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シールドを外すとき

SMクラブに於けるプレイは、君にとって教会の告解室のようなものだ。
君はプレイのための密室で、普段の生活の中で装着している常人としての仮面を取り、自らを守るために周囲に築いているシールドを外して、女王様の前で変態マゾという己の本質をさらけ出す。
その時の君の、醜いが潔い素顔は、妙に清々しい。

定時で職場を出た君は、ビルの出口で同僚と別れた。
飲みにいこう、と誘われていたのだが、君は「まだ水曜だし、風邪気味っぽくてなんとなく体がだるいから、今日はまっすぐ帰るよ」と断ったのだった。
「まあ、大事にな」
同僚が軽く手を挙げて言った。
君は「ああ」とこたえ、地下鉄の階段のほうへひとりで歩き出した。

平日の夜の路上は混み合っている。
君は地下鉄の駅に向かって歩きながら、流れる群集に身を紛れ込ませていく。
同じような服装の人々が歩道に溢れているが、誰ひとりとして知り合いはいない。
周りはみんな、名前も顔も知らない人々だ。
君の脳裡にちらりと、無関心の中の孤独、という言葉が浮かんだ。
確かに、この夜の路上では、誰も他人に関心を持っていない。
君だって、周りの誰に対しても関心を抱いてはいない。
君が誰も知らないように、周りの人たちも君が誰か知らない。
そういう状況はしかし、案外居心地がよい。
君はふと自由を感じた。

今夜の君は、午後十時にSMクラブに予約がしてあった。
クラブといっても派遣型なので、先にホテルに入って女王様の到着を待つのだが、その予約の時刻が午後十時なので、まだ午後六時前の今、四時間以上も時間が余っている。
どこかで食事をとり、さっさとホテルに入ってもいいが、ラブホテルの部屋でひとり長時間を過ごすのは、相当侘しい。
結果的にもっと早い時間の予約でよかったのだが、もしも残業になったりするとキャンセルしなければならないので、念のために十時にしておいたのだ。
それに君自身、プレイはなるべく夜の遅い時間のほうが、しっくりくるのだった。
平日の真っ昼間に豚扱いされながらプレイをするというのもマゾとしては燃える設定だが、マゾであることに対してどこか心の奥に後ろめたさを抱えている君としては、やはり夜の遅い時間に、闇に紛れてプレイに興ずるほうが、心理的に落ち着く。
マゾとして、プレイの内容が時刻に左右され、変わるわけではない。
朝一だろうが、昼下がりだろうが、夕刻だろうが、宵の口だろうが、真夜中だろうが、やることは同じだ。
人間としての尊厳とか自意識とかを放棄して豚のスタンスまで自らを堕とし、女性に跪き、責められる。
一般の人なら金をもらっても嫌がりそうなことを、君は金を払って、される。
その感覚は、常人には決して理解できないだろう。
しかし、君は常人ではないのだから、それでいい。
理解される必要などないのだ。

君が週末の夜以外にSMクラブを利用するのは、かなり珍しい。
普段はたいてい金曜か土曜の夜で、平日というパターンは、まずない。
なぜなら、やはり翌日が辛いからだ。
というより、どうせなら心ゆくまでリラックスしてプレイに臨みたいから、プレイの次の日は休日であることが望ましい。
しかし今日の君はもう我慢がならなくて、まだ週の真ん中だったが、昼一で予約を入れてしまった。
時々君はそんな風に、自分の中のマゾ性を抑えきれなくなる。
今日の場合は、朝の満員の通勤電車の中で、気の強そうな大柄の女性と体が密着してしまい、髪や香水の匂いに鼻孔を擽られつつ、彼女の肩のあたりに自分の頭があるという状況によって、マゾ性に火がついてしまった。
このようにスイッチが入ってしまうと、ペニスが疼くという面も否定はできないが、それより、女性に跪きたくてどうしようもなくなってしまうのだった。
心が女性からの侮蔑を求め、体が緊縛や鞭や唾や聖水を求める。
そして、いったんそんな状態に陥ってしまうと、実際にプレイをするか、自宅で狂ったように自慰をするか、発散及び解消の選択肢はふたつしかない。
いずれにせよ、最終的には精液を噴出させないことには収まらないのだが、その噴出を、女王様の前で果たすか、自室でひとりこっそりと出すか、その点に違いがあり、今日の君は前者を選択した。
というより、このところ何かと忙しく、二ヶ月ほどプレイから遠ざかっていたので、いい加減に心と体が女王様プレイを渇望していた。
精液を出すだけなら自慰で充分だが、それでは五感をフルに使って自分の中のマゾ性と対峙したとはいえない。
君にとってリアルなSMプレイは正気を保つための手段だ。
妄想は或る意味、実際のプレイより自由かもしれないが、今日の場合は現実的に満員電車の中で女性に接触してしまったため、自慰では我慢できそうになかった。

君は繁華街の中にある長崎ちゃんぽんの店でちゃんぽんを食べ、大きな書店で立ち読みをして時間をつぶした。
それでもまだ予約の十時には時間があったので、文庫本を一冊だけ買って書店を出ると、カフェに入り、奥まったテーブルでコーヒーを飲んだ。
夕食後の時間帯で店内は疎らに空席があったので、君は急かされることなく、しかしちらちらと腕時計で時刻を確認しつつ、コーヒー一杯でテーブルに居座りながら、買ったばかりの文庫本を読んで過ごした。
そうして九時を過ぎてから、君はカフェを出て、プレイをするラブホテルまで徒歩で二十分かけて移動した。

ホテルの部屋に入ると、早速君は着ていたものを全部脱ぎ、ガラス張りの浴室でシャワーを浴びた。
そして全身を綺麗に洗って出てくると、濡れた体を拭い、そのバスタオルを腰に巻くと、ソファに座り、冷たい水を飲んだ。
もう服を着るつもりはなかった。
変態マゾ奴隷に衣服など必要ない。
君はホテルに入った瞬間から、常人としての仮面とシールドをすっかり外してしまっていた。
今、君はもう単なる一匹のマゾだった。

午後十時十分前にフロントから女性の到着を告げる連絡が来て、君の緊張はピークに達した。
水を一口だけ飲み、大きく深く深呼吸してから、君は腰のバスタオルを取った。
既に勃起しているペニスが、それまで抑えられていたバスタオルの抵抗がなくなったことで、ぴくんと跳ねるように出現した。
君は全裸でドアの前まで行き、お座りをした。
胸が高鳴り、勃起したペニスがその硬度を増していく。
君は女王様の到着を待ち続ける。
時間の経過がやけに長く感じたが、勃起はまるで萎える気配がなかった。
やがて、ドアが開いた。

私服姿の女王様が現れた。
そしてドアのところに立ったまま、君の姿を見下ろして、おかしそうに笑う。
「何、おまえ。もう全開か」
その言葉には侮蔑の響きが込められている。
「申し訳ございません、我慢ができず、変態マゾらしいかと思い、このような姿で待機させていただきました」
「どうでもいいけど……チンポ、ビンビンじゃん」
女王様は君のそそり立っているペニスをブーツの爪先でつついて茶化す。

「本日のご調教、よろしくお願いいたします」

君は体を丸めるようにしてひれ伏し、額をカーペットの床に擦り付けた。

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