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For You

2017/07/14 1件のコメント

君はもう何年も同じSMクラブに通い、同じ女王様を指名してプレイしている。
他の女王様とプレイする気持にはならない。
彼女以外の女性に跪く気にはなれない。
彼女だけを崇拝している。
心構えとしては、個人奴隷のつもりだ。
実際、女王様にも「おまえは特別な存在」と言われていて、遅い時間の予約になっても融通を利かせてもらえる。

日に日に彼女に対する気持は高まるばかりだ。
とはいえ勿論、マゾとして奴隷として、分は弁えているつもりだ。
だから「付き合いたい」とか「奴隷として飼われたい」とか、そんな烏滸がましいことは望まない。
クラブへ赴き、代金を支払ってプレイをし、別れる。
それだけだ。
彼女の本名も住所も知らない。
知っているのは営業用の携帯電話の番号だけだ。
考えてみれば、否、考えるまでもなく、空虚な関係だ。
それでも君は彼女への想いが抑えきれない。
そこで君はブログを書くことにした。
そのブログでは、自分の変態性やマゾ性を隠すことなく開陳し、一匹の奴隷として支配者である彼女への気持を綴る。
そして、そのブログのアドレスは彼女にだけ伝え、他の誰にも読ませない。

或る夜、君はブログを開設した。
タイトルは仮として『For You』にした。
女王様にこのことを話して、許可が出たら『For My Mistress』とか、マゾ奴隷らしいものに変えるつもりだ。
その夜は、結局タイトルを付けたそこまでで、記事は書かなかった。
今度のプレイの時に「ブログを作っても良いか」と伺いを立て、お許しがでたら改めて想いのすべてを文章にぶつけるつもりだった。
そしてそれから三日後、クラブへ行き、プレイの後、女王様にこの話をした。
すると彼女はあっさりと「いいよ」と許可した。
たたしタイトルについては「変えなくていい」と言った。
君は「ご許可、ありがとうございます」と礼を述べ、「最初の記事をすぐ書きますのでアップしたらご連絡させていただきます」と頭を下げた。
「待ってる」
女王様は言い、プレイの時間は終了した。

その夜、君は早速記事を書き始めた。
タイトルは既に決めていた。
『隷属の誓い』
これ以外は考えられなかった。
それから三日かかって君は最初の記事を書いた。
言い回しとか誤字脱字とか何度も確認し、深夜に公開した。
そしてブログのアドレスをメールで女王様に伝えた。
勿論、時間も遅いし、女王様の手を煩わせることはしたくなかったので、『返信は不要です』と記しておいた。

女王様のためだけにブログを開設して以来、君は舞い上がってしまい、仕事も手につかなくなってしまった。
とはいえ、社会生活を放棄するわけにはいかないから、一応は平常心を装って過ごしたが、一日中彼女のことを考えるようになってしまった。
これまでももちろん崇拝する気持ちが強く、何毛ない平凡な日常の中でふと女王様のことを考えることはあったが、その頃とは気持ちの濃度が違ってきた。
濃度の違いというか、単純に君の内部で静かに、しかし劇的な変化が起きたのだ。
女王様は営業用に、ブログとツイッターとインスタグラムをやっているので、これまでの君はコソコソと覗いていたのだが、なんだかそれらを見ることが辛くなってしまった。
というのも、当たり前のことだが、彼女はプロの女王様として毎日いろいろなM男とプレイしていて、オンライン上には君の知らないM男たちと色々なプレイに興ずる様子がアップされる。
それを見ることが辛くなってしまったのだ。
無論、見ず知らずのM男たちに嫉妬のような感情を抱くことは間違っているし、そもそも意味がないというか、そんな感情を抱く資格など自分にはないことくらい君はよくわかっていた。
女王様を独占するなんて、おこがましいにもほどがあるし、ありえない話だ。
女王様は君だけのものではない。
君にとって女王様は唯一の存在だが、女王様にとっての君はたくさんいる客の中の一人に過ぎない。
ただ、そういうことは、理屈では分かりすぎるくらいわかっているのだが、感情の点でどうしても引っかかってしまうのだった。
仕事中など、ふとした瞬間、今頃女王様は何をしているのだろう、と考えてしまうと、もうダメで、頭がおかしくなりそうになった。
クラブに出勤中ならばどこかのM男と色々なプレイをしているだろうし、プライベートの時間なら、彼氏や旦那がいて、普通の女としてセックスをしているかもしれない。
もしかしたらM男に小便を飲ませて稼いだ金で子供にミルクを与えているかもしれない。
いずれにせよ、SMプレイにしろセックスにしろ、君の与り知らないところで、君の知らないペニスが彼女の前にそそり立っていることだけは間違いない。
だとしても、その詳細について、君に知る手立てはないし、そもそも彼女を詮索する資格などない。
しかしその想像が、君を苦しめた。
ただ、それは単なる自縛にすぎず、実は解除することなど簡単なのだが、君は無間の地獄に自ら身を投じて苦悶した。
そんなこと想像しなければいいのに、つい君は想像してのたうちまわった。
そして君は苦しくなる度に、その淫らな幻影を振り払うかのように、いきり立つペニスを狂ったようにしごき上げた。
そういう時、君はたまらなく女王様に会いたくなった。
しかし、お門違いの嫉妬心に突き動かされながら週に何度もクラブへ通って「しつこい」と思われたら元も子もないから、会いたいけれど会えなかった。
そんなに通いつめたら、ドン引きされかねないし、最悪、警戒されてしまうかもしれない。
ただでさえ風俗嬢と客の関係というのは、客の勘違いからストーカー的な問題に発展しかねないイメージがあるから、適度な節制が重要になるはずだった。
そもそも、幸か不幸か、君には先立つものがなかった。
彼女と会うためには、常に数人の諭吉が必要で、残念ながら君の財布には肝心なその諭吉がそんなにたくさんいなかった。
故に、君は耐えた。
いや、正確には耐えるしかなかった。
その代わり、プレイ時に撮らせてもらった彼女の尻や足の指の画像をおかずにして、ひたすらオナニーをした。
まるで発情期の猿のように、君は毎日毎日彼女とのプレイを夢想して自慰に励んだ。
これまでも君はほぼ毎日のように自慰をする人間だったが、おかずはその時々で色々だった。
SMの映像や画像を使う際でも、その時の夢想の相手は色々な女性だったし、一般的なAVを使う際は、普通にAV女優が相手だった。
その状況が一変した。
君にとってのオナニーの対象は、いつしか女王様だけになってしまった。
こんなことは初めてだった。
だいたい、一人の女王様にこれほど固執するというか傾倒すること自体が初めてのことで、君はそんな自分自身に対して若干戸惑った。
しかし、どうしようもなかった。
この歪みを内包した熱い感情は、恰もいったん坂を転がり始めた雪の球のように、ひたすら加速しながら大きくなっていくだけだった。
だから君は、彼女に対する気持ちが沸き起こってくるたびに、知らない男たちの幻を振り払うかの如く、いきり立つ貧相なペニスを狂ったようにしごき続けた。
仁王立ちする女王様の股の間で跪き顎を上に向けて大きく口を開きながら飲む聖水、椅子に足を組んで座る女王様の足元に平伏しながら投げ出された足を両手で掲げ持ってむしゃぶりつく足の指……そんな記憶の断片を呼び起こしながら、君はひたすら己を擦り上げた。
そして精液を放出すると、少しだけ平静さを取り戻すことができた。

そんな苦しい毎日の中、最初の記事をアップしてすぐ君は二本目を書き始めた。
一本目の記事について女王様の反応を知りたかったが、こちらから催促できることではなかったし、そもそもメールは送ったが本当に見てもらえたかどうかすら不明だったので、そのことについては考えないようにして、キーボードを叩いた。
二本目の記事のタイトルは『初めてお逢いした夜のこと』にした。
内容はそのまま、初めて指名してプレイした時の気持を、下書きとしてテキストエディタに綴った。
その記事をローカルで書いている途中、ブログを公開してちょうど一週間が経過した夜、コメントが付いた。
君は自分のブログを開いた。
すると、コメントは女王様からだった。
それはそうだろう、彼女にしかブログの存在を知らせていないのだから、彼女以外からコメントなど付くはずがない。
検索エンジンのロボットも弾く設定にしてあるから、偶然何者かがアクセスすることもないはずだった。
それでも、まさか書き込んでもらえるとは思っていなかったので、君は心の中で小躍りしながらコメント欄を開いた。
するとそこには短いメッセージが書き込まれていた。

『わたしです。
この度、クラブを退店しました。
SMから引退することにしました。
もう女王様もやりません。
さようなら。』

君はそれを読んで呆然となった。
やがて我に返り、深夜だったが、我慢できずに女王様の営業用の携帯電話にかけた。
しかしその回線は既に使われていなかった。
無情に流れるガイダンスを君は未練がましく最後まで聞いて、切った。
そのまま眠れぬ夜を過ごして、翌日、なんとか仕事に行き、勤務時間中だったが、君はトイレの個室からクラブの営業開始時刻を待って店に電話した。
そして何も知らない風を装って指名予約しようとしたのだが、あっさりと「彼女は退店しました」と言われた。
「どこか別の店に移ったのですか?」と食い下がってみたが、店員は「いいえ、詳しくは知りませんが、業界から上がったみたいですよ」とさらりと告げた。
そして「他の女の子はどうですか?」 と勧めてきた。
しかし君はとてもではないが到底そんな気にはなれず、「またにします」と電話を切った。

どうしたらいいかわからなかった。
君は夢遊病者のような、魂の抜けたゾンビのような足取りでトイレから出ると、とりあえず洗面台で冷たい水を出し、顔を洗った。

カテゴリー:金の鎖、銀の鞭

越境者

君はこれまでに二度、越境している。
一度目は、もう随分以前だ。
「大人」と呼ばれる年齢になってさらに時間が経った頃、君は一度目の越境を果たした。

あれは雪がちらつく二月の寒い夜だった。
その日、君は仕事を終えて既にいったん帰宅していたのだが、午後十時を過ぎた頃、突如、不退転の決意で部屋を出た。
唐突に、SMクラブへ行こう、と思ったのだ。
急に思い立ってそのまま行動に走ったきっかけは、わからない。
ただそれまでの君は妄想系の変態M男で、実践経験は全くなかったのだが、その夜、何かが変化した。
理由は思い当たらない。
風俗雑誌等で街の盛り場にSMクラブがあることは情報として知っていたし、その店の広告を見れば在籍する女性が多く掲載されていて憧れを抱いていたし、実際にそのクラブの前を(たまたま通りかかっただけ)という風を装って徒歩で通過したことが何度もあった。
だから場所や大まかな料金体系等については既に承知していたのだが、なかなか踏み出せないでいた。
やはり心のどこかで、妄想だけで済ますことと体験することの間には明確な違いがあり、現実的に経験してしまうと正真正銘真性のM男になってしまいそうで、二の足を踏んでいた。
そもそも君は、風俗の店へ行ったことすらなかった。
ヘルスもソープも未経験だったから、そういうレベルでいきなりSMクラブはあまりにハードルが高すぎるという意識もあった。
そんな状態なのに、なぜあの夜、君がいきなりSMクラブの門を潜ろうと思ったのか、それは雪が降っていてひどく寒く、こんな夜なら街にも人は少なく、クラブも空いているのではないか、と考えたからかもしれなかった。
もともと行きたいという気持ちは高まっていたのだから、足りないのは実行に移る動機付けだけだった。
今ではもう全く考えられないことだが、当時はSMクラブへ行くということに尋常ではない背徳感というか、人としての後ろめたさみたいなものや恥ずかしさを君は感じていて、できる限りクラブ周辺の路上で他人に会いたくなかった。
その点、降りしきる雪がヴェールの役割を果たしてくれるのではないか、と思った。
雪の中、傘を差して徒歩で店に近づき、さっと入ってしまえば、誰にも見咎められることがなさそうで、それが君に安心感を与えた。
それ以外にも、君の背中を押す要因はいくつかあった。
まず、給料が出た直後で懐に余裕があった。
それから、当時たまたま数日にわたって多忙を極めており、自慰をしない日々が続いていたから、充分に溜まっていた。
そして、風俗情報誌を買ったばかりで、気分が密かに盛り上がっていた。
こういったいくつかのピースがひとつにぴったりとはまって、君がついにSMクラブデビューを果たす、という一枚の壮大な絵を完成させた。

そうと決まれば、君の行動は素早かった。
勇気を振り絞って自分を奮い立たせながら、財布と傘だけを持って部屋を出た。
ぼったくりが怖かったから身分証明書の類は持たなかったし、現金も必要最小限にしておいた。
携帯電話も置いていった。
ただし情報誌に入会金無料のクーポンが付随していたので、それだけは切り取って財布に入れた。
予約の電話はしなかった。
予約をすれば確実だろうが、しなかったことには理由がある。
それは、もしかしたらそれでも店の前でビビってしまい、結局行けないなんてことになるかもしれなかったからだ。
そうなると、予約は具合が悪い。
だから君は飛び込みで向かった。
もっとも結果的に、そういう心配は杞憂に終わった。
あんがい君はスムーズに入店してしまった。
粉雪が降りしきる、クラブのある通りに人気は少なく、君は傘で顔を隠すようにして黙々と歩きながら店に近づくと、さっとドアを開けて中に入った。
店の中は無人だった。
ドアを潜るとそこは待合室のようなスペースになっていて、ソファが並んでいた。
壁が鏡張りになっていて恥ずかしかったが、君の背後でドアが閉まると、すぐに事務室から黒服の、やや年配の男性が出てきて、柔和な笑顔で「いらっしゃいませ」と頭を下げた。
「ご予約は、おありですか?」
そう訊かれて、その時点で君はもう心臓が裏返りそうなくらい極度の緊張状態に陥っていたが、店員の優しげな雰囲気に少しだけ気持ちの強張りが解けて、こたえた。
「えっと予約はしていません、初めてなもので」
すると店員はソファを勧めた。
「そうですか、こんなお足元の悪い中、わざわざありがとうございます」
そう言い、君がソファに座ると、いったん去り、すぐに飲み物を持って戻ってきた。
「どうぞ」
烏龍茶の入ったカップをテーブルに置き、君の足元に傅いた。
「それでは、簡単に当店のシステムを説明させていただきます、ご承知でしょうが、当店はSMクラブでございまして、コースはお客さんが責めるSコースと、お客さんが責められるMコースがございますが、どちらにいたしましょう?」
君は気恥ずかしさが内心で爆発することを自覚しつつ、小声で短くこたえた。
「Mで」
「かしこまりました、女王様コースですね」
店員は確認のために復唱し、続けた。
「申し訳ないのですが、Mコースですと、現在混み合っておりまして、早くても三十分後のご案内になってしまいますが、お時間の方はよろしいでしょうか?」
今更やめるなんてできなかったので、君は頷いた。
「構いません」
「では、何分のコースにいたしましょう? 60分、90分、120分、とございますが」
店員は料金を提示した後、付け加えた。
「あと、別途プレイルームの使用料と、当店は会員制でございますから初回に限り入会金をお願いいたします」
君は、承知した、というように頷いてから、こたえた。
「60分で」
「かしこまりました」
そして君は、たぶんこのタイミングでいいだろう、と思いながら、言った。
「あのう、これ、使えますか?」
財布から入会金無料のクーポンを取り出して、示した。
「大丈夫ですよ、では」
店員はそれを受け取り、プレイ料金の総額を告げた後、女性の写真が入った何枚かのハードのクリアファイルを、トランプのように扇状に広げて見せた。
「今、ご案内できるのはこちらの女の子たちになります」
何枚のファイルが出てきたか、完全にテンパっていた君はちょっと思い出せないが、確か四、五人だったと思う。
君はファイルを吟味した。
クリアファイルには写真と身長や年齢等簡単なプロフィールが入っていて、可能なプレイが記されていた。
君はやがて一人の女性を選んだ。
本当は密かに雑誌でチェック済みの意中の女性がいたのだが、彼女のファイルはその渡された中にはなかった。
店員に、君は選んだ女性のファイルを見せて、言った。
「この人で」
「かしこまりました」
店員は頷いてファイルを回収し、料金を受領すると、訊いた。
「領収書は必要ですか?」
「いらないです」
君がそうこたえると、店員は立ち上がった。
「それでは、しばらくお待ち下さい」
店員は頭を下げ、いったん事務室へ戻った。
待合室の隅の上空にテレビがあって、ニュース番組が小さな音量で流されていた。
君はがらんとした、鏡張りのためにどこか淫靡な待合室にひとり取り残されて、完全に手持ち無沙汰だった。
烏龍茶を飲み、テレビを見た。
別にニュースなんか見たくはなかったが、他にすることもないので、仕方なかった。

肝心なプレイについて、実は君はあまり覚えていない。
というのも、緊張と興奮が尋常ではなかったからだ。
よって、記憶はコマ切れで、うまく繋がらない。
女王様は優しく綺麗な人で、ファイルの写真と髪型が全然違ったから、初対面の瞬間はびっくりしてしまったが、女性の方から「写真と全然違うよね、最近、髪切ったのよ」と言って場を和ませてくれたことはよく覚えている。
そしてプレイが始まる前に、君は「SMプレイは初めてなのです」と正直に言い、「基本的に『お任せ』でお願いしたいのですが」と付け加えた。
すると女王様はベテランらしく快諾し、いざプレイとなった。
女王様は君にシャワーを使うよう命じた。
君は部屋の隅で裸になると、シャワー室で体を流した。
その間に、女王様は着替えていた。
シャワー室から出てくると、女王様はボンデージ姿だった。
生の『女王様』を見て、君は呆気なく勃起してしまった。
君は簡単に体を拭くと、バスタオルを置き、既に足を組んで椅子に座っている女王様の前へ全裸で進み、ごく自然に跪いた。
その瞬間、君は確かに一度目の越境を果たした。

その夜、クラブを出ると、雪はいちだんと激しくなっていた。
君は痺れるような寒さの中、人気の絶えた街路を歩きながら、(ついにマゾプレイを体験してしまった!)という昏い興奮に包まれていた。
心地よい疲労感と、まだ夢の中にいるような倦怠感に浸りながら、鞭やビンタの痛みに火照って熱い体に、霏霏と降る雪や空気の冷たさが快かった。

あの初めての夜から、かなりの年月が流れた。
君はM男として場数を踏み、それなりに経験を重ねてきた。
失敗もたくさんした。
すべてのM的体験は風俗だったから、合わない相手も居たし、しっくりこないプレイもあった。
しかしもちろん素敵な相手は多くいたし、満足のゆく素晴らしいプレイもたくさんあった。
ただ、これだけマゾとしてプレイを続けていると、さすがにマンネリ感は否めなくなってきた。
SMクラブでのプレイは、バリエーションは幾つかあるが、ベースは限定的だ。
鞭、緊縛、吊り、蝋燭、ビンタ、アナル、言葉責め、匂い系フェチプレイ、唾や聖水等の体液享受、そして自慰……ほとんどがこれらの組み合わせでコースが組み立てられる。
無論、相手や状況の違いでひとつとして同じプレイはないのだが、君はこの頃、なんとなくマゾとしての限界みたいなものを感じていた。
かといって、クラブを離れて素人相手となるとリスクが高いし、エゴと言われようが相手はプロでなければMとして自らを委ねることが怖い。
たいしたものではないが、君にもそれなりに常人的な社会生活がある以上「プレイ」以外のSMは難しい。
すべてを投げ打って誰かの奴隷になってすべてを捧げるとか、シチュエーションとしての憧憬は抱くが、現実的には無理だ。
映像作品に出演してみたい気持ちもある。
しかしそれも、もしもの身バレを考えるとあまりにハイリスクで、踏み出せない。
そもそも君の場合、自分がマゾであることは認めるが、それをプレイ相手の女王様以外に知られることを、絶対に望まない。
だからSMバー的な場所も気後れして行けないし、SM系のパーティなんて以ての外だ。

そんな、或る意味マゾとして「ひきこもり」的な君だが、ついに二度目の越境を果たした。
それは、つい昨日のことだ。
尤も午前零時を過ぎたから便宜的に厳密に「昨日」といったが、時間の経過を基準にするならほんの数時間前のことだ。
だから、感覚的にはまだ「今夜」と呼んだ方がしっくりくる。
SMクラブでのプレイ以外にMとして覚醒する機会のない君が、雁字搦めで不自由な狭い世界の中に生きつつ、今夜、越境した。

今夜の君は、いつもの君とは少し違っていた。
ある決意を胸に秘め、SMクラブへ向かったのだ。
新しい未知のプレイに挑戦して自らの殻を打ち破りたいという激しい渇望を決意に変換して君はクラブに予約の電話を入れ、決してもう短いとは呼べなくなってきた自分のM人生に於いて生まれて初めてのオプションを追加した。
記念すべき相手は、初めての女王様を指名した。
広告やウェブで顔出ししている、ハードな責めで評判の高い人気の美人女王様だ。
プレイ前に君はオプションについて「初めてなのです」と正直に告白した。
女王様は「大丈夫?」と妖艶に微笑みながら訊き、君は「頑張ります」とこたえた。
それ以上、女王様は何も言わなかった。

プレイが開始され、君はいつもより激しく責められた。
それは君のリクエストだった。
自分よりも体格的に勝る女王様に苛め抜かれ、ボロ雑巾のように満身創痍になることを熱望した。
そのために、あえてハード系の女王様を選択したのだ。
そしてその希望通り、君はボロボロになった。
散々小突き回され、やがて君は仰向けにぶっ倒れた。
その顔を、女王様が跨ぎ、おもむろにショーツを下ろした。
そして、そのまま尻を落とす。
君は肩を弾ませて荒い息を吐きながら、迫り来る女王様の股間を、吸い寄せられるように凝視した。
陰毛の茂みの奥にピンク色の亀裂が覗き、その先に、可憐な蕾があった。
その蕾が収縮し、君は息を詰めた。
次の瞬間、蕾が一気に開いて、黄金色に輝くクリームが出現した。
それはにゅるにゅると音もなくしなやかに、まるで神の使いである聖なる蛇の降臨の如く産み出され、やがて自らの重みに耐えきれなくなったのか、ごく自然にちぎれて君の顔の上に落下した。
その刹那、君は二度目の越境をした。
君はついにリアルに人間便器となった。
聖水なら今まで数限りなく浴びたり飲んだりしている。
しかし黄金は初めてだった。
憧れはあったが、これだけは絶対に無理、と君はずっと思っていて、どうしても勇気が出せなかったのだが、今夜の君は果敢に挑み、華やかに跳躍した。
そして、全面的に受け止めた。
ただ、その触感は異次元の感触で、初めから分かっていたことではあったが、想像以上の香気に、さすがの変態M男の君も嘔吐きそうになってしまい、必死に息を止めた。
本当は「食べたい」とまで思っていたし、この先にはそれがまだ待っているだろうが、今夜の君はひとまずそこまでで、それ以上先へ進むことはできなかった。
画像や映像といった二次元では、いくらでも妄想で食べられるが、現実的な三次元となると「臭い」というファクターが厳然と存在していて、その障害の威力は君の想像をはるかに凌駕していた。
口と鼻を開いて息をしたら瞬間的にリバースしてしまうだろう、と思いながら君は、なんだか、限界の境界を押し広げたが、するとすかさず更に新しい限界が出現したような、そんな感じを抱いたが、達成感は覚えていた。
女王様は、君のそんな混乱を上空から見下ろして冷笑した後、聖水を盛大に注いで君の顔を流した。
まるでホースの先端を指で潰して放水するかのような強い勢いで降り注ぐ聖水に、君は目を閉じた。
暖かい水流に黄金が君の顔の上を流れていく。
あらかた流れ落ちると、君は大きく口を開け、尚も注がれ続ける聖水を飲んだ。
やがて聖水が止まった。
君が一息つくと、女王様はいっそう尻を落として君に命じた。
「食べることもできない役立たずのクソ便器、食べられないならせめて舐めて綺麗にしろ」
「はい!」
君は仰向けのまま顔だけを起こすと、女王様の汚れた蕾に舌を伸ばした。
苦味が舌先を痺れさせたが、耐えられないほどでもなかった君は、唇を窄めて蕾に吸い付き、舌を尖らせてその奥へと挿し入れて入念に舐めた。
まるでキツツキが木を啄ばむように、君は頭を上下に動かしながら舌を出し入れし、その後、蕾の皺のひとつひとつを丁寧に舌先で辿った。
そうしながら、君は無意識のうちに、既に限界までそそり立っていたペニスを握り締め、気づくと擦り始めていた。
女王様はそんな君を冷ややかに見下ろし、嘲笑った。
尻の穴の汚れを舐め取りつつ自慰をする憐れなマゾ豚……それが君だった。
「堕ちるところまで堕ちたな」
女王様が侮蔑の響きを滲ませながら吐き捨て、君は、否、と思った。
堕ちたのではなく、むしろステージを一段上がってまた一歩高みに近づいたのだ、と思った。
君は嘲笑を浴びながら、聖水と黄金の残滓に塗れさせた顔を女王様の股間に張り付かせ、一心不乱に舐め続けた。
そしてじきに呆気なく、そのまま華々しく射精した。

射精を果たした後ももしばらく君は動けず、漂うアンモニア臭の中、仰向けで呆然としていた。
顔を拭うことすらせず、そのまま聖水と黄金に塗れていた。
そんな君を見て、女王様は軽やかに笑った。
「なかなか壮絶ね」
「すみません」
君はようやく体を起こすと、椅子に座った女王様の前に跪き、ひれ伏した。
「御調教、ありがとうございました」
女王様は君の後頭部を無言のままパンプスで踏み、その足を床に下ろした。
無事にプレイは終了した。
女王様が言った。
「シャワーを浴びていらっしゃい」
「はい」
君は立ち上がると、シャワー室へ向かった──。

人は時に、自分でも思いがけずボーダーを軽々と超えることがある。
境界線には高いフェンスが聳え、電流が流れる有刺鉄線まで巻かれていて、それを越えることは決して容易いことではない。
境界線の向こうとこちらでは、完全な別世界だ。
そんな境界線を越えた瞬間、越境者は既成の枠を超えたスペシャルな存在となる。
ただし、誰かから尊敬されるようなことはない。
なぜなら、特に他人にはそのことを告げないからだ。
ほとんどの人は他人に知られることなく越境を果たす。
その後の生き方は、様々だ。
行ったきりの者もあれば、戻ってもう二度と向こうへは行かない者もある。
或いはどちらかに軸足を置きつつ、自由に往き来する者もある。
どの生き方が正しいのかなんてわからないし、そもそも正否を求める問題ではない。
正しいとか正しくないとか、そういう価値観すら軽やかに越える者が、越境者なのだ。

この先、君はあと何度、越境していくだろう。
それは君自身を含めて、誰も知らない。
誰にも、わからない。

カテゴリー:金の鎖、銀の鞭

地図にない道

M男は、S女性を、女王様を、異性の「女」として見ることができなくはないが、S女性や女王様がM男を異性の「男」として見ることはまずない。
M男には一応「男」という文字が付いてはいるが、それには単なる識別のための文字以上の意味はなく、女性にとってM男は「男」ではない。
かといって「女」ではないから、とりあえず「男」という文字が付いているだけだろう。
別の言い方をするなら、人間だが人間ではない、つまり最初から「人」対「人」という関係の対象ではないのだ。

無論全てがそうだと言い切れないかもしれないが、たいていのS女性には、だから、M男とは全く関係のない恋人や旦那といった異性の「男」がちゃんといる。
そして恋人関係や家庭を築いている。
その男の前で女王様は「女王様」ではなく、ひとりの「女」だ。
よって必然的にM男を相手にしている時の「女王様」とは全てが違う。
男の前ではノーマル、或いは寧ろMになってしまう女王様もいて、それは普通のことだ。
男のペニスとM男のペニスも違う、別物だ。
男のペニスは愛しいし、挿れたり舐めたりしゃぶったりすれば感じるが、M男のそれは単なるオモチャであって、それ以上でもそれ以下でもない。
だからM男の前では常に冷徹で厳しい「女王様」であっても、彼氏や旦那の前では従順な子猫になってしまう「女」になることに、矛盾はない。
寧ろ正常だろう。
そもそもM男だってそうだろう。
中には完全に真性で、崇拝対象に男女の拘りすらなく、異性に対して一切「好き」という感情を抱くことがない筋金入りのマゾもいるかもしれないが、多くのM男にそこまでの覚悟や悲壮感はない。
M男としてS女性や女王様を崇拝するが、誰でもいいわけではないし、S女性や女王様を彼女や嫁の対象とは考えないだろう。
そういう相手は別に作り、それなりに生活を営みながら、時々その世界から離脱して「女王様」に「M男」として仕える。
だから、好きな相手の前では「女」になるS女性や女王様のように、好きな相手の前では「M男」ではなく「男」になり、もしかするとマゾとは真逆な尊大で亭主関白的に振る舞う者もあるかもしれない。
そして、それにも矛盾はない。
ただM男の場合は、女王様と違って、「女王様」を「女」として見てしまう場合が、時にはあるかもしれず、それが女王様とM男の違いでもある。

「女王様」は「M男」に対してまず恋心なんて抱かないが、「M男」は「S女性」や「女王様」に恋心を抱いてしまうことがある。
しかしそれはたいてい悲劇だ。
まず報われることがない。
「女王様」と「M男」は、常に等号(=)では繋がらない。
どんな状況であっても「女王様」が常に上位にあって、不等号(>)でしか繋がらない関係なのだ。

わかりやすい喩えでいうなら、「女王様」と「M男」は、人間とペットの関係に近い。
飼い主がどれだけペットの犬や猫を可愛がり、愛おしく思っても、彼氏や旦那に対する気持ちとは当然違う。
そしてそれは違っていて当然だから、間違いではない。
ペットの犬や猫に対して、愛し合いたいとか付き合いたいとか結婚したいとか家族を築きたいとかなんて、考えないし、考える者があるとしたら、それは明らかにおかしい。
つまり、そういうことなのだ。

ただし厄介というか難しいという微妙というか、これが逆に「S男」と「M女」の場合は、この限りではないことがある。
S男がM女に恋心を抱き、M女がS男に恋心を抱いて、プレイとは別に、相思相愛になることもあり、それはそれでなぜか矛盾がない。
それが同じSとMであっても、女性上位か男性上位かで違ってくることのひとつだ。
そういう意味に於いては、S男とM女の関係は、もしかしたらS女とM男の関係より、一般的な男女関係における「幸福」という終着駅に辿り着ける可能性は高いかもしれない。
M男が女王様を対等な立場の異性同士として想ってもまず報われることはないだろうが、M女はもしかしたらS男に対して報われることがあるかもしれないし、その逆も然りだ。
少なくとも、M男よりは、S男もM女もその成就の可能性がある。
それでも、もしかしたらM男を恋愛の対象として見る女王様もいるかもしれない。
M男を財布代わりとして確保し、表面上はM男と恋愛関係を築くということも、女王様がその気にさえなれば可能だろう。
だからこれはあくまでも可能性の問題だ。

だがしかし、やはり多くのS女性や女王様は、「M男」は恋愛対象の選択肢にはなく、ふつうの男を選び、ふつうに好きな相手の前では「女」になるだろう。
だからM男は身勝手にも、時折、慕う女王様に対して、せめてレズビアンであってほしい、なんて都合の良いことを考えたりする。
しかし、その希望的観測も、たいていは叶うことがない。
女王様は「女」として、好きな男の前ではかわいい「女」となって、その時は、たとえ親しい間柄のM男がいたとしても、そのM男のことなんて綺麗さっぱり忘れてしまうだろう。
尤も、忘れはしないかもしれないが、ひとまずM男のことなんかはどこかに仕舞い込み、ドアを閉め、鍵をかけてしまうだろう。

中には、寝盗られ属性というか、女王様が「女」として知らない「男」と普通に男性上位的なセックスをしていることを夢想して興奮するタイプのM男もいる。
しかもその場合、淫らでふしだらで卑猥な行為を、女王様は知っていても男は気づいていないという設定のもと、たとえば寝室のクローゼットなどの中から「見せつけられたい」と願い、その状況を想像して自身のM的感覚を全開にするM男も、珍しくはない。
それでも、ここからが微妙なのだが、相手の男にM男である自分を認識されることには抵抗を示す者が、少なくはない。
つまり、たとえばセックスしている様子をクローゼットの中から女王様のみに認識されつつ「見せつけられる」ことには盛るが、相手の男も承知していて、クローゼットの中ではなく、ベッドサイドで犬のようにお座りをさせられつつ見せつけられるという構図になると、たとえM男でも複雑な感情を抱いてしまう者が多いだろう。
S女性や女王様との関係の中に別の「男」が登場することに、強烈な拒否反応を示すM男は多い。
これが「男」ではなく、同じ立場の「M男」であっても、尻込みしてしまうM男は、それほど特殊ではない。
要するにそれは、たとえば二人の女王様がそれぞれ奴隷のM男を連れて同じ空間でM男同士を会わせる、という状況だが、逆にいうと、そういう別の「男」の登場に何の蟠りもなくなると、M男としては一クラス上のステータスに上がるのかもしれない。
そして、自分と同じM属性ではなく、S男やノーマルの男にも抵抗がなくなれば、M男としてのランクは相当上位に達しそうだ。
とはいえ、それなりに一般的な社会生活を送りながら、M男としてそこまでステータスを上げることは、なかなか難しそうだ。
そもそもいくらM男といっても、殆どの場合、たとえエゴマゾと揶揄されようとも、跪く相手が誰でもいいというわけではない。
男は論外としても、仮に女であっても、跪きたい相手と跪きたくなんかない相手が存在する。
M男といっても、多くはそういうものだ。
だいたいが大前提として、M男ほど身勝手で貪欲で我儘で浅ましい者はいない。
絶対に「やりたくないこと」や「やられたくないこと」を無理やり「やらされたい」わけではなく、自分が「やりたいこと」や「やらされたいこと」を形式上「やらされる」という形で「やらされたい」と思っているのが、たいていのM男だろう。

いずれにしても、S女性や女王様は、M男を「男」としては見ない。
その最もわかりやすい例というか、象徴する行為が、所謂スカトロ系のプレイだろう。
本来、人にとって、というか特に女性にとって、排泄という行為は、羞恥心と背中合わせだ。
必ずしも全ての女性がそうだと言い切れないが、たいていの女性にとって排泄している姿というのは、人には見られたくないものだし、見られることは恥ずかしいはずだ。
排泄は、人間であれば老若男女、誰でもしていることではあるが、ふつうはアンタッチャブルな行為として、個室に籠もって、ひとりで、密かに済ます。
だから女性を辱める効果的な手段として、しばしば排泄行為は利用される。
つまり、人前でうんこをさせて、羞恥心を煽るのだ。
正確にいうと、させるだけでは足りない。
ひり出している様子を撮影し、それを後から本人に直視させることで、効果を倍増させるのだ。
そうして屈辱的な気持ちに突き落とし、その結果、女を服従させるというのは、トラディショナルな方法のひとつとなっている。
人前でうんこをさせ、それを本人にも見せつければ、どんな気丈な女でもあらかた落ちる。
この場合、自然排泄ではなく浣腸による強制排泄だと、一層被虐感が強められるだろう。
もちろん、うんこなんて、そんなに恥辱を煽るほどのものか? という意見はあるだろう。
実際、テレビのCMなんかでも、便秘解消のサプリなどの効果として「いっぱい出た」とか「毎朝、どさっとすっきりです」とか、女性がカメラの前で堂々と笑っているが、ほとんどが女性であることを半ばもう放棄しつつある年齢層の人が多いし、微妙にギリギリまだ女として魅力のある熟女も時々は登場するが、そういう人の場合は表現がソフトになり、間違っても「ドッサリ出た」なんて口にしない。
それに、ここからが肝になるのだが、たとえそういう風に平気で便秘を人前で話題に出来ているとしても、ではその出しているところを見せてくれ、と言われて、素直に見せられる女性がどれだけいるのか、ということだ。
わかりにくければ、ちょっと想像してみればいい。
たとえば、世間や周りの人間たちなど完全に見下している高慢なインテリの美人ニュースキャスターが、浣腸された状態で生放送のニュース番組に出演し、カメラの前で派手に糞便を撒き散らしてその一部始終が全国放送で流されてしまったら、最悪の場合、自殺してしまうかもしれない。
もちろん、どんな知的で勝気な美人だって、うんこくらいすることは視聴者のすべてが知っている。
しかし、それを見せるとなれば、話が違ってくる。
つまり、口ではいくらでも言えても、その行為を見せること、見られることは、全然話が別なのだ。
そしておばさんたちでさえそうなのだから、若い女性となれば、やはり話題にすることすら滅多になくなる。
女同士のざっくばらんな会話の中なら平気だろうが、女性は異性の前でうんこの話なんかまずしない。
アイドルとか女優なんて、昔から、おしっこはもしかしたらするかもしれないが、うんこはしないことになっている。
要するに、それほど排泄というのは、デリケートな行為なのだ。
普段どれだけ着飾り、化粧をしたり香水を振りまいたり、煌びやかなアクセサリーを身につけたり、素敵なレストランで豪華な食事をしたり、クールなバーでカクテルグラスを傾けているとしても、一皮剥けば、どんなに気取った美人であろうと、トイレの個室では尻を丸出しにして犬や猫や猿や熊など自然界の動物と同じように糞尿を排出する。
時には、鼻がひん曲がるほど強烈に臭くて太いアナコンダのような一本糞を捻り出したり、殺人的な悪臭を放つ下痢状の軟便を勢いよく噴出させることもあるだろう。
そういう事実を突きつけることで恥辱感を最大限に煽るのが、排泄命令という責めだ。
それくらい人前での排泄には強力な破壊力がある。
ただし逆にいうと、排泄を見られることに何の恥ずかしさも感じない相手には、全く通用しない。
そして、それを考える時、女王様とM男の関係の特殊性が浮かび上がる。
女王様は、M男の前で排泄することに、何の抵抗もない。
おしっこなんて、当たり前のようにぶっかけるし、飲ませる。
うんこでさえ、ボウルや皿に、或いは直接M男の顔を跨いで尻を落とし、鼻や口に捻り出す。
それはどういうことを意味するかといえば、M男を人間としては全く見ていない、という明らかな証拠だ。
M男サイドとしても、女性が排出する排泄物は、所詮「おしっこ」や「うんこ」なのに、崇拝する女性から与えられるものであればそれは「聖水」や「黄金」と呼んで崇めるから、もはや通常の「排泄行為」とは意味合いが違っている。
女王様にとって、M男なんて男である以前に、人間ですらないという認識だから、平気で排泄できるし、映像作品として残すことも弱みにはならない。
もしも少しでもM男を「人間」と思ったら、その前で排泄なんかできない。
おしっこくらいなら、ファッションヘルスのオプションにもあるくらいだからハードルは低いかもしれないが、やはりうんこは難しいだろう。
しかしM男は人間ではないから、そこに葛藤は生じない。
いくら女王様でも、彼氏とか好きな相手の前では、一人の可憐な女性として、その前で排泄するなんてできないだろう。
尤も長年連れ添った夫婦とかなら、今更どうってことないかもしれないが、「男」と「女」という感覚が残っている状態の関係で、女が男にうんこを見せることはなかなかできないだろうし、できないどころか、実行に移せば羞恥プレイになってしまいかねない。

だから、このような様々な事実を鑑みると──いや、本当はわかりきっていることなので最初から鑑みる必要など全くないのだが──M男がS女性や女王様に対して恋心を抱くことは無駄というか、無謀だとわかる。
それは、女王様を異性として想うなんておこがましいとか、M男として身の程を弁えるとか、そういうレベルの話ではない。
犬や猫が飼い主のことが大好きで、飼い主もペットの犬や猫のことを愛していても、それ以上の展開は存在しない。
女王様とM男も、同じだ。
主従関係の先に、展開はない。
それだけのことだ。

とはいえ、いくら君がせっせと小理屈を捏ねくり回し、わざわざ一見難解そうでその実、べつにたいしたことは述べていない面倒臭い言い回しを駆使しながら、さもM男が、さもSMプレイが、常人には理解しがたい選ばれし者のみが享受できる高尚で崇高な趣味であるかのように主張してみても、所詮君は単なる一匹の破廉恥な変態マゾだ。
可愛い女の子や美しい女性の前で恥ずかしい姿を晒して昏い歓びを感じる、憐れな存在だ。
女性の前に跪き、罵倒や侮蔑の嘲笑を浴びて嬉しく感じながら、蒸れた足だの腋だのの匂いに歓喜し、着用済みのパンティやソックスに異常なほど思い焦がれつつ執着し、犬のように首輪をつけてリードを持たれて引かれたり、鞭を打たれたり、縛られたり、吊られたり、唾を吐きかけられたり、ビンタをされたり、蹴られたり、尻で顔を押し潰されたりして昂り、時にはトイレにもなり、挙げ句には、本来はひとりで他人に知られずこっそりと済ますべき自慰を堂々と披露して惨めに果てる、救いようのないマゾ豚なのだ。

それでも、君は構わない。
君はたったひとり、孤独と手を携えながら、前へ進む。
果たして君がどこに辿り着くのか、そもそもどこかに辿り着くことがあるのかどうか、それすらわからない。
しかし、君は行く。
君にはもう、退路などないのだ。
あるのは、先へと続く不確かな、地図にない道だけだ。

カテゴリー:金の鎖、銀の鞭

桜流しの雨

寒い、曇天の深夜、今にも雨が降り出しそうな気配だが、かろうじてまだ持ち堪えている。
満開の時期を少しだけ過ぎた桜の巨木の下に、君は全裸で立った。
着ていたものや所持品はまとめて近くの地面に置いてある。
雨の予感を孕んだ、冷たく湿った風が吹く度に、はらはらと花びらが舞い散って、君は震えた。

「お許しください」

奥歯がガチガチと鳴るのを抑えながら、君は懇願した。
寒さと惨めさと恥ずかしさのため、ペニスは完全に縮みあがりながら、陰毛の茂みに中に半ば埋もれている。
せめて股間くらいは手で隠したいが、両手は体の横にピタリとつけて立っているように厳命されているため、それは叶わない。

「許すわけないだろ、どアホ」

ピンクのウルトラダウンのジャケットにダメージデニムのホットパンツを履いた女の子が、腰に巻いていた革のベルトを引き抜くと、それを鞭にして、まるで君に見せつけるように、勢いよく虚空で振ってみせた。
ひゅん、と空気を切り裂き、怯える君を見て彼女は笑う。

「お仕置きが必要でしょ」

女の子はそう言うと、君に近づき、いきなりベルトを叩きつけた。
鞭に見立てられたそのベルトは夜の中でしなり、まるで漆黒の蛇のように獰猛に君に襲いかかる。
パシッ、という乾いた音が響いて、君の体にヒットする。
たちまち赤い跡が刻まれる。

「うぎゃー」

君は絶叫した。
冷え切った体に打ち据えられた革のベルトの痛みは、尋常ではなかった。
しかし君の絶叫など意にも介さず、女の子は続けて何度も自由に君を打つ。
その度に君は体を左右に捩り、地面の上で跳躍する。

「申し訳ございません、どうかお許しください」

君は鞭の乱打に耐え切れず、目に涙を浮かべながらその場で土下座をすると、額を土の地面に擦り付けた。
微細な小石が額の肌に食い込んで痛かったが、そんなことに構ってはいられなかった。
普段から奴隷を調教していて様々なテクニックを習得しているS女性や、鞭を振るうことを生業とするクラブの女王様ではない、若い女の子が遊びの延長で打つ鞭は容赦ないだけでなく、危険と背中合わせだった。
君は何度も目や耳に当たりそうになるのを避け続けたが、もう限界だった。
身体中ににミミズ腫れのように跡が刻まれていて、痺れるように痛かった。
もちろん変態M男である君にとって鞭は、日常的なツールだ。
躾の一環として、そして時には罰として、君はしばしば鞭に打たれる。
SMクラブへは、金を払ってわざわざ自分から鞭に打たれに行く。
そんなことは、とうてい常人には理解できない感覚だろう。
普通の人は、お金を出していじめられになんか行かないし、鞭打ちとは無縁だ。
一般的な社会生活を送っていて鞭に打たれる機会なんて、まずない。

しかしそこそこキャリアのあるM男としてそれなりに鞭は経験していても、革のベルトの衝撃は想像以上だった。
気づくと君は本気で泣いていた。
それを見て女の子はせせら笑った。
「お前、いい歳ぶっこいてマッパで泣いてんのかよ」
そう言って、地面で体を丸めながら跪いている君の背中に、ひときわ強烈な勢いでベルトを振り下ろした。
「うぎゃーーーー」
たまらず君は転がった。
股間を丸出しにして七転八倒している君を見下ろして、女の子は爆笑した。
「超おもしれえ」
君は息を切らしながらどうにか再びひれ伏すと、改めて哀願した。
「どうか、どうかお許しください」
すると女の子はようやくベルトを下ろし、髪をかきあげた。
「まだ許さんけど、とりあえず疲れたからやめてやるわ」
「ありがとうございます」
君は地面に額をつけたまま、安堵して礼を述べた──。

君は、彼女とは今夜が初対面だった。
しかもまだ出会ってから、小一時間しか経っていない。
尤も、この邂逅のきっかけが、果たして「出会い」と呼んでいいものか、かなり怪しかった。
というのも、最初に彼女を見かけたのは、帰りの電車の中だった。
君は車内に乗り込んだ瞬間、すでにドアの近くに立っていた彼女を見て、一目で、素敵だ、と思った。
美人で、派手で、背が高く、太ってはいないが痩せてもおらず、ダウンジャケットを着ていても隆起が目を引くくらい胸が大きくて、君は自分の分を弁えながら、絶対に一生自分には縁のない別世界の住人だと自覚しながら、それでも見惚れてしまった。
だから、常に視界に彼女が入る位置で吊革に掴まり、チラチラと観察した。
大きな胸は、揉むと柔らかそうだった。
顔を埋めて溺れたら天にも昇る心地だろうな、と君は思った。
短いホットパンツから伸びる脚のラインが肉感的で素晴らしかった。
足元のごついブーツも、君の妄想をかき立てた。
今、あのブーツを脱げば、きっと素敵な芳香が匂い立つはずだ。
そう思うと、何もかもを投げ捨てて足元に跪き、調教を請いたくなった。
しかし、そんなこと、できるはずもなかった。
君は、あまり直接じろじろと見ていたら不審がられ気づかれるかもしれないと思い、時々視線を外し、暗いガラスの映る彼女の姿を、反射越しに眺めた。
あんな女の子にセックスを教えてもらえたら最高だろうな、と君は夢想した。
君はM男であると同時に、セックスに関しては何年も前に一度だけソープで一回経験したことがあるだけの素人童貞でもあるので、素敵な女性を見ると、セックスを「教えてもらいたい」という気持ちになりやすいのだった。
間違っても「やりてえ」みたいには思わない。
というか、「やりてえ」と思っても経験のほとんどない君には、そもそもやり方がわからない。
尤も、経験豊富な女の子を相手に、もぞもぞしながらどうしたらいいかわからず何もできないままにオドオドし続け、その様子をあからさまに嘲られ小馬鹿にされるという構図は、M男としては充分に魅力的だ。
しかし残念ながら君は基本的に気弱で、大前提として素人の女の子に声をかけたりすることができないので、そういう状況まで辿り着けない。
プロの女性なら、お金さえ払えば君でもいろいろできるかもしれないが、商売で君を相手にする女性たちにとって君はあくまでも「お客さん」だから、基本的にみな優しく、君が期待するような本気で屈辱的な行為は望めない。
厳しく責めてくれるのはSMクラブの女王様くらいだが、女王様は君に体を許すことがない。
つまり、君は四面楚歌なのだ。

やがて車内にアナウンスが流れ、列車が減速して、「普通」しか止まらない小さな駅に到着した。
その駅で、彼女は下車した。
君は、もっと長く見ていたかったのに、と後ろ髪を引かれる思いで、ドアから出て行く彼女の背中を見送った。
揺れる栗色の髪がホームの明かりを受けて煌めき、その瞬間、特に何も考えず本能的に君もドアに向かっていた。
君が降りるいつもの駅はまだ先だったが、衝動的に君は彼女を追ってしまっていた。
もちろん、だからと言って彼女に声をかけようとか、そんなことは微塵も考えてはいなかった。
だいたいそんなことできるはずがない、と自分でもわかっていた。
では、なぜ一緒に降りてしまったのか、その理由は簡単だった。
何をするというわけでもなかったが、もう少し彼女の姿を目に焼き付けたかったのだ。
プラットホームで距離をとって後ろについて歩いて行くと、ホットパンツに包まれた窮屈そうな尻のボリュームが圧巻だった。
歩くたびに躍動し、君を挑発した。
彼女の数メートル後方の空気の中には、彼女の香水の残り香が漂っていて、君は密かにそれを吸引した。
女の子はICカードで改札を抜けた。
君は定期で外に出た。
周囲に下車客は少なかったが、彼女はまったく君の存在に気づいていないようだった。
女の子は駅前広場を横切るように歩きながらバッグから電話を取り出して、画面を弄り、すぐにまたしまった。
君は冷たい外気に包まれてコートの襟を立てた。
その時ようやく、自分は何をやっているのだろう、と冷静な気持ちを取り戻した。
駅の時計を見ればもう午後十一時に近く、まだ週の半ばで明日は休みというわけではなく、しかももう少ししたら雨が降り出しそうだというのに、全然知らない駅で途中下車をして、絶対に触れ合うことなど叶わない別世界の住人である美人を、目的もなく尾行している。
その「尾行」という言葉がごく自然に脳裏に浮かんだ瞬間、君は自分が怖くなった。
これではまるで変質者ではないか、と思った。
君には、自分は紛れもなく変態のM男だが決して変質者ではない、という自負があった。
しかし見ず知らずの女性を「尾行」している自分は、「変態」のボーダーラインを軽々と超越し、「変質者」の領域に足を踏み入れているのではないか、と思った。
君は人気もなく、明かりも乏しい街路を歩きながら、気づかれる前にもうやめよう、と思った。
それでも、数メートル先で揺れる尻を眺め、香水の残り香に包まれていると、なかなか踏ん切りがつかなかった。

と、その時、女の子が歩調を緩め、バッグの中を弄って携帯電話を取り出した。
その際、電話と一緒にハンカチのような小さな布がバッグから出て、はらはらと地面に落下した。
しかし女の子はそのことに気づかず、電話を耳に当て、通話しながら歩いていく。
話の内容は聞こえてこないが、何やら楽しそうな様子は雰囲気から伝わってきた。
君は、彼女のバッグから落下した物体のところまで辿り着いた。
それは案の定、ハンカチだった。
一瞬、使用済みのパンティかパンストだったら良かったのに、と君は残念に思ったが、そんなものが無造作にバッグの中に入っているはずがなかった。
君は足を止め、地面のハンカチを見つめながら、思案した。
道路の先を見ると、女の子は通話を終えて、再び電話をバッグに入れながら遠ざかっていく。
もしかしたらこのハンカチはあの女の子の汗を吸っていて、匂いを嗅ぐと幸せになれるかもしれない、と君は考えた。
どう見ても彼女が気づいている様子はないから、このままポケットに入れて失敬してもわからないだろう、と思った。
しかし、それをすると厳密には「犯罪」になってしまうのではないか、とも思った。
それに、もしかしたらこのハンカチは彼女にとって何か思い出があるとか特別なものかもしれない。
であるならば、拾って、彼女に声をかけて、「落ちましたよ」と手渡した方がいいかもしれない。
いくら異性とは緊張してまともに話せない気弱な君でも、落し物を拾って渡すことくらいはできそうな気がした。
ひとまず君は屈んでハンカチを拾い上げた。
そして匂いを嗅ぎたいという衝動をぐっと我慢しながら、立ち上がり、前方へ目を遣った。
どんどん女の子の背中が遠くなっていっていた。
君は匂いを嗅ぐ代わりに、コートの中に手を入れてズボンのジッパーを下ろした。
続いてコートの中で半ば勃起し始めていたペニスを引っ張り出すと、改めてハンカチを入れて、ペニスをそのハンカチで包んだ。
そのままゆっくりとシコる。
たちまち完全に勃起し、たまらなく快感だったが、いつまでもやっていられることではなかった。
君は名残惜しかったが、ペニスはコートの下で出したまま、ハンカチだけを取り出した。
ハンカチには、ペニスの先端から滲み出た透明な汁が付着していた。
君は想定外の事態に焦り、急いでハンカチを擦り合わせてそれを誤魔化した。

そうしている間に、気づくと前方から女の子の姿が消えていた。
君は慌てて適当にハンカチを持つと、急ぎ足で先へ進んだ。
小さな交差点が連続していて、その度に足を止めては、左右に視線を走らせた。
しかしなかなか彼女の姿は見えなかった。
どうしよう、と困り果て、探すことを諦めようとした時、緩いカーブの先に横たわる川の土手の上に彼女の姿が見えた。
土手の上に道があるのか、桜並木が見えた。
ほぼ満開の桜たちが、夜の中で仄白く咲き誇っている。
その圧倒的な無言の美しさに、彼女の姿はまったく負けていなかった。
君はふと足を止めて、まるで夢のような光景だ、としばし見惚れた。
とはいえ、いつまでもそうしているわけにもいかず、君は急ぎ足になると、土手へ向かった。
そして、どこかに階段があるかもしれなかったが、わからなかったので、君は草が生える土手を強引に駆け上がった。

土手の上は、歩行者と自転車のための遊歩道になっていた。
その道に沿って桜の木が植えられていて、先に広がる河川敷の公園までそれは続いていた。
遊歩道も公園も、ひっそりと静まり返っている。
公園は芝生が敷き詰められた広場で、野球場やゲートボール場やテニスコート等が併設されていたが、照明は落とされ、どこも無人だった。
君は、こんなところで背後から突然声をかけたら思いっきり警戒されるのではないか、と心配になった。
不埒な気持ちは一ミクロンもなかったから、不審がられたら心外だった。
しかし、ハンカチが落ちてからもう随分経っているし、遅くなればなるほどなんだか怪しくなりそうな気がして、君は勇気を振り絞ると、少し歩速を速めて彼女の背後へ距離を詰めた。
そして、街灯の光のエリアから外れた場所で、一度ゴクリと唾を飲み込んでから、君は声をかけた。

「すいません」

その声は若干上擦り、緊張のせいで自分でも少し震えているように思ったが、なんとか君は言った。
すると、女の子は足を止め、怪訝そうな顔で振り向いた。
無言のまま、君を値踏みするように見る。
君は「何か?」とか「はい?」とか、何かしら言葉の反応があるものだと勝手に想定していたので、無言で見つめ返されて緊張の針が一気にレッドゾーンまで振れてしまった。
それでも、声をかけて呼び止めた君がいつまでも黙っていることは不自然だったので、女の子の視線に怯えつつも、小声で「あのう」と言った。
そして反応を伺うような視線を彼女に向けつつ、ハンカチを差し出した。
「こ、これ、落ちましたよ」
ついに吃ってしまい、君はそれを誤魔化すように急いで付け加えた。
「あなたの、ですよね?」
女の子は君を見つめたまま、手を伸ばしてそれを受け取った。
「そうね」
彼女は言うと、君に訊いた。
「あたし、これ、どこで落とした?」
君は、とりあえず「ありがとう」くらいは言って貰えるとばかり思い込んでいたので、不意にそんなことを訊かれて混乱した。
どこで? と問われても、落ちたのはもうかなり前だし、場所なんて正確にはわからなかった。
だから、君はしどろもどろになりつつ、こたえた。
「どこかとかはちょっとわからないですが、バッグから落ちたのを見たもので……」
「電話に出たときかな?」
女の子は独り言のように言って小首を傾げた。
「ですね、たぶん」
君が同意すると、女の子は急に訝しげな顔をした。
「でも、電話がかかってきたのってもう五分以上前だし、もしかしてずっとつけてきたの?」
そう言われて君のパニックは頂点を迎えた。
最も恐れていた点を指摘されてしまった。
君はもうまともにこたえることかできず、渇ききってしまっていた唇を忙しなく舐めながら地面に視線を落とした。
「えっと、そのお、別につけてきたとか、そういうことじゃないんですけど……」
完全に挙動不審に陥りながら、君は必死に言葉を並べた。
内心ではこの状況が恐ろしくてたまらなかったが、M男としてはどうしようもなく昂ぶってしまい、あろうことかコートの下でペニスがムクムクと勃起を始めた。
女の子はそんな君を冷静に見下ろしながら、何気なくハンカチを広げた。
すると、先ほど君が付着させてしまった透明な汁の滲みが布地を透かしていて、女の子は怪訝そうな顔でその染みと君の顔を交互に見た。
君は裁判官が下す判決を待つ罪人のような心持ちで女の子の一挙手一投足に意識を向けていた。
女の子は、ハンカチを自分の鼻先に近づけ、その染みの部分の匂いを軽く嗅いだ。
そして次の瞬間、明らかに眉間に皺を寄せて唇の片方の端を苛立たしげに持ち上げながら君を睨み、鋭い口調で詰問した。
「お前、拾ったはともかく、そのあと、何した?」
女の子の迫力に君は完全に気圧され、体を硬直させた。
同時に、勃起も限界を迎えた。
「こんな汚いもん、もう要らんわ」
女の子は穢らわしそうに口元を歪めながらハンカチ無造作に丸めて桜の木の根元に放り捨て、それでもそのまま君が何もこたえられないでいると、君に歩み寄り、コートの胸元を掴んで捻り上げた。
「何したか正直に言わないと、警察に突き出すぞ、あ?」
君は射るような強い目で睨まれ、「警察」という単語にすっかり怯えながら、しかしコートの下ではペニスをそそり勃たせつつ、体を震わせた。
「おら、何とか言えよ」
女の子がコートの胸元を掴んだまま君を前後に揺すった。
体格通り、凄まじい力だった。
非力な君は、いいように揺さぶられながら、ただ恐怖を感じていた。
何度目か揺すられた時、コートのボタンが弾け飛んだ。
すると、コートの前がはだけて、ズボンから露出したままのペニスが彼女の視界に入った。
それを見て、女の子は激昂した。
「てめえ、変態かよ」
そう言って勢いよく君を突き飛ばした。
君は呆気なく地面に転がり、そのまま土下座をして許しを請うた。
「すみません」
もうとにかくひたすら謝って許して貰うしかなかった。
こんなところで性器を露出させてしまった以上、どんな言い訳ももう通用しない。
どこからどう見ても単なる変質者だ。
しかも女の子はおそらくハンカチに付着している染みが何であるかわかっていそうだった。
ということは、落としたハンカチを拾って親切に届けたといえば聞こえがいいが、実際には、延々と列車から尾行していて、たまたま落ちたそのハンカチを拾い、それでペニスを包んでオナニーをしてシミを付着させ、しばらくさらに尾行した末に手渡しながら卑猥な性器を堂々と開陳した、ということになり、事情を何も知らない他人が判断すれば、どう考えても変質者以外の何者でもない感じだった。
加えて、タイミングが悪いことに、露出したペニスは完全に勃起していた。

「ムカつくわ、マジで」

女の子は吐き捨てると、胸倉を掴んだまま君を土手の上の遊歩道から引き摺り下ろし、野球場のベンチの裏へ連れ込み、一本だけ立っている桜の巨木の根元で君を突き飛ばした。
その場所はどこからも死角になっていて、仮にジョギングや犬の散歩をしている人が遊歩道を通りかかっても見えないし、たとえ大きな声を出しても距離があるから届きそうになかった。

「全部脱げ、変態!」
女の子は凄まじい剣幕で君を蹴りつけながら命じた。
「はい!」
君はこれ以上女の子を怒らせないことだけを考えながら、彼女の命令に従い、急いで服を脱ぎ始めた。
恐怖心と寒さで、ペニスは一気に勢いを失って項垂れた──。

「お前なあ、いい加減、ハンカチに何つけか正直に言えよ」
ベルトを腰に戻し、ひれ伏している君の髪を掴んで引き起こすと、女の子は問うた。
満身創痍で泣いている君は、しゃくりあげながら、こたえた。
「すいません、チンポを包んでシコって我慢汁をつけてしまいました……本当に申し訳ございません、でも……」
「でも?」
女の子が、髪を掴んだまま君の前で股を広げながらしゃがんで、間近から君を冷たい目で見つめた。
「い、いえ、あの、決してわざとじゃなかったんです……我慢汁をつけて汚すつもりはなかったんです……」
必死に君は言ったが、女の子は君の言葉を全否定した。
「つもり、とかどうでもいいんだよ、やったこと自体キモいし、そもそも言い訳すんじゃねえよ、ド変態の糞マゾが」
そう言ってビンタを張った。
「申し訳ございません……」
君は項垂れた。
その視界に、足を広げてしゃがむ女の子の太腿の内側が飛び込んできた。
更に、その太腿と、裾とは呼べないほど極度に短いデニムのホットパンツの裾の僅かな隙間に、ワイン色のレースのパンティがちらりと覗いて、君は思わず生唾を飲み込んで凝視してしまった。

「何、見てんだよ、豚!」
女の子は立ち上がると、すかさず右足を上げて後方へ引き、勢いをつけて君の股間を下から抉るように蹴った。
ブーツの硬い甲が君の陰嚢を直撃し、君はたまらず飛び跳ねて絶叫した。

「うぎゃーー」

翻筋斗打って倒れこむ。

「おもしれえ」

女の子は爆笑すると、蹲っている君を無理やり引っ張りあげ、命じる。
「足広げて、膝で立て」
「はい……」
君は恐る恐る言われた通りの姿勢をとった。
すると女の子は再び君の股間を蹴り上げた。
脳裏に白い光がスパークする。

「アゥッーーーー」

君は呻いて華やかに跳躍した。
そして股間を手で押さえながら前へとつんのめり、そのまま倒れて体を丸めた。

その時、唐突に雨が降り出し、いきなり凄まじい豪雨になった。
強い風が吹き、桜の花びらが一斉に舞い散って、夜を白く染めた。

「うわっ、すごい雨」

女の子がベンチの屋根の下へ駆け込んだ。
しかし君は動けなかった。
股間の痛みに耐える君の裸の体を、冷たい雨が激しく容赦なく叩いた。
風と雨によって枝から強引に引き千切られた大量の花びらが、濡れた君の体に降りかかって貼りついた。

君は動けないまま、桜流しの雨に打たれ続ける。
そして傾いた視界の中、ベンチの軒下で雨宿りをしている美しい女の子を見る。
白い雨の幕の向こうに霞む、濡れた髪や肩を手で払っている女の子は、幻のように素敵だった。
君は体を丸めながら、すっかり萎えてしまっているペニスをそっと握り、思う。

いつになるかしれないが、もしもこの後、無事に解放されたら、先ほど女の子が捨てたハンカチを拾って帰ろう……。

カテゴリー:金の鎖、銀の鞭

春の雪はまだ止まない

季節外れの大寒波が襲来し、三月の日本列島は震え上がった。
もうそろそろ冬物の衣服はしまおうかと考えてしまうくらい温い日々が続いていたのに、一気に真冬に引き戻されてしまった。
その寒さのぶり返しは、なまじか小春日和を経験してしまっていたので、余計に厳しく感じられる。
しかも、昼を過ぎると、雪まで降り始めた。
その雪は「舞う」というより「降る」という量で、街は瞬く間にうっすらと白く染まった。
ただし、軽い雪ではあったので、何センチも積もることはなく、公共交通機関網の混乱にまでは至らなかった。

君はそんな日だったが、終業後、交通事故で入院している同性の友人の見舞いのため、国立の大きな病院へ向かった。
定時で職場を辞すと、地下鉄を乗り継ぎ、駅からは傘を差して十分近く歩き、病院に着いた。
その徒歩の間に、体はすっかり冷え切ってしまい、病院に着くと、君は病室へ向かう前に自販機で熱いコーヒーを買って、ひとまずロビーでそれを飲んだ。
外来の診察の時間が終わっている大病院のロビーは、照明が若干落とされ、閑散としていて、あまり居心地の良い感じではなかった。
尤も健康な人間にとって病院なんて、もともとそんなに印象は良くなくて、できれば近づきたくない場所ではある。
時々、看護師や医師がロビーを行き交い、見舞い客が出入りする様子を眺めながら、君はコーヒーを飲んだ。
そして紙コップが空になるとそれをゴミ箱に捨て、友人の病室へ向かうためにエレベーターまで歩いた。
時間帯的なものか、エレベーターは六基のうち四基が止まっていて、二基だけが動いていた。
ボタンを押すと、すぐに箱が来て、ドアが開いた。
君は乗り込むと、七階のボタンを押した。
エレベーターの中は君だけだった。
壁にレストランや喫茶室の案内が掲げられていたが、腕時計を見ると六時半で、営業はもう終わりのようだった。
七階について箱から出ると、病棟は少しだけざわついていた。
夕食の時間がそろそろ終わりなのか、廊下に配膳のための大きなワゴンが出ていて、介護士の人たちが忙しげに動き回っている。
君は館内案内で病室の位置を確認すると、目的の部屋へ向かった。
途中にナースステーションがあり、多くの看護師の姿があった。

見舞いを終えた君は、病院の建物を出ると、粉雪が降りしきる寒い雪の中、駅へ向かって傘を差して歩き出した。
念のためなのか、チェーンを装着したタクシーがジャリジャリと音を立てながら、ゆっくりと道路を走っていく。
こんな天候だからか、交通量は少ない。
バイクの自損事故で大腿骨など複数の箇所を複雑骨折して入院していた友人は絶対安静の割に元気そうだった。
薬のせいか痛みもあまりないらしく、個室ということもあって、他人に気兼ねすることなく小一時間、君は友人と話をして過ごした。
お菓子を差し入れ、見舞いの品としてクロスワードパズルの本を渡した。
君は人気のない街路を歩きながら、この後、どこかで簡単に夕食をとったら、風俗へ行こう、と思った。
君は筋金入りの変態M男だが、しかし今夜はSMクラブという気分ではなく、M寄りだが、女の子のコスチュームを選んでプレイできるイメクラへ行きたいと考えていた。
コスチュームは白衣を選びプレイをするつもりだ。
病院にいる間に、病棟で立ち働き、ナースステーション等に集っている看護婦さんたちを見ていたら、不謹慎にもそんな気分になってしまったのだ。
むっちりとしたお尻を包み込む窮屈そうな白いズボンの下にうっすらとパンティラインが透けて浮かんでいたり、こてんぱんに穿きこまれたソックスの爪先がサンダルの先からチラリと覗いていたり、そんな看護婦さんたちを見ていたら、たまらなくなってしまったのだ。
もちろん、だからと言って本職の看護婦さんたちとどうこうなんてできるわけがない。
だから疑似体験できるイメクラで、女体に溺れたくなったのだ。
それでも、君のベースはMだから、責めることは難しく、責められたい気持ちが強い。
だからソフトMコースのあるイメクラが、今夜の君にとっては、本格的なSMクラブより「気分」なのだった。
とはいえ正直、これだけ寒いと流石の君でも、やはり今夜はこのまま家に帰ろうか、という気持ちにもなった。
しかし、逆に言うと、こんな日だからこそ店は空いていて、可愛い子とプレイできるのではないか、という期待も持てた。
それに、どうせ店のある繁華街は、帰り道の地下鉄沿線途中にあり、駅から徒歩五分ほどだ。
だから、やはり行くことに決めた。
君は駅まで戻ると、蕎麦屋でたぬきそばといなり寿司のセットを食べてから、地下鉄に乗って繁華街へ向かった。

雪が舞う極寒の繁華街は、人通りが少なかった。
酔客の姿も疎らで、君は慣れた足取りで、裏通りにあるイメクラへ向かった。
通りに入ると、前方に店の派手な電飾看板が見えた。
店は地下にあり、君は狭くて急な階段を下りていく。
初めての客を安心させるように、各種コースの料金が階段の壁にも掲示されている。
君はいつも60分のソフトMイメージコースだ。
お金のないときは、イメージではなくヘルスコースを選ぶ。
そちらだとコスチュームや「ごっこ」的なサービスがないので、若干安い。
しかし今夜の気分は、必ずしも財布の中身に余裕があるわけではなかったが、イメージのソフトMコースだった。
コース名に「ソフト」と付いているが、「ハード」のコースが設定されているわけではない。
どのみち「ソフト」しか存在しない。
ちなみにイメージコースにはSコースもあるが、もちろん君は一度も経験がない。
尤もSコースはMコースより更に料金が少し高く設定されているので、君にとってはありがたいことではあった。

女の子はマジックミラー越しに選ぶシステムだ。
コースやコスチュームを選び、料金を支払ってしばらく待合室で待っていると、お待たせしました、とボーイに呼ばれ、別室へ向かう。
するとそこには大きなマジックミラーがあって、君が着席すると、室内の照明が落とされ、賑やかな音楽が大音量で流れ出して、ガラスの向こうに女の子たちの姿が浮かび上がる。
この瞬間が、君は大好きだった。
一気に気分が上がる。
女の子は七人いて、みんな同じOL風の極端にスカートが短い制服を着て、二列で椅子に座っている。
列には段差があるので、後ろの列でもちゃんと見える。
君は女の子たちを見ていった。
胸につけた名札に、源氏名が手書きされている。
「如何ですか?」
隣で傅いているボーイが訊いた。
君は、前の列の右端の大柄な女の子を選んだ。
「じゃあ、向かって右の端の人で」
源氏名で「〇〇ちゃん」と呼ぶのが恥ずかしかったので、君はそういう言い方をした。
「かしこまりました」
ボーイは恭しく頭を下げて、照明や音楽をコントロールしている人に合図を送った。
すると天井の照明が戻ってガラスの向こうが見えなくなり、音楽が止んだ。

──それから一時間後、君は満たされた気持ちでプレイルームを出た。
待合室の手前まで女の子に送られ、そこで接客はボーイに受け継がれ、君は「ありがとうございました」と頭を下げた彼に「どうも」とこたえて店を出た。
狭い階段が地上へとまっすぐ伸びている。
出口の四角く小さく切り取られた空は暗く、白い雪片が風に巻き上げられるように吹っ飛んでいた。
「寒っ」
君は思わず呟き、コートの襟を立てた。
プレイは濃厚だった。
君はエッチな看護婦さんに散々責められ、いろいろな部分を触り、いろいろな部分を舐めた。
大柄な女の子の体は柔らかく、その肉感に君は耽溺した。
そして互いに性器を貪る69の態勢で、君は呆気なく撃沈した。
女の子が君の顔を跨ぎ、君は下から、大きくて柔らかく豊かな尻を抱きながら股間に顔を埋めて性器を舐め尽くしながら、ペニスをしゃぶられ、しごかれ、イッた。
濡れやすい女の子で、果てた時、君の口の周りはベトベトだった。
君はプレイ内容を思い出すとニヤけてしまいそうだったので、思考を中断し、強烈な寒さの中、一段飛ばしで階段を早足で駆け上がった。
実際、寒くてたまらず、さっきまで熱り勃っていたペニスも、射精を果たしたせいもあるが、すっかり縮み上がってしまっている。

君は一気に階段を上りきると、そのまま路上へ飛び出した。
飛び出したといっても、歩道があることはわかっていたので、車に撥ねられる心配はなかった。
しかし君は、車ではなかったが、歩行者とぶつかってしまった。
「すいません」
君はすぐに謝った。
そこにいたのはこんな時間のこんな場所には不似合いな制服姿の女の子の二人組で、そのうちの一人と君はぶつかってしまい、女の子が「痛っ」と言いながら尻餅をついていた。
地面は雪のせいで濡れていて、女の子は手をつきながら「冷たっ」と言った。
「すいません、大丈夫ですか?」
君はもう一度謝って訊いた。
もちろんワザとではなかったし、不可抗力な出来事だったが、いきなり飛び出した君の不注意であることだけは確かだったので、君は、相手は自分より明らかに年下の女の子だったが、丁寧に対処した。
とはいえ、この寒さの中、女の子たちのスカートの裾はふたりとも極端に短く、そのためむっちりとした太腿が剥き出しになっていて、君はつい視線を向けてしまった。
尻餅をついている女の子なんて、立ち上がろうとするために無防備に膝を立てたから、スカートの奥に水色のパンティまで見えてしまった。
君は、慌てて、女の子たちから目を逸らした。
本心としては見ていたかったが、この状況でそんなことは許されなかった。
女の子が立ち上がり、「べちょべちょじゃん」とスカートの尻を気にした後、その場に立ち尽くしている君に向かって、歩み寄った。
「てめえ、ナメてんのかよ?」
そう言い、睨んだ。
連れの女の子も、君を取り囲むようにして立ちながら、一歩進みでる。
「ふざけんなよ、おい」
君は想定外の彼女たちの怒りに、戸惑いながら、更に謝罪の言葉を述べた。
「本当にすいません」
深く頭をさげる。
完全に君の不注意でぶつかって彼女は転んだのだから、謝る以外ない。
しかし、こんな風に恫喝されるみたいに怒りを露わにされると、恐怖を覚えた。
もちろん怒りはもっともだったが、君はまるで因縁をつけられカツアゲに遭っているような気持ちになった。
君は自分よりはるかに年下の女の子たちに怯えながら、しかし謝罪すること以外何をどうしたらいいかもうわからず、立ち尽くす。
幸か不幸か、誰も通り掛からない。
君はふたりの女の子たちに取り囲まれながら、上目遣いで恐る恐る彼女たちを見て、また「すいません」と言った。
女の子たちは腕組みをして、君を見つめている。
その視線のプレッシャーに耐えられなくて、君は地面に目を落とす。
女の子のひとりが、そんな君に言った。
「ていうか、この階段から飛び出してきたってことは、カネ払って抜いてきたところかよ」
小馬鹿にしたような響きを含ませて、女の子はせせら笑った。
君に突き飛ばされた方の女の子が、すかさず店の看板のキャッチコピーを読み上げる。
「エッチなお姉さんがイジメてあげる、だって」
手を叩いて笑い、君に訊いた。
「エッチなお姉さんにイジメられてきたのかよ、おい」
「は、はい……すいません」
「こいつ、Mかよ」
「M男? きめえ」
女子たちは口々に罵った。
君はただ好きなように言われ続けた。
いくら突き飛ばした負い目があるとはいえ、イメクラの利用を揶揄される謂れはなかったし、あまりに屈辱的な状況だったが、マゾとしては悪くないと感じるもうひとりの自分もいて、結局君は再び頭を下げた。
「すいません、申し訳ございません」
しかし、いくら君がM男でも、これ以上ここに留まることは耐えられなかったし、尻餅をついた女の子も特に怪我もなくもう大丈夫そうだったので、君は最後にもう一度だけ「すいませんでした、失礼します」と頭を下げて、この場から足早に立ち去ろうとした。
すると、ぶつかってはいない方の女の子がすかさず君の上着の裾を後ろから掴んで引き留めた。
「ちょっと待てって」
君は引っ張られて足を止めざるを得ず、離脱を諦めると、恐る恐る振り向いた。
依然として通りは無人だった。
凍えるような寒さの中、雪だけが舞い落ちている。
君が突き飛ばした女の子が、君の上着の袖を掴み、顎をしゃくった。
「ちょっと、来い」

君は裏通りから更に雑居ビルの間の狭い路地へと連行された。
「すいません、許してください」
君はふたりのどちらにということもなく、言った。
強引に振り払って逃げようと思えば逃げられそうな気はしたが、穏便に対処しないともっと酷いことになるかもしれなかったから、君は抵抗を断念した。
どうしても、突き飛ばして彼女たちの怒りの原因を作ったのはあくまでも自分、という負い目が拭いきれないため、強気の行動には出られないのだった。
だから君は必死に詫びた。
「本当にすいません、どうかお許しください」
しかし二人とも完全に無視して、聞く耳を持たなかった。
「ぶつかって突き飛ばしておいて何だよ、黙ってついて来い、M男」

君は薄暗い路地の突き当たりまで連行され、ドン、と背中を押されると、そのまま足元を蹴りで掬われて、尻から落ちた。
地面は濡れていて、たちまちパンツまで冷たさが染みた。
「ナメやがってよ」
女の子たちは、揃ってローファーの底で君の肩辺りを蹴って踏んだ。
君は恥も外聞もなく土下座すると、深々と頭をさげた。
「申し訳ございませんでした」
精一杯の誠意を示すつもりで、君は荒れたアスファルト舗装の地面に額をつけた。
そんな君の前に、君が突き飛ばした女の子がしゃがみ、髪を掴んで引っ張り上げた。
視線が上がると、君の目に、たまたまM字開脚になっている女の子の股間に覗く水色のパンティが飛び込んできて、咄嗟に視線を外した。
この状況でそんな部分を凝視してしまったら、火に油を注ぐことになりかねない。
「ていうか、イメクラってJKコスか?」
わざと脚を大きく開いて君を弄ぶように女の子が訊いた。
「い、いいえ」
君は小さく首を横に振った。
「看護婦さんです」
君はアホみたいに正直に否定した。
「どっちにしろ、きめえし」
女の子は吐き捨て、君の顔を至近距離から見つめると、唇を不快そうに歪めた。
君はその視線に怯え、一瞬だけ見つめ返した後、すぐに地面に目を落とした。
正直なところ、M男としての君はこの状況に昂ぶっていた。
通常なら、完全に勃起しているところだ。
しかしあまりに寒いし、先ほど抜いたばかりなので、流石の君でもペニスは漲ってこない。
それでも、気分としてはM男モードのスイッチが入ってしまっていた。
君は地面に両手をついて土下座したまま女の子を見上げ、訊いた。
「あのう、どうしたら許していただけますでしょうか……」
すると、腕組みして見下ろしていたもうひとりが言った。
「あのなあ、そんなもん、ちょっと考えりゃわかるだろ、誠意を示すんだよ、せ・い・い」
そう言って、君の肩を蹴る。
君はすぐにその「誠意」が「カネ」を意味していると悟り、こたえた。
「わかりました、お待ちください」
君は上着の内ポケットから財布を取り出し、中を見た。
しかし、財布の中身は寂しいものだった。
給料日前だし、イメクラの支払いの後だし、中にはもう二千円しか残っていなかった。
しかし、無いものは無いので仕方なく、君はそのなけなしの千円札二枚を抜き出すと、目の前の女の子に差し出した。
「すいません、これだけしか無いのですが……」
すると、女の子は二枚の千円札を奪い取るように手にした後、君の髪を掴んだまま、その頭を何度も揺さぶった。
「シケてんなー、マジで。つか、こんだけじゃ誠意なんて微塵も感じられんわ」
そう言うと、いきなりビンタを張った。
続けざまに何発か往復ビンタを連発し、黙って頬を打たれている君に訊く。
「お前、Mだからビンタされて嬉しいんだろ?」
女の子は更にビンタを張り、ぺっと君の顔に唾を吐いた。
君は、背筋をピンと伸ばしながら、反射的に肯定してしまった。
「はい!」
それは、日常を偽る仮面が剥がれ落ち、まるで蛹から蝶が飛翔するようにマゾの本性が出現した瞬間だった。
代金を支払うことで提供される「プレイ」ではないリアルなM的状況に、君は昏い興奮を覚えていた。
「ありがとうございます!」
君はビンタの礼を述べた。
「マジでキメえ、こいつ」
腕組みして立っている女の子が顔を顰めて言い、君を蹴り飛ばした。
君は為す術もなく後方へと転がった。
しかしすぐに体勢を立て直して正座をする。
「もしかして、おめえ、この状況で勃ってんのか?」
「い、いいえ」
君は頭を振った。
普通なら当然勃起しているが、寒すぎて勃っていない。
というか、正確には、勃たない。
「見せてみろ」
君を蹴り飛ばした女の子が命じた。
「えっ?」
「いいから、立って、下を全部脱げよ」
「ここで脱ぐのですか?」
「はあ? ここ以外、どこがあんだよ? あ? お前アホか?」
「すいません……」
「すいません、じゃなくて、さっさと脱いで起立しろ」
君は観念して頷いた。
「はい、失礼します」
君は立ち上がると、ズボンのベルトを外し、パンツと一緒に引き下ろした。
そして手を体の横にピタリとつけて起立した。
しかし案の定、ペニスは萎えたままだった。
しかも仮性包茎なので、いつもより寒さでいっそう縮こまっているペニスは、包皮が完全に亀頭を包み込んでいる上に、周囲の陰毛を咥え込んでいる。
それを見て二人は爆笑した。
「おい、お前のチンコ、毛を食ってるぞ」
バンバンと両手を大きく叩いて女の子たちは笑った。
「つうかさ、お前、失礼じゃね? 女の子の前で出してるのに萎えたままなんて?」
「は、はい……」
しかしそうは言っても、鋭い刃物のような寒風が雪とともに吹きつけていて、いくら君でもどうにもならなかった。
「とりあえず、ここで跪いて、シコれ」
君が突き飛ばした女の子が命じた。
「はい」
君は地面に膝をつくと、完全に萎んでいるペニスを右手で持ち、ひとまず皮を剥いた。
しかしすぐに元に戻ってしまう。
君は何度も皮を剥き、扱いた。
それでも、一向に勃起する気配がない。
君は焦り始めた。
痺れるように寒いのに体に汗が噴き出てきた。
君は必死に扱く。
なかなか勃起させられない焦燥感が、女の子たちに対する恐怖と緊張感によって更に増幅されて、君はパニックに陥る。
情けない目で女の子たちを見上げながら、謝罪する。
「す、すみません……勃たないです……」

女の子たちは並んで立ち、君を冷徹な目で見下ろしながら、腕組みしている。
君は縋るような憐れな目を女の子たちに向けた。
大人の男のプライドなんて最早微塵もない。
しかし女の子たちは慈悲の欠片も君には与えない。

「は? いいから勃つまで必死に扱け、全力で」
君が突き飛ばした女の子が冷淡に命じる。
そして、もうひとりが、言う。
「で、絶対に出せ、出すまで、帰さんから」

「は、はい……」

君は、無明の淵の底に突き落とされながら、たとえようのない惨めさに打ちひしがれつつ、みすぼらしいペニスを扱き続ける。

「しかし虚しくねえのかな、こいつ」
「それも含めて嬉しいんじゃね?」
無残で無様な自慰を眺めて笑いあう女の子たちの侮蔑の言葉が煌めきながら君を翻弄する。

鋭い風が孤独な路地を吹き抜けていく。
雪片が踊るように舞う。

「それにしても情けない姿だな」
「人間じゃねえよ、マジで」
女の子たちの嘲る声が君に降り注ぐ。

春の雪はまだ止まない。
一向に止む気配がない。

君は依然として縮こまったままのペニスを侘しく一心不乱に扱く。

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たった一葉

仕事を定時で終えた君は、帰り支度を始めた。
周りの同僚たちも残業はしないようで、「お疲れ様でした、失礼します」と言って、次々に席を離れていく。
君は私物をブリーフケースにしまい、椅子の背に掛けていたジャケットを着ると、電話をその内ポケットにしまった。
そしてコートを取りに行こうとロッカーへ向かいかけた時、別の部署の女子社員から声をかけられた。

「ちょっと、時間ありませんか?」

彼女は、君とは所属する課が違うので、あくまでも年下の同僚というか、後輩というか、何れにしても部下ではなくて、そもそもそんなに親しくもない。
無論、顔は知っているし、会話を交わしたことはあるが、終業後にこんな風に話しかけられるなんて、君にとっては意外なことだった。
しかし若くて美人だし、もともと水泳をずっとやっていたとかで体躯が逞ましく、変態M男の君としては、密かに憧れる対象ではあった。
彼女はすでに私服に着替えを済ませていて、葡萄色のコートを着込んでいた。

「あるけど、どうした?」

君は足を止めると、年上の先輩の余裕みたいなものを言葉に滲ませながら訊いた。
そもそも、時間なんてものは、あるもないも、あるに決まっている。
君に退勤後の個人的な予定なんて滅多にない。
嫁も恋人もいないし、たまの飲食以外では、ひとりでこっそりと風俗へ行くくらいのものだ。
ただ、それにしても、たいして親しくもない彼女が自分に何の用事があるのだろう、とは思った。

「よければ、上の空いている小会議室で、お話ししたいんですけど。ここではちょっと」
彼女は心なしか声を潜めて言い、君の返事を待った。
「なんか意味深だなあ」
君はイマイチ彼女の意図がわからないまま曖昧にこたえた。
「わたしと二人きりは拙いですか? というか迷惑です?」
「いや、別に拙くはないし、全然迷惑なんかじゃないよ、同僚だし」
君は苦笑して首を横に振った。
実際、拙くなんかないし、迷惑なわけがなかった。
それどころか、どんな用事なのかは知らないが、彼女に誘われてそれほど広くない部屋で二人きりで同じ空気を吸えるなんて、君にとっては天にも上るくらい嬉しいことだった。
「あれだったら、職場の外でもいいけど?」
君が言うと、彼女はバツが悪そうに肩を竦めた。
「お茶を飲みながらとか食事をしながらとかでもいいんですけど、お店だと周りに人がいるじゃないですか? だから誰もいない会議室の方がいいんですけど……ダメです?」
「いいや、僕はどっちでもいいよ」
「よかった」
彼女はパッと顔を明るくして微笑むと、言った。
「じゃあ、わたし、先に行って待ってますから」
「わかった、コートを持ったら、すぐ行くよ」
部屋から出て行く彼女の後ろ姿を見送りながら、君は心を躍らせている自分を自覚した。
誰もいないところで話がしたいなんて、いったい何なのだろう。
もしかしたら告白とかされちゃうのだろうか、と考えて、そんなわけないよな、とすぐに却下した。
変態とかM男ということはもちろん職場では隠しているが、それを除外しても、男としての魅力なんて何もない君が彼女のような素敵な女性から好意を寄せられることは万にひとつもあるわけがない。
君はそう自分の立場を弁えて、身の程を知れ、と自らを戒めた。
それでも、彼女とふたりの時間を過ごせるという事実は、どうしても君を浮き足立たせてしまった。

君がコートを持って上の階へ移動し、誰もいない廊下を歩いて小会議室のドアを開けると、窓際の椅子に彼女が座っていた。
コートは脱いでいて、白いハイネックのセーターに短いシンプルなスカートというスタイルで、入り口に背を向けている。
「ごめん、待たせちゃって」
そう君が声をかけるより先に、彼女は椅子をくるりと回転させて降り向いた。
白いセーターの胸が大きく、その魅惑的な隆起に君は思わず注視してしまいそうになったが、なんとか理性でその衝動を抑えて、テーブルの上に適当に畳んで置かれている彼女のコートに視線を逸らした。
大きな会議用のテーブルが部屋の中央にあり、椅子は左右それぞれ三脚ずつ、合計六人まで使える部屋だ。
壁際に置かれたホワイトボードには何も書かれておらず、大きなモニターも沈黙している。
窓のカーテンは開いていて、見慣れたいつもの景色が広がっている。
静かなので、空調の微かな音が聞こえていた。
部屋は適度に暖かい。
彼女が立ち上がり、わざわざどうも、と頭を下げ、明かり点けますね、と言って壁のスイッチを操作して天井の蛍光灯を灯した。
それから、いちおう鍵をかけとこ、と悪戯っぽく笑いながらドアへ行き、ロックすると、元の椅子に戻って再び腰を下ろした。
「よかったら隣に座ってください」
そう君を促して、自分の隣の椅子を勧めた。
「まあ向かいでもいいですけど」
照れ臭そうに付け足して、彼女は笑った。
君も曖昧に笑顔で頷きながら、本当は隣に座りたかったが、がっついていると思われたくなかったから、テーブルを挟んで差し向かいに座った。
コートとブリーフケースを隣の椅子に置く。
彼女はテーブルの上にラップトップを置いていて、モニターに画面が出せるようにケーブルを繋いでいた。

「ああ、なんか疲れちゃった」

急に態度を崩して、親しげに彼女は言うと、脚を組んだ。
その際、剥き出しの太腿が君にも見えるように、わざと椅子を後ろに引いたように見え、君は慌てて目を逸らした。
もちろん本心としてはじっと凝視したかったし、できることならすぐ前まで行って跪きたくなったが、ぐっと我慢した。

「それで、僕に何の用?」
君は彼女の微妙な態度の変化に気づいたが、あまり深くは考えずに、職場の先輩風の余裕を見せながら訊いた。
「何の用?」
小首を傾げながら彼女は鸚鵡返しをして、妖艶としか形容しようのない、どこか冷めた、それでいて挑発するような、不思議な笑みを浮かべた。
そして、不意に、君の苗字を呼び捨てで呼び、君がびっくりした顔をすると、クスクスと笑った。
「どうしたんだい? 突然」
君はわけがわからなかったが、まだ何とか態勢を保ちつつ、戸惑いを隠して訊いた。
「呼び捨てもなかなか新鮮でしょ?」
脚を組み替え、さらりとそう言った彼女に、君は苦笑した。
「確かに新鮮だけどさ、でも、偉いとは言わないが、いちおうこっちはかなり年上で仕事では先輩だし、びっくりするよ」
「まあ、それはそうだろうけど」
彼女は同意しながらも、すぐに肩を竦めて見せて、ラップトップの蓋を開いた。
コンピュータがスリープから復帰すると、壁の大きなモニターも明るくなり、ラップトップのディスプレイが映し出された。
「でもさあ、こんなの見ちゃったから、もう無理じゃね?」
完全に君を年上とも職場の先輩とも思っていない口調で彼女は言うと、ラップトップのトラックパッドに指先を滑らせてブラウザを起動すると、予めブックマークしてあったウェブページを開いた。
「これ、超笑えるんだけど」
「あっ」
君はモニターを見て愕然となり、言葉を失った。
ウェブページはブログで、一枚の画像がアップされていた。
それは、ボンデージ姿の女王様と全裸で亀甲縛りを施されながら首輪を付けたM男が並んで立ち、M男が女王様にリードと一緒に勃起したペニスを持たれている画像だった。
女王様の顔の半分くらいは画像を撮影している電話で隠され、M男の顔の目の周囲と勃起したペニスを含む股間部分だけモザイクがかけられている。
破廉恥で卑猥な画像だ。
痴呆のように呆然となりながらモニターの画像に釘づけになっている君を彼女はじっと見つめながら、呟く。
「さあて、この全世界に破廉恥な姿を惜しげもなく晒している恥ずかしいM男は誰でしょう?」
君はモニターから視線を外して、恐る恐る彼女を見た。
彼女は君のオドオドした視線を真正面から受け止め、唇の端を歪ませて笑っている。
その画像のM男は、君だった。
しかし君は最後の抵抗を試みた。
「誰って……?」
君はわざとらしく首を傾げた。
そんな君に、彼女は最後通牒を突きつけるように、言った。
「あのなあ」
彼女はトラックパッドを指先で操作して画像を拡大した。
M男の胸元あたりが大きく映る。
「これ見てみ? 左の乳首の上にかなり大きな、琵琶湖みたいな形をした痣があるでしょ? あと、ここの黒子」
カーソルを動かして、左脇腹の黒子を示す。
「これってかなりの特徴だよね、で、髪型とか、顔は目だけはモザイクが入っているけどこの輪郭、でもって、全体的なこの体型のシルエット……知っている人が見れば丸わかりでしょう? チンコは見たことないからモザイクがあろうがなかろうが知らないけど?」
彼女は画像を拡大したまま君を見た。
君は汗が噴き出すのを自覚しながら、どう答えるべきか混乱していた。
この画像は紛れもなく自分だった。
一ヶ月ほど前に地方へ出張した時、SMクラブを利用してこの写真を撮った。
君はこのところずっとその地方都市へ出張するたびに同じSMクラブで同じ女王様を指名してプレイしていた。
それで前回、画像を撮られて、ブログにアップされた。
尤も、「撮られた」とか「アップされた」とかいっても、無断で強制的にされたことではない。
プレイの一環のような感じで、羞恥プレイの一種のように撮影し、もちろん君も許諾した上で撮影し、アップロードされたのだ。
むしろ後からそのブログを見て、君は何度もオナニーをしたくらいだ。
その際、ちゃんと「載せていい?」と確認されたし、女王様はアップする前に、君の前で君の顔やペニスを隠す画像処理を施してみせ、記事と共にアップロードすると、その画像はオリジナルのデータと一緒にクラウドや端末に保存する前に削除し、念のためにゴミ箱を空にするところまで君に見せてくれた。
だから画像は、この世界に加工済みのものが一枚存在するだけだ。
それも地方都市のクラブの、別に有名でもない女王様のブログの過去ログに埋もれながら、だ。
しかしそのたった一葉の画像が、君のことを知る人の目に触れてしまった。
こんなことがあるのだろうか、と君は愕然となった。
画像を撮ってアップした時は、さすがの君も少し不安になったことは事実だが、絶対にバレることなんかないって、と言われたし、君もバレるわけがないだろう、と安心していた。
実際、この一ヶ月、何事もなく過ぎていた。
それが今になってなぜ? しかもなぜこの女の子が知ったのだ? と君は訝しんだ。
たいして親しくもない彼女が、どうして君の体の特徴に気づき、自分だと確信したのだろう?
それが君は不思議でならなかった。
それでも、彼女が指摘した特徴は、確かに君を君と特定できる証拠になる。
黒子はともかくとしても、琵琶湖型の痣は致命的だ。
ただ、そんな裸にならなければわからないような特徴まで君のことを知る者なんて、滅多にいない。
日常的に裸でまぐわう恋人ならピンと来るかもしれないが、そんな相手はいないし、目の前にいる彼女はもちろん恋人ではない。
そもそもどうして彼女が自分の裸について知識があるのか、君にはわからなかった。
痣も黒子も服を着ていたら見えないし、わからないのだ。
そして、ブログのログなんて、あっという間にアーカイヴに埋もれていくのに、どうして今更彼女が見つけたのか、本当に何もわからず、君はただひたすら困惑した。
特に女王様のブログは、プレイの紹介も兼ねているので、日に何本もアップされる。
その中の一つの記事が知り合いの目に触れる確率を考えると、君は空恐ろしくなった。

「なんかめっちゃパニクっている感じだけど?」
君を弄ぶように言って、彼女は笑った。
「これ、お前だよね?」
年下の美人から「お前」と呼ばれて、君の理性は瓦解し、マゾ性が覚醒してしまった。
「は、はい……」
ついに認め、君は陥落する。
「でも、お前、思っているでしょ? どうして裸にならなければわからない痣とか黒子とか知っているんだろう? って」
「ええ、はい」
君は素直に肯定した。
すると、彼女はあっさりと種明かしをした。
「お前、覚えているかどうか怪しいものだけど、忘年会の時にすごく酔って、周りに強制されて、上半身裸でカラオケを歌わされたのよ、なんかノリノリで『二億四千万の瞳』を歌ってたけど、その時のお前の姿って、結構みんな写真に撮っているのよね、わたしも、別にお前なんか興味ないんだけど、なんかその場の雰囲気につられて撮っちゃって、で、なんとなく消去もせずに保存してたの」
そこまで言って彼女は一旦言葉を切り、またラップトップのトラックパッドを操作して画像の大きさを戻し、プログの記事をモニターに映した。
「実はわたし、S気があって、SM系のサイトとかよく見るのよ、で、嗅覚というか勘みたいなもので、男を見たときにMかどうかがなんとなくわかるの、それで、わたしの中でお前は間違いなくMだと思ってて、ある日、暇な夜に、ふと、もしかしたらお前みたいな輩って出張先でプレイしているんじゃないかな? と思って、検索してみたんだよね」
君は黙って聞いていた。
確かに裸になってカラオケを歌った記憶はある。
彼女が続ける。
「ただ、お前の出張先はわかるし、その街にあるクラブもすぐにわかって、所属する女王様のブログなんかも簡単に見つかったんだけど、なかなかお前は出てこなくて、見当外れか、と断念しようとした一昨日の夜、ついに発見しちゃったんだよね。なんかもう見つけた瞬間、やったー、って感じ。やっぱあいつ行ってたな、って。もちろんさっき言った特徴を、手持ちのカラオケの画像を見ながら確認して、確信したけど、それプラス、別に親しくないけど普段からお前は見てるから、髪型とか全体的な雰囲気とか、いろいろ検討した上で、もう間違いないって確定」
君は項垂れた。
よりによって職場の人間に見つかってしまうとは、一生の不覚だった。
画像を撮ったことを、そしてブログへのアップロードを承諾したことを、今更ながら激しく後悔した。
しかしいうまでもなく、自分以外の誰を恨むこともできないことだし、後の祭りだった。
「しかし、まあ、よくやるわよね」
彼女は言い、モニターに映るブログの記事を声に出して読む。
「えっと何なに?『最近、出張のたびに来てくれるこのマゾ豚、どうしてもわたしの足やら腋やらの匂いが忘れられないらしい(笑)ほんと、好きだよね~、足、どんだけしゃぶってた? 腋も、狂ったようにペロペロしながらクンクン匂いを嗅いでたよね~、で、めっちゃ盛って、おぞましい姿を晒しながら、めっちゃ出したね(笑)』だって」
彼女は爆笑した。
余裕のS性をもう隠そうともせず、気付けば、完全に君より優位に立っている。
君は俯いてその声を聞いていた。
やがて彼女は、すっと席を立ち、テーブルを回って君の傍に来ると、頭を叩いた。
「おい、変態のドM、お前地方で何やってんだよ?」
彼女は嘲笑い、君は俯いたまま謝罪する。
「すみません……」
「すみません?」
彼女は君の顔を覗き込み、ビンタを張った。
「すみません、じゃなくて、申し訳ございません、だろ?」
「申し訳ございません」
君は即座に言い直したが、彼女は続けて椅子を蹴った。
「偉そうに椅子なんか座りやがって、床で正座しろ、ほら」
「は、はい!」
君は弾かれたように立ち上がると、そのまま土下座した。
悲しいかな、その行動はマゾとしての条件反射みたいな感じで、そんな君を見て、彼女は爆笑した。
「この記事読むと、お前、面白いイキ方をしてるのね、『盛りのついた犬みたいに脚にしがみついてチ○コを擦り付けながらせっせと腰振って昇天(笑)』って、何?」
ブログの記事を更に読んで彼女が訊く。
君は恥ずかしさで顔を真っ赤にしながら、小声で説明する。
「えっと、それは言葉の通りで、犬みたいにオナニーするんです……」
「すっごい見てみたいんだけど?」
「すいません……ご勘弁ください」
君は床を見つめて許しを請うた。
彼女を相手にMとしてはやりたいに決まっていたが、いくら何でも、さすがに職場ではできない。
そう思い、もう一度謝罪した。
「申し訳ございません……」
「じゃなくて」
彼女は君の髪を掴んで引っ張り上げ、顔にペッと唾を吐くと、強い口調で言った。
「これは頼んでいるんじゃなくて、命令してんだよ? だから、つべこべ言わず、今すぐここで、その犬のオナニーをやれ」
強烈なビンタを張って彼女は命じた。
「で、でも……」
それでもなお君が生意気にも躊躇していると、「でも?」と彼女は顔を顰めた。
「お前なあ、拒否れる立場だと思ってんのか? あ? どうしてもできないって言うなら、職場中にこの記事をバラすぞ?」
「ど、どうか、それだけはお許しください」
君は必死に言った。
「じゃあ、さっさと裸になって、やれ」
「はい」
君は服を脱いだ。
もう観念するしかなかった。
ただ、相当打ちのめされた気分だったが、マゾとしては絶賛全開中で、パンツを下ろすと、完全に勃起したペニスが飛び出して、彼女は呆れたように嘲笑した。
「お前、口ではああだこうだ言いながら、この状況でバリバリ勃ってんじゃん、マジもんのドMなんだな」
侮蔑の言葉で君を罵倒しながら、彼女は君の前に組んだ脚を投げ出した。
それ見た瞬間、君の中で理性のタガが完全に外れた。

「失礼します!」

君は瞬間的に一匹のマゾ犬と化すと、猛然と彼女の脚に抱きついた。
そしてペニスを柔らかい脹脛辺りに押し付け、太腿を抱え込んで、その肉感に耽溺しながら自ら股間に引き込み、せっせと腰を振る。

「うわっ、マジで犬だな、お前、超笑えるわ」

彼女が君を挑発するように脚を動かし、向こう脛でペニスを擦りながら笑う。
君はその快感に陶酔し、自分を解き放ちながら、どさくさに紛れてスカートの中に顔を押し込み、フンフンと鼻を鳴らしながら脚に抱きつき、ひたすら腰を振る。

カテゴリー:金の鎖、銀の鞭

インスタント・ウイング

年末年始の休暇の時期が終わって旅行代金が通常並みに下がった頃、君は一週間の休みを取ってひとりでハワイへ出かけた。
格安航空券とホテルを組み合わせて手配し、スーツケースひとつで旅立った。
リゾート地へ男ひとりで出かけるなんて侘しさと紙一重だし、二人旅に比べると割高だったが、君には目的があった。
目的とは、ホノルルのSMクラブを利用することだった。
SMクラブなんて日本国内にいくらでもあるが、君は時々ハワイへ行く。
別にハワイにこだわりがあるわけではなく、アメリカならどこでもいいので、本当はもう少し安く済ませられるサイパンやグアムだと助かるのだが、残念ながら君はサイパンやグアムにSMクラブがあるのかどうか知らない。
だからわざわざハワイまで出かけるのだが、そもそも、なぜ君が海外のSMクラブへ行くのかというと、それはプレイでラッシュ系の合法ドラッグが堂々と使用できるからだ。
以前は国内でも使えたし、アダルトショップやドンキでさえ売られていたのに、いつの間にか違法に指定されてしまった。
だから君は困った。
しかし、かといって、あんなオモチャのようなものをアンダーグラウンドで調達しようとは思わなかったし、だったら使用が合法な場所まで自分で赴けばいいのだ、と君は考えた。
芸能人などがロスやアムスへ行ってドラッグをやるようなものだ。
もちろんそれに比べるとラッシュなんて子供のお遊びみたいなものだが、こんなもので逮捕されるなんてバカみたいだし、仕方なかった。

ホノルルのSMクラブには、日本人の女王様もいるので、言語の問題もなく、その点も君にとってハードルが低かった。
つまり日本国内と変わらない気持ちでプレイができるのだ。
無論、望めば外国人の女王様とプレイすることも可能だが、君は語学力に自信がないので、いつも日本人か、日本語ができる日系人の女王様に調教を受ける。
ロスやニューヨークといった大都市だとネット検索で簡単にクラブが見つかるのだが、さすがに遠いし、日本語が通じるかどうかわからないから、というか多分通じないだろうから、君には難しい。
そういう言葉の問題で、もしかしたらアジアの、例えば香港なんかでももしかしたら君の望むプレイが可能かもしれなかったが、中国語なんて英語以上にわからないから、選択肢から外れる。
また、ヨーロッパに目を向ければ、ドイツやチェコなどいくらでもクラブはありそうだったが、ヨーロッパの言語なんて英語や中国語以上にまるでわからないから論外だった。
だから、君にはハワイが精一杯だった。
それにハワイは君にとって、高校の修学旅行で行った初めての海外だから、他の外国に比べると少しだけ敷居が低かった。

ホノルルのSMクラブは、ダウンタウンの古いビルにあるが、合法なのか非合法なのか、君は知らない。
その存在はネットで検索していて偶然知ったのだが大々的に広告が出ていたわけではなかった。
もしかしたらワイキキあたりにも同様のサービスがあるのかもしれないが、ストリートガールや普通のエスコートサービスのようなものしか君は知らない。
だから、本当なら比較的安全なワイキキから出たくはないのだが、ダウンタウンまで行くしかなかった。
最初、君は勇気を振り絞ってまずはメールでコンタクトを取った。
そして、現地入りしてからは電話で予約したのだが、全て日本語が通じた。
海外で風俗へ行くなんて正直、不安と恐怖感が拭いきれなかったが、日本語で意思の疎通を図れたことが君の背中を押した。
それでも、初めて夜のダウンタウンへ出かけた時は、緊張した。
治安が悪いと聞いていたし、実際、日が落ちると昼間に観光で訪れた時とは街の雰囲気が激変していた。
賑やかな通りも暗く寂しく人気がなくなっていて、ジャンキーなど怪しげな人間がうろうろしていた。
そこはリゾート地ハワイではなく、単なるアメリカのダウンタウンだった。
君はタクシーでビルの前まで乗り付けた。
所持品は、プレイ料金と往復の交通費の現金だけで、余計なものは一切持っていかなかった。
ビルは、エレベーターのない古い三階建てで、入り口の扉の付近のどこにも看板らしきものは出ておらず、どう見ても風俗の店があるようには見えなかった。
それでも、指定された住所には間違いなかったし、君はタクシーが去ると、いつまでも寂れた路上にいるのも怖かったので、思い切ってドアのノブに手をかけて引いてみた。
しかし、押しても引いてもドアは開かず、少しパニックになったが、よく見ると、ドアの脇の壁にインターホンがあり、用事がある人は押すように、とプレートが掛けられていた。
そして注意深くあたりを観察すれば、ドア周辺を捉えるようにセキュリティカメラが設置されていた。
インターホンを押すと、すぐに女性の声が聞こえた。
その返事は英語だったが、さすがにその程度なら君でも理解できたので、君は、予約している日本人ですが、とこたえ、名前を伝えた。
すると、少し待つように言われ、永遠に感じるほどの数十秒後、内側からドアが開けられた。
「いらっしゃい」
恐ろしく背の高い、どことなくクリスタナ・ローケンに似た雰囲気のグラマラスな美人の女性が言った。
君より頭二つ分くらい上空からその声は降り注いだ。
「イングリッシュ、ノー? 話セナイ?」
片言の日本語で金髪の女性は言い、君は申し訳なさそうに頷いた。
「ソーリー」
「オーケー」
女性は軽やかに笑いながら言って、中へと誘った。
ビルの内部は、外観から想像されるものとは全く違った。
ブルーの間接照明が無機質な内装を照らしていて、モダンな雰囲気だった。
しばらく廊下を進むと、広い部屋があり、そこがフロントとロビーになっていた。
革張りのゆったりとソファが置かれていて、カウンターに日系人の女性がいた。
彼女も、外国人の血が入っているからか、かなりの大柄だった。
君をここまで連れてきた女性は「あとはよろしく」と英語で女性に言って、カウンターの奥のドアへ消えた。
「さて」
日系人の女性が日本語で言い、君を見つめた。
君はそれだけのことで極度の緊張状態に陥り、硬直した。
「初めて? よね?」
「はい」
「じゃあ、簡単にシステムを説明しておくわね、了解できたら、お金を払って、プレイ」
「はい」
「事前のメールでも伝えていると思うけど、ここは日本の風俗店とは違うから、所謂『サービス』を期待するなら、やめておいたほうがいい」
「はい」
君は若干の恐怖を覚えながらも、了承して頷いた。

君はその初めての日のことを今でもはっきりとよく覚えている。
しかしプレイ後は、疲労困憊で、まるで虚脱状態のようになってしまい、記憶は曖昧だ。
結局、カウンターにいたのが相手の女王様で、彼女に見送られながらビルを出て、別のポリネシア系の女性が運転する店の車でワイキキのホテルまで送ってもらったのだが、車内では全く会話がなかったし、周りが暗いのでどこをどう走っているのかわからなかったし、気づくと窓の外にアラモアナセンターが見えて、そのままワイキキに入り、ホテルのエントランスの少し手前の路上で降ろされた。
君はチップを渡そうとしたが、彼女は微笑んだだけで受け取らず、走り去った。
プレイは、壮絶だった。
待望のラッシュを吸いながらまさに奴隷として扱われ、君はマゾとしてめくるめく時間を過ごした。
プレイの後、女王様と少し雑談をしたのだが、彼女の話によると、クラブの本店はロスにあり、そこは郊外の邸宅が丸ごとSMの館になっていて、伝説的な女王であるマダムが仕切っているということだった。
彼女も普段はロスにいて、たまにハワイにやってくるようだった。
また会えますか? と訊いたら、タイミングが合えば、と言われた──。

一月のハワイは、そんなに暑くない。
というか、夜ともなると、意外に肌寒さを覚えたりする。
君はホテルを出ると、ワイキキで二番目に賑やかな通りにあるアダルトショップでラッシュを買い、近くにある二十四時間営業のパンケーキのチェーン店に入って、オムレツとパンケーキの夕食をとった。
通りに面したテーブルで、ボリュームのある夕食を食べ、コーヒーを飲む。
考えてみると、アダルトショップだって、最初の時は緊張した。
入り口のドアは開いていたが、なんとなく入りづらく、何度も店の前を往復して、やがて勇気を出して入店した。
しかし、いざ入店したら、肩透かしを食ったような感じになった。
というのも、店員のお兄ちゃんは日本人か現地の日系かとにかく日本語が普通に話せたし、ラッシュ類を求める日本人は多いのか、店内を見回している君にすぐに「ラッシュですか?」と訊いてきた。
「はい」
と答えて、君は何種類かある商品の特徴を教えられつつ、選び、買った。
それでも、ラッシュ=ゲイのイメージがあるので、君は訊かれてもいないのに、もちろんマゾとしてSMプレイで使用するとも言わなかったが、「女の子と遊ぶのに使うんだけど、日本では禁止になっちゃって」みたいなことを話した。
店員もそのことは知っていて、「らしいですね、でも、うちはいつでも買えますから」と言った。
今夜は、その時のお兄ちゃんは店におらず、カウンターの中にいたのは外国人のおじさんだったが、片言の日本語が通じて、何の問題もなく君はあっさりとラッシュを手にした。
ちなみに値段は、いつも普通だった。

君は夕食を終えると、トーチの炎が揺れるワイキキの夜の通りをしばらくぶらぶらして腹をこなした。
南の島の涼しげな夜の風に吹かれながら適当に歩き、目についたABCストアで水を買って、飲んだ。
それから、ギャラリア近くのホテルのエントランスで客待ちしていたタクシーに乗り込んで、ダウンタウンへ向かった。
ドライバーは日本語を話せない人だったが、住所を書いたメモを見せると、すぐに了解した。
クラブはすでに予約してある。
女王様の指名はしていないが、日本語でプレイできる人を、というリクエストは通してあった。
タクシーは混み合う大通りを走り抜け、やがてダウンタウンに入ると、君が知っている限りだが遠回りなどはすることなく、目的地である古いビルの前にタクシーをつけた。
君は代金とチップを支払い、タクシーを降りた。
相変わらず夜のこのあたりは、不気味だった。
こういう用事がなかったら、絶対に近づきたくはない地域だ。
君は、水を一口飲んで緊張を和らげてから、ドアのインターホンを押した。
するとすぐに女性の声が聞こえて、数十秒後、ドアが開かれた。
「ハロー」
ビヨンセに似た褐色の肌の大きな美人が現れて、言った。
ハイビスカスがプリントされたスカートの丈の短いキャミソールドレスを着ている。
剥き出しの太腿が逞ましく悩ましい。
君もぎごちなく「ハロー」と返し、予約している名前を告げた。
彼女は微笑みながら頷き、人差し指を動かして「おいで」と中へ誘った。
ロビーに入ると、カウンターは無人で、ビヨンセに似た女性がそのまま君をソファに座らせてから、自分もその隣に腰を下ろした。
柑橘系の香水の甘い香りが君の鼻腔をくすぐる。
「私でいいかしら?」
その言葉は、見た目の印象とは違い、ほぼ完全なイントネーションの日本語で、君はびっくりした。
「えっ?」
思わず君がそう口に出すと、女性は笑った。
「日本人の人はみんな同じように最初は驚くから面白いわ、私、日系三世なの」
「そうなんですか」
「うん、日本語ペラペラよ」
「はい」
「たとえば、そうね」
女性はそう言い、続けた。
「魑魅魍魎が跋扈するこの世の中で変態と変質者は雲泥の差」
まったく一箇所も引っかかることなく滑らかに一息にそう言って、女性は訊ねた。
「……どう?」
「びっくりです」
君は、素直にその日本語能力に驚いた。
そして、こんな魅力的なビヨンセみたいな女王様に日本語でいじめていただけるのか、と考えたら、それだけで昂ぶってしまった。
「是非、お願いします」
「オッケー」
女性は笑い、君は支払いを済ませた。
その際、「これを使っていただきたいのですが」とラッシュの小壜を差し出した。
「ラッシュね、いいわよ。ガンガンいける?」
「はい」
「今、日本では違法らしいもんね、ここに来る日本のマゾ達の大抵が吸いたがるわ」
「そうなんですか」
「うん、多い」
女性は言い、次の瞬間、ふっと親しげな優しい印象を消して、君をじっと見つめた。
そして立ち上がると、君の前に来て顎に手をかけて上を向かせ、「立て」と命じた。
「はい」
君はマゾのスイッチが入るのを自覚しながら腰を浮かせた。

プレイのための部屋は三階にあり、階段で上がった。
女性が先に立ったので、君の目の前で、短いキャミソールドレスのスカートに包まれた圧倒的なボリュームの尻が魅惑的に躍動した。
部屋に入ると、そこは本格的な調教のための部屋で、壁には様々なタイプの鞭、様々な部位のための枷、様々な形状とサイズのディルド、様々な色や太さの蝋燭など、たくさんの道具が整然と並んでいて、来るたびに君は恐れ慄く。
レンガの壁には磔台があり、部屋のあちこちに三角木馬や檻などが置いてあって、高い天井からは滑車に繋がる鎖が何本も下がっている。
「裸で待っていなさい」
そう言い残して、いったん女王様は別室に消えた。
「はい」
君は部屋の隅へ行って、そそくさと服を脱いだ。
そして全裸になると、女王様が座るための豪奢な椅子の前で正座をした。
十分ほどして、女王様が再び登場した。
黒いボンデージに身を包み、踵の高いブーツを履いている。
その硬質な靴音の響きに、君の緊張は頂点に達した。
フローリングの床に視線を落として身を固くする。
女王様が椅子に座り、脚を組んだ。
君は一瞬だけ顔を上げて女王様を見上げた後、改めてひれ伏す。
「御調教、お願い致します」
女王様は無言のまま君の後頭部にブーツの足を置いた。

君は首輪を装着し、リードを繋いで持たれた。
それから全身に亀甲縛りを施され、その状態で正座をさせられた。
そして女王様は君の目の前の椅子に座って長い脚を組み、ラッシュの小壜を開封し、ティッシュに液体を吸い込ませると、それを華奢なガラス製のグラスに入れ、君の鼻を覆うようにそのグラスをあてがった。
「淫らな豚になりなさい」
女王様は冷徹に言った。
君は口を閉じ、鼻だけでゆっくりとその刺激臭を吸引する。
深く吸い、息を止め、口から吐く。
何度かそれを繰り返すうちに、独特な高揚感が脳を刺激し始めて、君は簡単に興奮状態になっていく。
ペニスが脈打ち、吸引を中断しようとすると、女王様が厳しく律する。
「まだダメ、もっと吸いなさい」
「はい」
君はクラクラとなりつつ、さらに気体を吸引した。
半年以上ぶりのラッシュは耐性がついていないからよく回る。
君は淫乱な豚と化しながら、「ああ女王様ー」と身悶える。
たまらなくペニスに触りたかったが、手も足もロープで拘束されているため、何もできない。
君は膝を揃えたまま腰を浮かし、もどかしげに女王様を見上げる。
女王様はそんな君をせせら笑いながら、ようやくグラスを退けた。
君は美しい女王様の顔を見上げた瞬間、瞬間的な翼を広げて華々しく飛翔した。

「女王様、ビンタしてください、お願いします!」

君は絶叫した。
女王様は笑みを消し、感情のない顔で、壮絶なビンタを張った。
体格が逞しいため、ビンタの威力も強烈だった。
君は呆気なく吹っ飛び、転がった。
女王様は椅子から立ち上がり、床に伏せた君の髪を無造作に掴んで引き起こすと、再び膝で立たせ、さらにビンタを炸裂させた。
今度は髪を掴んだまま往復ビンタを浴びせたので、君は転がることなく、打たれるたびに大きく左右に揺れた。
瞬く間に頬は熱を帯び痺れたが、ペニスはますます熱り勃っていった。
女王様が左手でペニスを握り、右手でビンタを張った。
君は凄まじい快感に弄ばれながら、貪欲に腰を振った。
「勝手に腰振るな、私の手はお前のオナニーの道具じゃない」
女王様は激高すると、君の股間を思いっきり蹴り上げた。
ブーツの硬い甲が君の玉袋の下にバスッとヒットして、君は跳ね上がった。
そのままぶっ倒れ、うつ伏せになった。
息が上がったが、すかさず女王様は更にラッシュを吸わせた。
「ほら、もっと狂え、豚」
「はい」
君は目を閉じ、ラッシュを吸引した。
暗い視界の真ん中に白い光の球が浮かぶ。
もう何か何だかわからなくなった。
気づくと、君は床でうつ伏せになって、まるで芋虫のようにもぞもぞと蠢きながら、フローリングにペニスを押し付けて腰を動かしていた。
「床とセックスしてるの? お前」
女王様が呆れ返ったように笑い、君の頬をブーツの底で踏んだ。
そのまま煙草の吸殻でも踏み消すように、グリグリと爪先を動かす。
「そんなに出したけりゃ、このまま一回出しな、豚」
女王様が命じ、君は朦朧としながらも腰を振りつつ謝意を述べる。

「ありがとうございます!」

君の傾いた視界に、ブーツの爪先が見えた。
女王様が、君のすぐ顔の前の床にぺっぺっと何度も続けて唾を吐いた。
その温かく甘い感触は、君の顔にも降りかかる。

「ありがとうございます!」

磨き上げられたフローリングの床の上で、唾の溜まりが白く光っている。
君は唇を窄めて床の唾を啜り、更に激しく腰を振る。

カテゴリー:金の鎖、銀の鞭