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小さな奇蹟の夜

「クリスマスの予定は?」という質問が、君は昔から嫌いだった。
いつまで経っても異性とは全く縁のない君に、クリスマスの予定などあるはずがない。
学校へ行っていた頃も働きだしてからも、予定は一切ない。
しかし社会に出てからは、まだ楽になったほうだった。
「仕事」とこたえればよいからだ。
学生の頃でも「バイト」と答えることはできたが、何もしていなければ「別に」と答えるしかなかった。
クリスマスの時期はもう冬休みだから「学校」とは答えられないし、そもそもそう訊かれる場合の予定とはたいてい夜の時間帯について訊かれているのだから、どのみち「学校」という解答は通用しない。

クリスマスイブの夜。
この冬一番だという寒気が日本列島上空に居坐っていて、今夜は酷く寒かった。
君は残業を終えて深夜の街に出た。
イブの夜、イルミネーションに彩られた街は賑やかで、眩い。
しかしかなり寒く、一面に雲が垂れ込めた鉛色の空からは、粉雪が舞い落ちている。
君はコートの襟を立てて、街の明るさから逃れるように、人気のない場所に紛れ込んで駅へと歩いていく。

すると、ふだん通ったことのない路地の途中に、小さなバーがあった。
木製の看板が壁に打ち付けられているが、『BAR』という文字が刻まれているだけで、店名すら掲げられていなかった。
『BAR』という文字の下にピンヒールのクリップアートが描かれている。
君はなぜかその店が妙に気になり、入ってみることにした。
いつもの君なら、こんな冒険しない。
元々がひどく気弱な君が、知らない店に入るなんて、それも夜の店にひとりで入るなんて、考えられない。
でも、今夜はなんとなく冒険したい気分だった。
冒険というより、好奇心に背中を押されたような感じだった。
もしもボッタクリバーの類いだったとしても、それならそれで入った第一印象でなんとなくわかるだろうし、いざとなったら手持ちの金を全部置いてなりふり構わず逃げ出せばいい。
どうせ財布にはいくらも入っていない。

少しだけ緊張しながら重い木の扉を引いて店の中に入ると、カウンターだけの小さな店だった。
壁はレンガで、黒い板を打ち付けた磔台などがあり、SMバー風の内装だった。
M男の君は、それらを見て心がときめくのを感じた。
弱めの間接照明が黒いカウンターを照らしている。
カウンターの中の壁には、手錠や首輪やいろいろな形状の鞭が吊り下げられている。

「いらっしゃいませ」
奥のドアが開き、カウンターの中にセクシーなサンタのコスチュームに身を包んだ美しい女性が出てきて、言った。
「どうも」
君はコートを脱いでストゥールに腰掛け、隣の席にそのコートを適当に畳んで置いてから、女性を見た。
大きく胸の部分が開いたノースリーブの、赤と白のサンタ服が色っぽい。
下は、極限まで短いミニスカートで、むっちりとした太腿が悩ましかった。
色白で、栗色のストレートの髪はさらさらで長く、背の高い美人だった。
客は他に誰もいなかった。
女性は君の前に立ち、じっと見つめ、支払いのシステムはキャッシュ・オン・デリバリーだと説明した後、即座に君をMだと見抜いたのか、はっきりと言った。
「マゾでしょ、あなた」
カウンターの中に立つ彼女の顔は君より上にあって、君はその綺麗な顔を見上げる形になっていた。
逆にいえば、君は完全に見下ろされていたわけで、彼女の鋭い視線に射抜かれながらそう断言されて、思わずM心が弾けた。
気付くと呆気なくズボンの中で性器は勃起していて、君はオドオドとした目になりながら、次の瞬間には、こくりと頷いていた。
「はい……」
「やっぱり」
意味深な含み笑いのようなものを唇の端に浮かべながら、女性は言った。
「すみません……」
客の立場であることなどとうに忘れて、君はなぜか謝っていた。
そんな君に彼女は「べつに謝ることないわ」と更に軽く笑い、訊いた。
「今夜はクリスマスイブだから一杯千円のスペシャルなシャンパンがあるのだけれど、飲む?」
正直、メニューはどこにもないし、何を注文したらいいかわかっていなかったので、君は渡りに船とばかりに、それをもらうことにした。
「はい、ください」
君がそう言うと、女性は「ちょっと待ってて」と微笑み、いったんカウンターの奥のドアの向こうに消えた。

唐突に手持ち無沙汰になった君は、財布から千円札を一枚抜き出してカウンターに置いた後、周囲を見回した。
磔台だの鞭だのがあるということは、ここはそういう人たちが集まる店なのだろうか、と思った。
店の女性は、雰囲気からして、M女ではなく、間違いなくS系だろう。
ということは、ここはM男のためのバーなのか?
そんなことを考えていると、先ほどの女性がカウンターの中に戻ってきた。
その手には、大きなシャンパングラスがあった。
女性は君の前まで来ると、その泡立つ黄金色の飲み物を充たしたグラスを、カウンターに置いた。
「どうぞ」
「どうも」
君はグラスを持った。
女性はカウンターの上の千円札を摘まみ上げると、ミニスカートのポケットに入れた。
君はグラスを口許に持っていき、ん? と思った。
気のせいか、グラスの中の金色の液体から強いアンモニア臭が香った気がしたのだ。
(え? もしかして聖水?)
よほど怪訝そうな顔をしていたのか、ずっと腕組みしながら君の様子を観察していた女性が軽く笑って、言った。
「心配しなくても、わたしの絞りたてよ? 嫌い?」
そう小首を傾げてみせる女性に、君は言った。
「いいえ、大好きです、いただきます」
君はグラスの聖水をぐいっと飲んだ。
これまでにSMプレイの中で何度となく聖水は飲んできたが、グラスに注がれたものを、服を着て椅子に坐って飲んだのは初めてだった。
なんだか、変な感じがした。
それでも、それほどストロングな聖水ではなく、あっさりとしていて飲みやすかった。
色も、濁りのない、すっきりとした透明感のある金色で、気品すら漂っていた。
君は、ぐびぐびと飲み干した。
そしてお代わりを所望した。
しかし女性は軽く肩を竦め、微笑みながら首を横に振った。
「もう出ないわ」

帰り際、女性は再びカウンターの奥に消え、戻ってくると、君に小さな紙包みを差し出した。
「クリスマスプレゼントよ」
「いいんですか?」
「ええ、でも、店を出てから開けてね」
「はい」
君が頷くと、女性は魅力的な笑みを浮かべて言った。
「ありがとうございました」
「どうも」
店を出ると、まだ雪が舞っていて、痺れるほど寒かった。
吐く息も白い。
君はバーの数件隣にある、既にシャッターを下ろして閉店している薬局の軒下に入ると、早速紙包みを開けた。
すると、中には、ピンク色の可憐なパンティが入っていた。
それはまだ温もりを残していて、そっと広げると、純白のクロッチ部分には生々しい沁みが付着していた。
どうやら脱がれたばかりのもののようだった。

君は周囲に誰もいないことを確認してから、そのパンティの匂いを嗅いだ。
両手の中に小さな布を包み込んで持ち、柔らかくて温かいそれに鼻先を埋め、崇高な芳香を吸い込む。
ズボンの中で、仮性包茎のペニスがぐいっと勃起した。
君は半眼になり、このうえない多幸感に包まれながら、うっとりとなる。

いちだんと激しく雪が降ってきた。
先ほどまでと違って、ぼた雪だ。
君はパンティを顔から離し、それをコートのポケットにしまった。

雪は見る間に積もりだした。
小さな奇蹟の夜が白く彩られていく。

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カテゴリー:金の鎖、銀の鞭
  1. 匿名
    2014/11/26 00:06

    待ってました!今回はなんだか優しい感じですね。最近なくなってしまったSaddleというバーを思い出しました。

    • nk
      2014/11/27 20:27

      感想をどうも。相変わらず現実感のないシチュエーションですが、確かに優しい感じになったかもしれません。

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