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地図にない道

M男は、S女性を、女王様を、異性の「女」として見ることができなくはないが、S女性や女王様がM男を異性の「男」として見ることはまずない。
M男には一応「男」という文字が付いてはいるが、それには単なる識別のための文字以上の意味はなく、女性にとってM男は「男」ではない。
かといって「女」ではないから、とりあえず「男」という文字が付いているだけだろう。
別の言い方をするなら、人間だが人間ではない、つまり最初から「人」対「人」という関係の対象ではないのだ。

無論全てがそうだと言い切れないかもしれないが、たいていのS女性には、だから、M男とは全く関係のない恋人や旦那といった異性の「男」がちゃんといる。
そして恋人関係や家庭を築いている。
その男の前で女王様は「女王様」ではなく、ひとりの「女」だ。
よって必然的にM男を相手にしている時の「女王様」とは全てが違う。
男の前ではノーマル、或いは寧ろMになってしまう女王様もいて、それは普通のことだ。
男のペニスとM男のペニスも違う、別物だ。
男のペニスは愛しいし、挿れたり舐めたりしゃぶったりすれば感じるが、M男のそれは単なるオモチャであって、それ以上でもそれ以下でもない。
だからM男の前では常に冷徹で厳しい「女王様」であっても、彼氏や旦那の前では従順な子猫になってしまう「女」になることに、矛盾はない。
寧ろ正常だろう。
そもそもM男だってそうだろう。
中には完全に真性で、崇拝対象に男女の拘りすらなく、異性に対して一切「好き」という感情を抱くことがない筋金入りのマゾもいるかもしれないが、多くのM男にそこまでの覚悟や悲壮感はない。
M男としてS女性や女王様を崇拝するが、誰でもいいわけではないし、S女性や女王様を彼女や嫁の対象とは考えないだろう。
そういう相手は別に作り、それなりに生活を営みながら、時々その世界から離脱して「女王様」に「M男」として仕える。
だから、好きな相手の前では「女」になるS女性や女王様のように、好きな相手の前では「M男」ではなく「男」になり、もしかするとマゾとは真逆な尊大で亭主関白的に振る舞う者もあるかもしれない。
そして、それにも矛盾はない。
ただM男の場合は、女王様と違って、「女王様」を「女」として見てしまう場合が、時にはあるかもしれず、それが女王様とM男の違いでもある。

「女王様」は「M男」に対してまず恋心なんて抱かないが、「M男」は「S女性」や「女王様」に恋心を抱いてしまうことがある。
しかしそれはたいてい悲劇だ。
まず報われることがない。
「女王様」と「M男」は、常に等号(=)では繋がらない。
どんな状況であっても「女王様」が常に上位にあって、不等号(>)でしか繋がらない関係なのだ。

わかりやすい喩えでいうなら、「女王様」と「M男」は、人間とペットの関係に近い。
飼い主がどれだけペットの犬や猫を可愛がり、愛おしく思っても、彼氏や旦那に対する気持ちとは当然違う。
そしてそれは違っていて当然だから、間違いではない。
ペットの犬や猫に対して、愛し合いたいとか付き合いたいとか結婚したいとか家族を築きたいとかなんて、考えないし、考える者があるとしたら、それは明らかにおかしい。
つまり、そういうことなのだ。

ただし厄介というか難しいという微妙というか、これが逆に「S男」と「M女」の場合は、この限りではないことがある。
S男がM女に恋心を抱き、M女がS男に恋心を抱いて、プレイとは別に、相思相愛になることもあり、それはそれでなぜか矛盾がない。
それが同じSとMであっても、女性上位か男性上位かで違ってくることのひとつだ。
そういう意味に於いては、S男とM女の関係は、もしかしたらS女とM男の関係より、一般的な男女関係における「幸福」という終着駅に辿り着ける可能性は高いかもしれない。
M男が女王様を対等な立場の異性同士として想ってもまず報われることはないだろうが、M女はもしかしたらS男に対して報われることがあるかもしれないし、その逆も然りだ。
少なくとも、M男よりは、S男もM女もその成就の可能性がある。
それでも、もしかしたらM男を恋愛の対象として見る女王様もいるかもしれない。
M男を財布代わりとして確保し、表面上はM男と恋愛関係を築くということも、女王様がその気にさえなれば可能だろう。
だからこれはあくまでも可能性の問題だ。

だがしかし、やはり多くのS女性や女王様は、「M男」は恋愛対象の選択肢にはなく、ふつうの男を選び、ふつうに好きな相手の前では「女」になるだろう。
だからM男は身勝手にも、時折、慕う女王様に対して、せめてレズビアンであってほしい、なんて都合の良いことを考えたりする。
しかし、その希望的観測も、たいていは叶うことがない。
女王様は「女」として、好きな男の前ではかわいい「女」となって、その時は、たとえ親しい間柄のM男がいたとしても、そのM男のことなんて綺麗さっぱり忘れてしまうだろう。
尤も、忘れはしないかもしれないが、ひとまずM男のことなんかはどこかに仕舞い込み、ドアを閉め、鍵をかけてしまうだろう。

中には、寝盗られ属性というか、女王様が「女」として知らない「男」と普通に男性上位的なセックスをしていることを夢想して興奮するタイプのM男もいる。
しかもその場合、淫らでふしだらで卑猥な行為を、女王様は知っていても男は気づいていないという設定のもと、たとえば寝室のクローゼットなどの中から「見せつけられたい」と願い、その状況を想像して自身のM的感覚を全開にするM男も、珍しくはない。
それでも、ここからが微妙なのだが、相手の男にM男である自分を認識されることには抵抗を示す者が、少なくはない。
つまり、たとえばセックスしている様子をクローゼットの中から女王様のみに認識されつつ「見せつけられる」ことには盛るが、相手の男も承知していて、クローゼットの中ではなく、ベッドサイドで犬のようにお座りをさせられつつ見せつけられるという構図になると、たとえM男でも複雑な感情を抱いてしまう者が多いだろう。
S女性や女王様との関係の中に別の「男」が登場することに、強烈な拒否反応を示すM男は多い。
これが「男」ではなく、同じ立場の「M男」であっても、尻込みしてしまうM男は、それほど特殊ではない。
要するにそれは、たとえば二人の女王様がそれぞれ奴隷のM男を連れて同じ空間でM男同士を会わせる、という状況だが、逆にいうと、そういう別の「男」の登場に何の蟠りもなくなると、M男としては一クラス上のステータスに上がるのかもしれない。
そして、自分と同じM属性ではなく、S男やノーマルの男にも抵抗がなくなれば、M男としてのランクは相当上位に達しそうだ。
とはいえ、それなりに一般的な社会生活を送りながら、M男としてそこまでステータスを上げることは、なかなか難しそうだ。
そもそもいくらM男といっても、殆どの場合、たとえエゴマゾと揶揄されようとも、跪く相手が誰でもいいというわけではない。
男は論外としても、仮に女であっても、跪きたい相手と跪きたくなんかない相手が存在する。
M男といっても、多くはそういうものだ。
だいたいが大前提として、M男ほど身勝手で貪欲で我儘で浅ましい者はいない。
絶対に「やりたくないこと」や「やられたくないこと」を無理やり「やらされたい」わけではなく、自分が「やりたいこと」や「やらされたいこと」を形式上「やらされる」という形で「やらされたい」と思っているのが、たいていのM男だろう。

いずれにしても、S女性や女王様は、M男を「男」としては見ない。
その最もわかりやすい例というか、象徴する行為が、所謂スカトロ系のプレイだろう。
本来、人にとって、というか特に女性にとって、排泄という行為は、羞恥心と背中合わせだ。
必ずしも全ての女性がそうだと言い切れないが、たいていの女性にとって排泄している姿というのは、人には見られたくないものだし、見られることは恥ずかしいはずだ。
排泄は、人間であれば老若男女、誰でもしていることではあるが、ふつうはアンタッチャブルな行為として、個室に籠もって、ひとりで、密かに済ます。
だから女性を辱める効果的な手段として、しばしば排泄行為は利用される。
つまり、人前でうんこをさせて、羞恥心を煽るのだ。
正確にいうと、させるだけでは足りない。
ひり出している様子を撮影し、それを後から本人に直視させることで、効果を倍増させるのだ。
そうして屈辱的な気持ちに突き落とし、その結果、女を服従させるというのは、トラディショナルな方法のひとつとなっている。
人前でうんこをさせ、それを本人にも見せつければ、どんな気丈な女でもあらかた落ちる。
この場合、自然排泄ではなく浣腸による強制排泄だと、一層被虐感が強められるだろう。
もちろん、うんこなんて、そんなに恥辱を煽るほどのものか? という意見はあるだろう。
実際、テレビのCMなんかでも、便秘解消のサプリなどの効果として「いっぱい出た」とか「毎朝、どさっとすっきりです」とか、女性がカメラの前で堂々と笑っているが、ほとんどが女性であることを半ばもう放棄しつつある年齢層の人が多いし、微妙にギリギリまだ女として魅力のある熟女も時々は登場するが、そういう人の場合は表現がソフトになり、間違っても「ドッサリ出た」なんて口にしない。
それに、ここからが肝になるのだが、たとえそういう風に平気で便秘を人前で話題に出来ているとしても、ではその出しているところを見せてくれ、と言われて、素直に見せられる女性がどれだけいるのか、ということだ。
わかりにくければ、ちょっと想像してみればいい。
たとえば、世間や周りの人間たちなど完全に見下している高慢なインテリの美人ニュースキャスターが、浣腸された状態で生放送のニュース番組に出演し、カメラの前で派手に糞便を撒き散らしてその一部始終が全国放送で流されてしまったら、最悪の場合、自殺してしまうかもしれない。
もちろん、どんな知的で勝気な美人だって、うんこくらいすることは視聴者のすべてが知っている。
しかし、それを見せるとなれば、話が違ってくる。
つまり、口ではいくらでも言えても、その行為を見せること、見られることは、全然話が別なのだ。
そしておばさんたちでさえそうなのだから、若い女性となれば、やはり話題にすることすら滅多になくなる。
女同士のざっくばらんな会話の中なら平気だろうが、女性は異性の前でうんこの話なんかまずしない。
アイドルとか女優なんて、昔から、おしっこはもしかしたらするかもしれないが、うんこはしないことになっている。
要するに、それほど排泄というのは、デリケートな行為なのだ。
普段どれだけ着飾り、化粧をしたり香水を振りまいたり、煌びやかなアクセサリーを身につけたり、素敵なレストランで豪華な食事をしたり、クールなバーでカクテルグラスを傾けているとしても、一皮剥けば、どんなに気取った美人であろうと、トイレの個室では尻を丸出しにして犬や猫や猿や熊など自然界の動物と同じように糞尿を排出する。
時には、鼻がひん曲がるほど強烈に臭くて太いアナコンダのような一本糞を捻り出したり、殺人的な悪臭を放つ下痢状の軟便を勢いよく噴出させることもあるだろう。
そういう事実を突きつけることで恥辱感を最大限に煽るのが、排泄命令という責めだ。
それくらい人前での排泄には強力な破壊力がある。
ただし逆にいうと、排泄を見られることに何の恥ずかしさも感じない相手には、全く通用しない。
そして、それを考える時、女王様とM男の関係の特殊性が浮かび上がる。
女王様は、M男の前で排泄することに、何の抵抗もない。
おしっこなんて、当たり前のようにぶっかけるし、飲ませる。
うんこでさえ、ボウルや皿に、或いは直接M男の顔を跨いで尻を落とし、鼻や口に捻り出す。
それはどういうことを意味するかといえば、M男を人間としては全く見ていない、という明らかな証拠だ。
M男サイドとしても、女性が排出する排泄物は、所詮「おしっこ」や「うんこ」なのに、崇拝する女性から与えられるものであればそれは「聖水」や「黄金」と呼んで崇めるから、もはや通常の「排泄行為」とは意味合いが違っている。
女王様にとって、M男なんて男である以前に、人間ですらないという認識だから、平気で排泄できるし、映像作品として残すことも弱みにはならない。
もしも少しでもM男を「人間」と思ったら、その前で排泄なんかできない。
おしっこくらいなら、ファッションヘルスのオプションにもあるくらいだからハードルは低いかもしれないが、やはりうんこは難しいだろう。
しかしM男は人間ではないから、そこに葛藤は生じない。
いくら女王様でも、彼氏とか好きな相手の前では、一人の可憐な女性として、その前で排泄するなんてできないだろう。
尤も長年連れ添った夫婦とかなら、今更どうってことないかもしれないが、「男」と「女」という感覚が残っている状態の関係で、女が男にうんこを見せることはなかなかできないだろうし、できないどころか、実行に移せば羞恥プレイになってしまいかねない。

だから、このような様々な事実を鑑みると──いや、本当はわかりきっていることなので最初から鑑みる必要など全くないのだが──M男がS女性や女王様に対して恋心を抱くことは無駄というか、無謀だとわかる。
それは、女王様を異性として想うなんておこがましいとか、M男として身の程を弁えるとか、そういうレベルの話ではない。
犬や猫が飼い主のことが大好きで、飼い主もペットの犬や猫のことを愛していても、それ以上の展開は存在しない。
女王様とM男も、同じだ。
主従関係の先に、展開はない。
それだけのことだ。

とはいえ、いくら君がせっせと小理屈を捏ねくり回し、わざわざ一見難解そうでその実、べつにたいしたことは述べていない面倒臭い言い回しを駆使しながら、さもM男が、さもSMプレイが、常人には理解しがたい選ばれし者のみが享受できる高尚で崇高な趣味であるかのように主張してみても、所詮君は単なる一匹の破廉恥な変態マゾだ。
可愛い女の子や美しい女性の前で恥ずかしい姿を晒して昏い歓びを感じる、憐れな存在だ。
女性の前に跪き、罵倒や侮蔑の嘲笑を浴びて嬉しく感じながら、蒸れた足だの腋だのの匂いに歓喜し、着用済みのパンティやソックスに異常なほど思い焦がれつつ執着し、犬のように首輪をつけてリードを持たれて引かれたり、鞭を打たれたり、縛られたり、吊られたり、唾を吐きかけられたり、ビンタをされたり、蹴られたり、尻で顔を押し潰されたりして昂り、時にはトイレにもなり、挙げ句には、本来はひとりで他人に知られずこっそりと済ますべき自慰を堂々と披露して惨めに果てる、救いようのないマゾ豚なのだ。

それでも、君は構わない。
君はたったひとり、孤独と手を携えながら、前へ進む。
果たして君がどこに辿り着くのか、そもそもどこかに辿り着くことがあるのかどうか、それすらわからない。
しかし、君は行く。
君にはもう、退路などないのだ。
あるのは、先へと続く不確かな、地図にない道だけだ。

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