を止め、ライターで火をつけた。
一瞬、女子高生がちらりと君を見上げた。
君はその視線に気づいたが、あえて何気ない風を装いながら煙草を吹かし、ライターと煙草の箱を内ポケットに戻した。
周りには誰もいない。
君は女子高生を視界の端で観察しながら、(ほんとに素敵だなあ)と思った。
君の生活の中で、このような女子高生と接点を持つ機会など皆無だ。
場合によっては、今のように僅かな距離で遭遇することが可能だし、世の中に「女子高生」という人種は溢れ返っているが、君の人生とは決して交錯しない。
たとえ肩が触れるくらい隣り合って立ったとしても、その距離は永遠に等しい。
だから、こうしてすぐ近くにいられるだけでも、君はときめきを覚えずにいられなかった。

女の子は、傍らに鞄を放り出して胡座をかき、煙草を吸っている。
スカートが短いので、むちむちの太腿が大胆に露になっている。
ルーズソックスの弛みも悩ましい。
君は思わず、この場に這いつくばって、その女子高生の足許に、そして股間辺りに、犬のようにじゃれつきたい衝動に駆られた。

あまりに強い想念を発してしまっていたのか、不意に女の子が、吸いかけの煙草を唇の端に咥えたまま、眉根を寄せて君を見た。
それは君にとって想定外の出来事で、咄嗟に目を逸らしたが、あまりにも白々しい行動だった。
女の子のその一瞬の表情には、なんとなく不機嫌そうな、君が近くにいることをウザがっているような、嫌悪感に似た感情が滲んでいて、君が不自然に目を外したことで、余計にその色合いは強まっていた。
まるでゴミか何か汚いものでも見るかのような目だ。
その目が、まだ君を見つめている。
君は眼を逸らしたままだったが、その視線の実在をひしひしと感じた。
なんだてめえ? みたいな、露骨な非難の目だ。
君は意味もなく小さく咳払いをし、エントランスの前に広がる平面駐車場を見やりながら、ドキドキしていた。
しかし、もう我慢も限界だった。
次の瞬間、君は開き直って女の子を見返すと、言葉を発していた。
それは理性をスキップした、本能的で衝動的な行動だった。

「すいません……」

「あ?」

女の子が煙草を指に挟み、面倒臭そうな顔で君を見る。
君は女の子の前にしゃがみ、地面に膝をついて、言った。

「千円払うんで、少しだけでいいんで足の匂いを嗅がせていただけませんか? よかったら、どこか人の来ない場所にでも移動して……」

小心者の君としては、目を瞑って清水の舞台から飛び降りたくらい、決死の覚悟で勇気を振り絞った接触だった。
どうしてこんなことを口走ることができたのか、君は自分でもよくわかっていなかった。
ただ、夢を具現化させる千載一遇のチャンスかもしれない、と無意識のうちにに考えていたのだろう。
しかし。
女の子は君の言葉を最後まで聞くことなく、即座に唇を歪め、眉を顰めると、指先を弾いて君に向けて煙草を飛ばし、立ち上がった。

「アホか。死ね」

軽蔑と嫌悪感を顔に出してそう吐き捨て、女子高生が凛然と立ち去っていく。

君はその場に置き去りにされ、呆然となりながら、なんとか立ち上がり、遠ざかっていくピンクのパーカの後ろ姿を見送った。
尋常ではない惨めさに突き落とされていた。
少し遅れて、強烈な気まずさと気恥ずかしさが襲いかかってきた。

地面に落ちてまだ燃えている煙草。
フィルターに残る口紅の薄い赤。
君の上着の胸元には、女子高生の弾いた煙草の火が小さな焦げ跡を残している。

それでも君は周囲を見回し、誰もいないことを確かめると、さりげなくしゃがみ、素早くその煙草を拾い上げて、咥えた。

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