沈黙の土曜日

わたしは普段生活している場所とは違う町に、もうひとつ部屋を借りている。その部屋は、JRの普通で約一時間、人口が八万人ほどの盆地の町にある。典型的な地方の小都市だ。

もうひとつの部屋は、ごく平凡な八階建てのマンションの六階にある1LDKだ。六畳の洋室に十二畳のLDKという間取りで、築十年の建物だが、何せ片田舎で周囲に高いビルがないためベランダからの見晴らしが良く、わたしは気に入っている。

その部屋を借りたのは、半年ほど前だ。以来、だいたい週に一度、土曜日にその部屋へ行っている。滅多に泊まることはなく、大抵はその日のうちに普段暮らしている街へ戻ってくるが、たまには金曜の夜遅くに着いてそのまま日曜の午後まで滞在したりすることはあるし、土曜の夜に一泊するパターンもある。ただ基本的にわたしは月曜から金曜までOLとして働いていて、週休二日制だから、その部屋を使うのは週末に限られている。

わたしの毎日は、あんがい忙しく、慌ただしい。現在わたしは二十四歳で、昼間のOLの仕事の他に、趣味と実益を兼ねて週に二日か三日、デリバリー形態のSMクラブで女王様をやっている。女王様としてのキャリアは、学生時代からだから、そろそろ五年になる。そして、そのSMクラブで得る収入を、もうひとつの部屋の維持に回している。 OLの給料なんてしれているから、それだけでふたつのアパートの部屋を維持するのは無理だ。もっとも、女王様のバイトをしていても、そんなに金銭的に余裕があるわけではない。しかし、なんとか適当には遊べるし、生活費が赤字になることはないから、毎日がまあまあ忙しく、それなりに慌ただしくても、土日だけはしっかり空けている。女王様の仕事も、土日には入れない。つまり月曜から金曜までは多少無理をしてもしっかりと動き回り、土日は徹底的に休む。これが、ここ数年変わらないわたしの基本的な生活スタイルだ。

ちなみに、恋人はいない。かつてはそれらしき男性がいたこともあったが、今はいない。とくに容姿が悪いわけではない。かといって「美人」だと自負する厚かましさはあいにく持ち合わせていないが、ブスと言われたことはないし、何かと言い寄ってくる男は常にいる。ただ、わたしは真性のSだから、いろいろ難しいのだ。とはいえ、恋人に対しても強くSでありたいわけではない。M男を恋人にはしたくないし、しない。恋人と自分の関係にSM的な感覚は持ち込みたくないし、持ち込まない。もちろん、恋人である男性に対してだけ自分がMに豹変するわけではない。そんなことは、M男を恋人にすること以上にありえない。要するに、彼氏と呼べるような男性とは、SとかMとか関係なく、性的にも人間的にも対等でありたいのだ。しかし、それがけっこう難しい。よって、恋人はできにくい。ただし、なかなか恋人ができないからといって、べつにレズビアンというわけではない。ゲイを否定するつもりはないが、わたしの場合は、やはり男が好きだ。そして、確かに恋人はいないが、寂しくはない。むしろ自由で、問題は何もない。

OLの仕事は退屈だが、べつに嫌ではない。そしてSMの女王様は、Sのわたしにとって、まさに天職だ。文句なしに、楽しい。男を支配するのは、快感だ。わたしは昔から、そういう女の子だった。苛めっ子だったわけではない。陰湿なイジメは、むしろ嫌いだ。そうではなく、弄られて満更でもなさそうな男の子をチクチクと責めるというか、強いていうなら「決して悪意ゆえではない意地悪」をして楽しみ、従わせることが好きだったのだ。そういう対象の男の子たちを果たして「友だち」と呼べたのかどうかはわからない。どちらかというと、「友だち」は女の子の方が多かった。今でも、友だちは女の子の方が多い。もともとそんなに友人が多い方ではないが、男性の友人は、たぶんいない。「知り合い」なら昼間の職場の同僚や同級生だっているし、けっこう簡単に何人も思い浮かぶが、基本的に男女の間で「友情」を成立させるのは難しいだろう、という思いがわたしには強いから、男性の友人はいない。たまに昼間の職場の部署の気の合う仲間の男女で飲みに行ったりするから、それを友情で括るなら同僚の男性も友だちかもしれないが、わたしの感覚ではちょっと違う。

そんなわたしだから、かつて恋人だった数少ない男性たちを除いて、男はやはり従わせる存在だ。女性として男性の上位に君臨し、自分好みに弄り、時には歓びも与えつつコントロールするのが、とにかく楽しい。もちろん、そういう主従関係でも男と女のことだから、相性というものは歴然と存在する。要するに、合わない相手は、どうしたって合わないのだ。その代わり、感性が合えば、年齢とかSMのキャリアとかは全く関係なく、良い状態を築けるし、それを持続させていくことができる。ただし、いうまでもないことだが、そういう関係は、愛でも恋でも友情でもない。だったら何だと問われると困るが、わたしとM男の関係は、とにかく愛とも恋とも友情とも違う。

わたしには、おそらく三つの顔がある。昼間の職場のわたし、女王様のわたし、そして、それら以外のわたし、だ。とはいえ、多重人格というわけではない。どの自分にもベースの部分にSがあり、その露出の度合いが違うだけだ。もちろん昼間の職場でわたしがSMの女王様であることを知る人はいない。だけれども、どちらのわたしも、わたしはわたしだ。そして、「それら以外のわたし」に含まれる週末の地方都市のアパートで過ごすわたしは、どちらかというとその中間に位置する存在だ。OLではないが、職業的な女王様というわけでもない。ただ、「本当の自分」なんてものはよくわからないが、もしもそういうものがあるのだとしたら、おそらく週末のわたしがそれに一番近い気はする。でも、未だに確信はないし、この先もその確信は持てないだろう。だいたい、どのわたしにも、嘘はないのだ。OLのわたしも、女王様のわたしも、週末のわたしも、わたし以外の何者でもない。

そんなわたしには現在、五人の親しいM男がいる。年齢は二十代後半がひとり、三十代が三人、四十代半ばがひとり、で、五人ともわたしより年上だが、わたしにとって奴隷の年齢は全く重要ではなく、どうでもいいことだ。出逢いは全員、勤めているSMクラブで、つまりひとりの例外もなく最初は「クラブの女王様と客」として出逢った。そして現在でも、彼らはクラブの客としてわたしのところへやってくる。ただ、それに加えてプライベートでも付き合いを持っているということだ。そのプライベートの時間で会う場合、金銭の遣り取りは発生しない。プレイ代金を取っているわけではないから直引きにはならず、所属クラブの規定にも反しない。

むろん、クラブの客としてわたしの前に現れるM男とすべてこういう関係になるわけではない。むしろプライベートで時間や空間を共有するなら互いに信頼関係が不可欠になるから、滅多にそういう関係にはならない。べつに相手の勤め先や家族構成など詳しい情報まで把握する必要はないが、「人間」として信用できる相手でなければ、プライベートでSM的な関係を築くことは無理だ。もちろん、それはM男側からしても同じだろう。わたしの本名や本籍地などまで詳細に個人情報を知る必要はないが、「わたし」という人間を信頼できないことには「客」という立場を離れることは難しいだろう。

お互いに「クラブ」という枠組みから外れるということは、必然的に「一対一」の剥き出しの関係になる。間に金銭や店が介在しないから、わたしは「女王様」だが、彼らは「客」でなくなる。そして、互いにある程度素性を明らかにするなら、それなりにリスクを背負うことになる。つまり、彼らはマゾでどうしようもない変態で、プレイではまるで人であることを放棄したような破廉恥な姿を堂々と開示するが、それはあくまでも普段は隠している姿だ。二十四時間、三百六十五日、M 男としてあり続けている人はいない。もしかしたら、世の中は広いから、そういうM男も中にはいるかもしれないが、わたしの五人は違う。だから、彼らにとってもわたしは安心できる存在でなければならない。SM的な関係を築く上で彼らを不安にさせることがあってはならないのだ。M男であることが自分の周囲に露見することを彼らは嫌う。当然だろう。同じ嗜好の仲間内なら構わないだろうが、実情はどうであれ表面上はノーマルな人々に囲まれている職場や家庭や友人関係の中でM男であることが知れ渡るのは、あまりにキツすぎる。それくらい、わたしにもわかる。だから、決してわたしが彼らを「M男」であることを理由に不安にさせるようなことがあってはならないのだ。簡単に言ってしまえば、たとえばプレイ中に写真やビデオを撮ることはあるが、後からその写真や動画をつきつけて、しかも自分の背後に胡散臭い男の影なんかもチラつかせながら、「周りにバラまいてもいいの? 嫌だったら、何でも言うことを聞きなさい」みたいに、金やモノを強請るようなことがあってはならないのだ。そんなつもりはもとからさらさらないし、そんな背後の男など存在しないが、その予感や予兆すら、彼らに感じさせてはならない。もちろん、それはわたしにとっても同じだ。いくら精神的に服従させ屈服させることができても、所詮は女だから、体力勝負になったら男には勝てないし、わたしだってそんなに世間的に威張れることをしているわけではないのだから、すべてが周囲に露見したら困ることが多い。つまりは要するに、お互いに後ろめたく暗い影を抱えていることを理解し合い、尊重し合い、「S」と「M」という立場の違いこそあれ、その背徳感を共有できる相手でないと、なかなかプライベートでのSM関係は築けないのだ。

だから、相手を捜すのは、かなり難しい。少しずつ心の内を探り合うような根気が要るし、時間もかかる。それでも、最終的には、やはり相性というか、直感的な感性の一致だ。どうせ人の本当の心なんて他人にはわからないのだから、最後に頼れるのは直感しかない。理屈を並べていたら、いつまで経っても踏み出せやしない。

幸か不幸か、わたしは若い頃から女王様という特殊な稼業に入っているので、人の本質を見抜く眼は、一般的な同年齢の女性よりは多少養われていると思う。そのことに胡座をかくつもりも、自信や誇りを持つつもりもないが、とりあえず今まで失敗はない。五人とも、良いM男たちだ。彼らについて、わたしの知識は、ひとりひとり違う。実家の住所まで知っている人もいれば、正確な住所や本名を知らない人もいる。それは彼らにとってのわたしも同様だ。わたしの携帯電話の番号しか知らない人もいれば、わたしの姉と一緒に三人で食事をしたことのある人もいる。でも、そういう情報量で彼らを格付けしているわけではない。五人とも、立場は等しく単なるわたしの奴隷で、それ以上でもそれ以下でもない。そして、彼らが勝手に自分たちの中で奴隷としてのランク付けをすることも厳しく禁じている。若頭やら執事やら番頭やら見習いやら、そういう何かしらレベルを意味する役職やら地位やらは存在しないのだ。五人とも単なる奴隷で、その立ち位置はフラットだ。誰ひとりとして特別ではない。

彼らが自分たちで横の連携を持っているのかどうか、わたしは知らない。少なくとも、わたしは個々の奴隷についていちいち情報は与えていない。わたしの奴隷の立場で、自分以外の奴隷がどこの誰なのかなんて、知る必要がないからだ。男というのは、たとえマゾという変態であっても、基本的にオスだから、メスであるわたしを巡って何かと張り合いがちになってしまうことは避け難い。わたしは彼らに共有されているわけではないが、嫉妬することもあるだろうし、贔屓目に見られたいという願望を抱くこともあるだろう。それは、ある意味では仕方ないことだ。それでも、わたしは彼らを張り合わせない。彼らはわたしだけを見つめ、わたしのことだけを考えて仕えていればよく、同じ立場の別のM男の存在を意識する必要なんてまるでない。べつにわたしが彼らを比べて評価を与えるわけではないのだから、自分以外の奴隷を気にしたって意味がない。彼らにとって女王様のわたしはひとりで、わたしにとって奴隷の彼らは五人いるが、決して「一対五」という関係ではない。「一対一」という関係がたまたま五個あるだけだ。その数はこの先、まだ増えていくかもしれないし、減るかもしれない。それはわからないが、たとえ十人とか二十人とか個人的な奴隷の数が増えたとしても、いずれにせよ基本形は「一対一」だ。だから、彼らが自主的に仲間意識みたいなものを持って打ち解け合い、互いの身の上を明かして普段から連絡を取り合っているなら、それはそれで構わないし、その可能性はあるかもしれないが、わたし自身、そういうことに対する興味がないから確かめたことはなく、よって知らないし、まあどうでもいい。

そんなM男たちとわたしの関係は、今のところ、きわめて良好だ。彼ら同士の中で問題が生じている気配もない。しかし、わたしにとって彼らはとても大切な存在だが、決して愛しているわけではない。だから常々「気に入らなかったり不要に感じたりしたら、いつでも簡単に容赦なく捨てる」と言ってある。すべての取捨選択の権利はわたしにある。彼らには何もない。これが、商業的なSMとプライベートの決定的な違いだと思う。女王様だ奴隷だといっても、クラブでのプレイは、金をもらっている限り、あくまでも「サービス提供者」と「客」だ。もちろんプレイ代金は正当な対価だからそのことで客が優越感を抱き不遜な態度を取ることは間違っているし、こちらが「お客様は神さまです」と必要以上に謙って卑屈になる必要は全くないのだが、女王様を選ぶ権利が客であるM男にあることは否定できない。プライベートでは、そういう歪みがない。百パーセント、全ての権利が支配者であるわたしにある。そのことが、わたしにとってはかけがえない。かといって、商業的なSMが面白くないわけではない。それはそれで楽しい。つまり、同じSMでも微妙に種類が違うだけだ。どちらが上とか下とかそういう問題ではない。クラブでは基本的に、M男がされたいことをしてあげて、満たしてあげる。それもS女として楽しいことではあるが、プライベートでは、少し違う。必ずしもM男が望むことをしてあげることはない。というか、その必要がない。わたしがしたいことをする。そして、たまには彼らを喜ばしてもやる。しかしそれは義務感とか責任感とかそういうことではない。そうすることがわたしにとっても楽しいからそうするだけだ。

つまり、何をするにしても、何をしないにしても、その基準は「わたしが楽しいかどうか」に置かれる。クラブのプレイでもかなりそれに近いことはできるが、たとえば「鞭の跡が残らないようにお願いします」と言われれば、べつに不満や不服には感じないが、やはりその辺りに気を配る必要がある。プライベートでは、それがない。もちろん奴隷の側から何か希望を述べたいなら述べてもいいが、それが叶うかどうかはわたし次第だ。その希望にわたしは応えるかもしれないし、無視するかもしれない。必ず応える必要なんてないし、一切応えなくても何も問題がない。わたしが楽しいと思えないことはしない、というわけではない。ただ単に、楽しいと思えることだけをする、それだけだ。そういう自由さがプライベートのSM関係には根底にあって、それがわたしは好きだ。べつにわたしがM男である彼らより「偉い」わけではない。勝手に彼らが跪き、わたしに服従したがっているだけだ。わたしは決して彼らを侵略しない。ただ征服するのだ。それがわたしにとって、このうえなく楽しい。

そんな彼らと過ごすために使う場所が、別の町に借りたアパートの部屋だ。必ずしもそのためだけに借りているというわけではないのだが、彼らとのプライベートでのプレイには、そのアパートの部屋を使う。自分がふだん暮らしている部屋に、彼らは入れない。

土曜日。

眼を覚ますと、遮光カーテンの僅かな隙間から明るい陽射しが一筋流れ込んでいる。心地よく部屋の空気が冷えている。わたしは寝返りを打ち、ベッドサイドのテーブルの上にある時計を見る。

午前十時二十二分か二十三分。時計の長針と短針がほぼ一直線になっている。

目覚ましのブザーに無理やり起こされる平日の朝とは違って、こういう自然の覚醒は気怠くて快適だ。わたしはブランケットを両手で抱きながらぼんやりと天井を見上げ、ふうと大きく息を吐いた。

昨夜は、昼間の職場の同僚の女の子ばかり三人でバーへ行き、結構飲んだ。帰宅したのは日付が変わった直後くらいだった。それから風呂に入り、メールをチェックして返信をいくつか送信し、二時過ぎにベッドに入った。だから、八時間くらいぐっすりと眠ったことになる。普段のわたしはどうしても寝不足がちだから、まだ寝ようと思えばいくらでも寝られる。しかし八時間という睡眠時間はちょうど良い感じだったし、頭もスッキリしていたので、わたしは起きることにした。

ブランケットをどけて上体を起こし、フローリングの床に足を下ろした。感触が冷たい。髪をかきあげ、大きな欠伸をしながら両腕を上へ伸ばす。

部屋の中は静かだ。何の物音もしない。わたしはパジャマ代わりに着ているTシャツとトランクスのまま窓辺へと歩き、カーテンを開いた。一斉に明るい陽射しが流れ込む。

青空が眩しい。良い天気のようで、視界の範囲に雲はない。完璧っぽい快晴だ。十階建ての建物の三階にあるこの部屋からの景色はそれほど良いものではないが、日当りは悪くない。

わたしは寝室を出てキッチンへ行き、コーヒーをセットすると、そのままバスルームへ向かった。トイレを済まし、裸になって浴室に入り、シャワーを浴びる。頭から湯を被りながらついでに嗽をし、髪も含めて全身を洗った。

充分にシャワーを浴びた後、脱衣所で大きなバスタオルを使って体を拭き、それを体に巻き付けると、別のタオルで髪を拭いながらキッチンへ戻った。すると、コーヒーができていて、その良い香りが空間に満ちていた。

わたしはコーヒーを大きくて無骨な白いマグになみなみと注ぐと、そのマグを持ってキッチンの椅子に座った。熱いコーヒーを一口啜ってマグをテーブルに置き、スリープさせてあるラップトップを開いた。

メーラーを起動させたが、新しいメールは何も届いていなかった。わたしは続いてブラウザを立ち上げ、天気をチェックした後、ブックマークしてあるニュースサイトを一気に開いて次々にタブを切り替えながら、コーヒーを口に運びつつ、目に留まったヘッドラインをチェックしていった。

平日の朝は、こんな余裕などない。天気やニュースのチェックは通勤電車の中の携帯で済ます。しかし休日の朝は、ゆっくりできるから、こんな風にのんびりと過ごすことができる。しかし、ニュースなんて実は、ほとんど関係ないというか、どうでもいい。暗い気分になるだけで、得るものは少ない。世界中で紛争は絶えず、いろいろな場所でいろいろ人がいろいろな理由から死に、カネがあるとかないとかそんな話ばかりだ。

やがてニュースに飽きると、続いて同じクラブに所属している友だちの女王様のブログを読み、それを終えると、ブラウザを閉じた。わたし自身はブログを書いていない。いろいろな人に「書いて」とか「書けばいいのに」とか言われるが、どうもその気になれない。といいながら、実は一度だけ暇つぶしで、いかにもOLらしい「美味しいスイーツ食べ歩き日記」みたいなものを誰にも教えずに作ってみたことがあるのだが、三日で飽きて消してしまった。

やがてコーヒーが空になり、わたしはラップトップを閉じてスリープさせると、脱衣所へ再び向かった。体に巻き付けていたバスタオルを取って下着を身に着け、洗面台で歯を磨き、顔に化粧水を叩き、髪を乾かした。

そしてキッチンに戻ると、もう一杯コーヒーをマグに注ぎ、それを持って寝室へ行った。ドレッサーの前に座り、簡単に化粧をする。休日のわたしは基本的に化粧をしたくないのだが、今日は出かけるので、最低限の武装を施す。

簡単な化粧はすぐに済み、着替えをする。スキニーのジーンズに脚を通し、ピンクのニットを頭から被って、靴下を穿く。後は、軽いコートを羽織って帽子を被れば、出ていける。女王様らしい気合いの入ったファッションでは全くないが、休日なんてこんなものだ。

リビングとして使っている部屋へ移動し、窓辺の椅子に座ってコーヒーをゆっくりと飲んだ。朝のわたしは、テレビをつけない。というか、いつもほとんど点けないのだが、朝は静かに過ごしたいから、絶対にテレビのスイッチは入れない。朝のテレビは五月蝿過ぎる。その代わり、たまにFMラジオを鳴らしておいたりするが、今日は無音だ。

壁にかけてある時計を見ると、十一時を過ぎていた。それを見て、そろそろ出かけようかな、とわたしは思った。これからわたしは、もうひとつの部屋へ行く。そして奴隷たちと会う。いつもなら相手はひとりか、複数でも二人か三人までだが、今日は違う。五人の奴隷が全員集まることになっている。わたしにとって、それは初めての試みだ。

マンションを出て、住宅街の中に伸びるなだらかな坂道をゆっくりと下っていく。JRの駅まで、約十分だ。良い天気だが、意外に風が強い。帽子を目深に被り、わたしはコートの襟を立て、ポケットに両手を突っ込んで、自分の影を見つめながら歩いていく。

土曜日の、もうすぐ午前中が終わろうとしているこの時間帯の住宅街は、閑散としている。擦れ違う人の姿は殆どなく、静かだ。

駅までの道は毎日の通勤でも通っているので、新しい発見など滅多になく、その景色は凡庸だ。住宅街が途切れると幹線道路があり、それを渡ると商業区域が始まって、やがて駅が現れる。所要時間も、ほぼ完璧に予測がつく。ただ、土曜の昼間というこの時間帯の下りの列車の時刻表はわからない。事前に調べることは簡単だが、調べていない。平日の朝の上りの時刻表は頭に入っているし、手帳にも記してあるのだが。

駅に着き、アパートを借りている盆地の町までの切符を買い、時刻表を見上げると、次の下り列車は十五分後だった。わたしは改札を通り抜け、自販機で水のボトルを買い、ベンチに座って列車を待った。ホームには、殆ど人はいない。わたしは水を飲み、トートバッグから文庫本を出して読み始めた。イタリア系アメリカ人が書いた分厚い推理小説だ。まだ五分の一ほどしか読んでいないが、既に若い女性ばかり八人も殺されている。

やがて列車の入線を知らせるアナウンスが流れ、わたしはいったん文庫本を閉じてバッグにしまい、立ち上がった。依然として、ホームに人は少なかった。

列車がホームに入ってきて、止まり、ドアが開く。車内も、中途半端な時間のせいか、空いている。わたしは車両の中ほどまで歩き、誰も座っていないボックスシートを見つけると、その窓際の席に腰を下ろした。傍らにバッグを置き、再び文庫本を取り出す。そうしているうちにドアが閉まり、列車は発車した。

窓から射し込む陽射しは暖かく、眩しい。長閑な車内だ。わたしは脚を組み、本を読む。ごとんごとんと適度に揺れる振動と陽射しが眠気を誘い、瞼がだんだん重くなってくる。

結局、十分ほどでわたしは読書を諦めた。本をしまい、水を飲んでから、腕組みをして眼を閉じる。瞼の裏が朱く染まる。目的の町までは約一時間かかるから、少し眠ろう、と思った。ぐっすりと眠り込めば乗り過ごしてしまうかもしれなかったが、完全に意識を解放して無防備になるわけではないから、浅い眠りに落ちるくらいはたいして問題ではなかった。どのみちこの列車は「普通」だから途中いくつかの駅に停車し、その度に揺れて、人の出入りも多少はあるだろうから、そんなに深くは眠れず、自然と起きてしまう。そのことをわたしはこの半年の経験で知っていた。

次に眼が覚めた時、列車は県境を越えて山の中を走っていた。わたしは水を飲み、窓の外を眺めた。線路は川沿いの狭い場所を通っている。眼下に切り立った崖が続いてその底に深い緑色を湛えた川が流れている。正確な場所は不明だったが、腕時計を見ると、乗車してから三十五分が経過していた。欠伸が出た。

改札を出ると、駅前広場にはロータリーがあり、客待ちのタクシーやバスが止まっている。そこそこに賑やかな駅前だ。ロータリーの向こうには、ビジネスホテルやパチンコ店やショッピングセンターの建物が並んでいる。わたしは駅ビルに入り、二階へ上がると、和食の店に入った。アパートへ行く前に、昼食を済ますのだ。

さすがに昼時だけあって、店は混み合っていた。それでも、待たされることはなくテーブルへ案内された。メニューを見て、わたしはざる蕎麦を注文した。この駅ビルには何軒かレストランが入っていて、この町へ来る度にいろいろな店を試しているが、ここの和食がもっとも美味しい。パスタの店も悪くないが、今日はなんとなく蕎麦が食べたい気分だった。

十分もしないうちに、ざる蕎麦が届いた。わたしはそれを旺盛な食欲を発揮して食べた。朝から何も食べていないので、空腹だった。

ざる蕎麦を食べ終えると、わたしは精算を済ませて店を出て、一階のカフェに入り、冷たいラテを飲んだ。ここまでは、いつものパターンだ。駅ビル内か、或いは近くの店で昼食をとり、ここのカフェで何かを飲んで部屋へ向かう。借りているアパートの周囲には、めぼしい店がほとんどない。田んぼや畑が広がる地域だし、五分ほど歩くとコンビニがある程度だ。車があれば一気に行動範囲が広がるが、あいにくわたしは車を所有していないし、たとえ安い中古車でも、この町で過ごす週末の時間のためだけにわざわざ車を購入する気にはなれない。

カフェでもラテを飲みながら本を読み、十人めの女の死体が発見された場面でわたしは読書を中断し、店を出た。

駅からアパートまでは、ゆっくり歩いて三十分弱かかる。普段であればタクシーを使いたくなる距離だし、雨の日には実際に乗ったことがあるが、たいていは歩く。バスは、路線があるのかどうかわからない。もっとも路線があったとしても、何時間かに一本、もしかしたら朝と夕の通勤通学の時間帯に数本しか走っていない気がする。

駅前の賑わいを抜けると、川があり、長い橋を渡る。そして更に進むと交通量の多いバイパスに出て、家電や紳士服やファミリーレストランなどの大きな店舗が現れる。歩いている人なんて、殆どいない。ほぼ完全に、車で移動する人たちのための町だ。そのきわめて人工的な町並みを抜けると、途端に田舎になる。畑や田んぼが周囲に広がり、農作業に向かう軽トラなどが狭い道をのろのろと走っていたりする。そんな田舎の風景の中をどんどん歩いていくと、やがて前方に、田園風景には少々不似合いな、この辺りにしては高層の建物が見えてくる。それが、わたしが借りている部屋のあるマンションだ。周りの風景があまりに田舎なので遠くからでも目立つし、けっこう立派な建物に見えるが、実際にはべつにたいしたことはない。ごく平凡な賃貸マンションだ。オートロックの設備などもないし、管理人が常駐しているわけでもない。

天気が良いので、いくらゆっくりとした歩調でも、黙々と進むうちになんとなく汗ばんでくる。わたしはコートの前のボタンを開けた。ときどき水を飲む。靴はパラディウムの軍用ブーツのような形をしたキャンバスのスニーカーだからゴムのソールが分厚く、よって足の裏が痛くなることはなかったが、歩き続けているうちに脹ら脛や太腿の裏側辺りの筋肉が若干張ってきた。やはり運動不足だな、とわたしは歩きながら思った。

そうして更に十分ほど歩き、マンションの近くまで来たところで立ち止まると、わたしは携帯電話を取り出し、奴隷のひとりの携帯へかけた。そして三回コールを鳴らすと、そのまま相手の応答を待つことなく、切った。トートから水のボトルを取り出して、立ち止まったまま飲んだ。ずいぶん温くなってしまっていたが、もともとわたしは常温の水が嫌いではないので、じゅうぶん美味しかった。

マンションの建物内に入り、集合ポストに溜まっているチラシの類いをゴミ箱に捨て、エレベーターに乗った。部屋は六階なので、「6」のボタンを押す。このアパートを借りる時、ほんとうは最上階の八階が良かったのだが、あいにく空室がなかった。二階から六階までは一室ないし二室は空いていたのに、七階と八階だけは全室が埋まっていた。

六階に着くと、外に面した廊下がまっすぐ伸びていて、「601」から「608」まで等間隔でドアが並んでいる。わたしが借りているのは最も奥にある「608」だ。廊下を進み、そのドアの前に立つ。表札は掲げていない。

わたしはトートから鍵を出してロックを解放した。ドアを開けて中に入り、靴を脱ぐ。三十分近く歩いてきたので、さすがに少し疲れている。廊下に上がると、突き当たりに磨りガラスが嵌った木製のドアがあり、その先がLDKだ。その手前の右手に六畳の洋室のドア、左手に洗面所やトイレや浴室のドアがある。このマンションの浴室はユニットバスではなく、バスルームとトイレがそれぞれ独立している。わたしはトートバッグを肩に掛けず手に持ったまま廊下を進み、 LDKのドアを開けた。

するとその室内には、既にわたしの奴隷が五人、顔を揃えていた。全員、全裸で、無言で、フリーズしている。わたしが部屋に入ってきても、目線だけは向けてきたが、動かないし口も開かない。挨拶すらない。ふつうであれば一目散に足許に馳せ参じ、ひれ伏し、丁寧なご挨拶を述べるのが奴隷である彼らの常だが、今日は違う。

今回、わたしはこの部屋に彼らを初めて一同に集めたが、それには或る目的があった。その目的とは、彼らを人間家具として使う、ということだった。つまり、具体的に何か調教を施すのではなく、全員をこの部屋に集めて、それぞれに家具としての役割を与え、そのまま一日過ごさせるのだ。五人の奴隷には予め、どんな家具になるか、割り振ってあった。具体的には、二種類の椅子、オットマン、テーブル、コート掛け、だ。二種類の椅子とは、ひとつは壁際で四つん這いにさせてオットマンとセットで使う椅子、もうひとつは床に仰向けに寝かせて使う寝椅子だ。寝椅子の奴隷は今、床で足をぴんと伸ばして座り、起こした上半身の脇に両手を置いて体勢を保持している。

全員には、「一言でも喋ればそれはもう家具ではないから、口を開いた時点で帰らせる」と伝えてある。動きは、多少は仕方ない。完全にずっと微動だにせず静止していろというのは、さすがに酷だし、べつに「ダルマさんが転んだ」をして遊ぶわけでもないのだから、体の強ばりを時折解す程度の小さな最低限の動きだけは許可してある。しかし、まだわたしが現れて数分だから、彼らは全く動かない。先ほど、マンションの手前で奴隷のひとりの携帯を三回鳴らしたのは、もうすぐ着くから準備をしなさい、という前もって決めてあった到着の合図だった。彼らが何時からこの部屋で待機していたかはわからないが、わたしが到着するまでは自由に過ごして良い、と言ってあった。一応わたしは「昼過ぎの適当な時間に部屋へ行く」と彼らに伝えてあったから、わたしがいない場所で奴隷同士が顔を突き合わせて何か話すことがあるのか知らないが、たぶん五人の奴隷は全員、念のために昼前にはここへ到着していたと思う。もともと、わたしは彼らを信用しているので、この部屋の合鍵は全員に渡してある。ただし、鍵を渡してあるといっても、無断で彼らがこの部屋を使うのは禁じているから、今日のようなことでもないと、なかなかその鍵を使う機会はない。

わたしはLDKに入ると、それぞれ家具の役割を忠実に果たしている奴隷たちに満足して微笑み、いったんキッチンにある小さなテーブルと椅子のセットへ向かった。帽子を取って椅子に座り、バッグを床に置き、テーブルに肘をつきながら、改めて奴隷たちの様子を観察する。

全員、本当に全く動かない。全裸なのでペニスも露出させているが、若干大きくはなっているものの、誰も完全には勃起していない。わたしが傍に立ってじっと瞳を覗き込めば即座に勃起するだろうが、視線はそれぞれの体の向きに合わせて固定しているから、わたしと眼を合わせる者はなく、股間は無反応のままだ。ちなみに、五人のうち三人は包茎だ。

LDKは十二畳でさほど広くはなく、キッチンのスペースを除けば八畳もないくらいだが、基本的にもともと大画面テレビと、CDコンポやゲーム機が載った低いチェストくらいしか置かれていないので、五人の成人男性が散らばっていても、そんなに狭くは感じない。本来はテレビやチェストの他にソファと低いテーブルがあるが、それらはさすがに邪魔なので今は壁際に寄せられている。そして同じその辺りに、奴隷たちの荷物もまとめて置かれている。ボストンバッグやらバックパックやら、五個の鞄が綺麗に並んでいる。たぶんここまで着てきた服などもその中に収められているはずだ。奴隷たちに、この部屋のクローゼットなどを使う権利はない。

わたしの奴隷たちは、全員、髪と眉毛以外の体毛を全て剃っている。全てということは、当然股間もだ。その理由は、この部屋で彼らは常に全裸だから、体毛が床に落ちると、わたしが嫌だからだ。自分の部屋に奴隷の体毛が落ちているなんて気に入らないというか、許せない。だから、腕やら臑やら腋やら、とにかく毛は剃らせている。本当は髪も眉も剃らせたいが、奴隷たちにもそれぞれ日常生活というものがあるし、そこは妥協している。しかし、長髪は不可で、全員短髪だ。

それでも、五人のうちでひとりだけ、さすがに眉毛はあるが、髪を剃っている者がいる。丸刈りではなく、本当に剃刀で綺麗に剃り上げている。この奴隷は、それでべつに問題ない。なぜなら、その奴隷は寺の跡取り息子で、現在は父親がまだ住職を務めていて現役だから自身の肩書きは「副住職」だが、紛れもなく本職の坊主だからだ。宗派は聞いたが忘れてしまった。今、その坊主は、窓辺に近い位置でまっすぐ立ち、コート掛けになっている。わたしは、椅子から立ち上がり、その奴隷の前へ行くと、着ていたコートを脱いで彼の肩に掛けた。すると彼は少しだけ腕を持ち上げ、コートが床に滑り落ちないようにきちんとキープした。むろん、その程度の動きは許容範囲だ。寺の跡取り息子であるこの奴隷は、面白い。SMプレイの流れの中でわたしの性器に奉仕させる時、たとえばわたしが椅子に座って脚を開き、その股間の前でこの奴隷が跪く場合、本物のお経を唱えて性器を拝みながら真剣に一心不乱に舐めるのだ。初めてその光景を見たときは、思わず大笑いしてしまったが、その奴隷にとってわたしの性器は、自分の寺の本尊である秘仏のような存在らしい。その秘仏は何年かに一度しか開帳せず、通常は寺の者であっても見ることができないという話だが、わたしの性器は彼にしたらそういうものらしいのだ。プレイ後の雑談の中で、彼は本気でそう言っていた。

そんなことを思い出しながらわたしはコート掛けの前を離れ、壁際で椅子になっている四つん這いの奴隷の背中に座り、壁に凭れながら足を投げ出してオットマンになっている男の肩口にその足を置いた。オットマンになっている奴隷はわたしに背中を向けるようにして正座し、首だけを前に倒した格好になっているので、わたしの姿は全く視界に入っていないはずだ。むろん、背中を座面として使われている尻の下で四つん這いになっている奴隷も、わたしは見えない。テーブルと寝椅子になっている奴隷は手持ち無沙汰だが、仕方ない。この奴隷たちはただ静止しているしかないが、その代わり、わたしの姿を見ることができている。とくに寝椅子の奴隷は視界が広い。テーブルの奴隷は椅子たちと同じく四つん這いなので床を見つめているしかないが、寝椅子は仰向けで体を起こしている。わたしは体から力を抜いてリラックスしながら、冷めた眼でその寝椅子の奴隷を見つめた。視線が交錯し、その奴隷の瞳に控えめな戸惑いと卑屈さが入り交じった弱々しい光が宿る。紛れもなくマゾの眼だ。更に視線を向け続けていると、剥き出しのペニスが、じわじわと頭をもたげていく。その様子が視界に入っているコート掛けの坊主も、おそらくは無意識なのだろうが、いつのまにか勃起している。この坊主は仮性包茎だから、勃起すれば皮が剥けて、反応がわかりやすい。つとそちらに視線を向けると、坊主は羞恥心で顔を真っ赤にしていた。テーブルになっている奴隷の横顔を見やると、床に視線を落としたまま、時々瞬きしていた。

わたしは立ち上がり、50インチのプラズマテレビのスイッチを入れ、キッチンへ行った。そして冷蔵庫を開けた。中はがらんとしている。飲み物くらいしか入っていない。週末しか使わない部屋だから、食品関係はほとんどない。わたしはいくつかある飲み物の中から新品のオレンジジュースの壜を選んで取り出し、栓を開けて大きなグラスに注いだ。それを持ってリビングに戻り、チェストの上からテレビのリモコンを手に取って、椅子になっている奴隷の傍へ向かった。座る直前、テーブルになっている奴隷の背中をぽんと叩き、首は動かさずに眼だけを向けたその奴隷に、わたしは人差し指を立てて(近くに寄れ)というように指で呼んだ。

わたしが再び椅子に座ると、テーブルは素早く、最低限の動きでわたしの右隣に移動して全く同じ姿勢をとった。わたしはその背中にオレンジジュースのグラスを置いた。奴隷の体に緊張感が漲っている。必死に背中を水平に保とうと、全身に力を込めている気配がひしひしと伝わってくる。

わたしはその緊張を無視してリモコンを操作し、テレビのモードをビデオに合わせると、HDDレコーダーの中に入ったままの映画のDVDを再生させた。その映画は、もう何回となく観ているが、『ゴッドファーザー』のパート3だ。わたしは、このシリーズは全部好きだが、とくに3が好きだ。非合法のファミリーが合法的な組織へ移行をはかろうとしながら、しかしもちろんそうそう簡単に事は運ばず、結局は伝統的なマフィアの方法で世界最強の組織であるバチカンに制裁を加える、その映画全体に漂う荘厳な世界観とスケールの大きさがたまらない。そして、年老いたマイケルが日溜まりの庭で椅子から崩れ落ちるラストシーンは、何度観ても胸が締め付けられる。

映画が始まると、わたしはオットマンに足を載せ、リラックスした体勢で、たちまちその世界に引き込まれていく。奴隷たちのことは完全に無視だ。時々ジュースを口に運び、テレビの音だけしか聞こえない静かな部屋で映画に集中する。

そのまま一時間近く時間が経過し、わたしは不意に尿意を覚えた。だから、いったんビデオを止めると、椅子に座ったまま伸びをして、独り言のように呟いた。

「なんか、おしっこしたくなっちゃったな」

その瞬間、明らかに室内の空気が変わった。それまでは無理やり押さえつけられていた、或いはそれぞれ自分で強く押さえ込んでいた各奴隷の想念が一気に噴出し、入り乱れながら渦巻いたようだった。もちろん表面上は何も変わらない。奴隷たちは静止したままだし、眼や顔を動かす者はいない。しかし、決して目には見えないが、どろどろとした欲望が剥き出しになったマゾ的な想念が、確かに部屋の中で暴れ回っていた。

わたしは立ち上がると、静かな奴隷たちを見回して、言った。

「誰か、わたしのトイレになりたい?」

しかし、それでも奴隷たちは無言と静止を保っていた。もしもここで「なりたいです」みたいに言って動き、自己をアピールする者があったら、その時点でその奴隷は放り出すつもりだったのだが、誰もそういう行動には出なかった。我ながら、よくできた奴隷たちだ、とわたしは思った。本当は、五人ともわたしのトイレになりたくて仕方ないはずなのだ。他の四人を押しのけてでもわたしのトイレという役割を担いたいと思っている。マゾとは、そういうものだ。自らのマゾ性に対しては恐ろしいくらいエゴイスティックなのが、マゾという生き物だ。たとえ同じ立場の者があっても、譲り合うという事はまずない。誰もが率先して我先にと跪きたがる。そういう意味で、この五人は同じ部屋の中で同じフラットな立場の「わたしの奴隷」だが、トイレの座はひとつしかないから、その心の内での葛藤とライバル意識は相当なもののはずだ。とはいえ、それをアピールすることはできない。だから余計に悶々ともどかしさを抱えている。わたしには、そんな奴隷たちの心情が手に取るようによくわかった。

わたしは奴隷たちを見回しながら、誰をトイレとして使おうか、と考えた。ひとりひとりに視線を向けていくと、その誰もが一見無関心を装って静止状態を保ちながらも「自分を選んでください」という切実で悲壮感すら漂わせた哀願のムードを露骨に滲ませていた。ホットな欲情をクールなポーズで覆い隠している感じだ。しかしわたしは、そんなことは全く気にしない。常にわたしが彼らを選ぶのだ。誰をどう使おうが、それはわたしの自由であって、彼らの意思は関係ない。というか、わたしにとってトイレなんか誰を使っても同じだから、誰でもいい。

だからわたしはとくに理由もなく、今はもう空になったジュースのグラスを背中に載せているテーブルの奴隷の頭を軽く叩くと、「ちょっと」と声をかけた。すると、その奴隷の雰囲気が明らかに変わった。選ばれた、という歓びに似たムードが伝わる。わたしは、そんな彼に言った。

「わたしがトイレへ行っている間に、このグラスにもう一杯オレンジジュースを注いでおきなさい」

そしてオットマンを足で蹴った。

「行くわよ、ついていらっしゃい」

トイレが決定した瞬間、再び室内の空気が変質した。選択されたオットマンひとりを除いた奴隷たちから、深い絶望感のようなものが一気に立ち昇った。なかでも、テーブルになっていた奴隷の落胆は相当なものだった。なまじかわたしが「ちょっと」と一番先に頭を叩いたために、天国から地獄へ一瞬にして転落した。べつにその彼が憎くてわたしはそうしたわけではない。からかって遊んだわけでもない。トイレなんて本当に誰でもいいのだし、「ちょっと」と頭を叩かれたことでトイレとして選ばれたと思ったなら、それは早とちりというか勝手な勘違いだ。わたしは関係ない。だいたい、トイレに奴隷を使う必要だって、とくにないのだ。さっさとトイレへ行って用を済ませてくればそれで終わる。それでも、どうせなら奴隷を使ってあげようと思っただけで、つまりすべてはわたしの気まぐれなのだから、オットマンの奴隷を選んだからといって、わたしが彼を贔屓しているわけではないし、他の奴隷たちを彼より「下」に見ているわけではない。しかし、彼ら奴隷たちにとって「わたしのトイレ」になるということは、たぶん「特別」なことで、他の家具類になることとは意味合いが違うだろうから、結果的に「特別」な色合いを帯びてしまうだけだ。普段でも「便器」や「ビデ」になることを彼らは好む。むろんすべてのM男にそういう嗜好があるわけではないだろうが、わたしの奴隷たちは五人ともトイレ願望が強い。それ以外の部分では、ひとりひとり嗜好の違いはある。鞭打ちを好む者、拘束を好む者、羞恥責めを好む者、ペットとして犬のように、家畜として豚のように、人ではなく動物のように扱われることを好む者、いろいろだ。それでも、根底に便器願望が共通の嗜好として流れている。しかしそれも所詮は彼らにとってそうであるだけで、わたしには関係ない。わたしは出したい時に出したいものを出すだけで、それをどこに出すかは全く重要ではない。トイレの個室内の便器だろうが奴隷の口だろうが、違いはない。もっとも水を流す手間や後処理に紙を使う必要がないだけ奴隷の口を使う方が楽かもしれないが、やはり重要なことではない。どうでもいいことだ。

わたしはオットマンになっている奴隷の短い髪を掴んで引っ張り上げるようにして立たせると、他の奴隷たちに言った。

「わたしがトイレに行っている間、自由に体を伸ばしたり何かを飲んだりしててもいいわ。トイレに行きたければどうぞ。だけど、喋ってはダメ。さすがにちょっと疲れただろうから、十分だけ休憩にする。十分したら、戻ってくるから」

奴隷たちの反応はない。家具だから当然だ。わたしはオットマンの奴隷を引き摺るようにして歩きだそうとした。しかし彼はずっと正座のような姿勢で膝を畳んでいたので、立ち上がらせても足が痺れているのか、まともに歩けなかった。わたしはそのことに小さく苛つき、「もういい」とその奴隷を突き飛ばすと、代わりに、尻の下で四つん這いになっていた椅子の奴隷の尻を叩き、立たせた。

「おまえを使う」

床に崩れ込んでいるオットマンの奴隷が哀れな目を一瞬だけ向けた。せっかくのチャンスを自ら放棄してしまった自身の不甲斐なさと情けなさに、悔しさに似た感情を抱えているのだろう。しかし、足が痺れてまともに動けないのだから仕方ない。誰のせいでもない。

代わりに、椅子の奴隷はいったんは諦めたのに急転直下トイレに選ばれ、顔に歓喜の表情こそ浮かべてはいないが、雰囲気で喜んでいることがありありとわかった。もしも優越感に近いような態度を取れば即座にこの椅子の奴隷も捨てるつもりだったが、その程度のことは、わたしの奴隷たちは既に学んでいるから、トイレに選ばれても彼は表面上では完全に冷静さを保っていた。

わたしは四人の奴隷をリビングに残して、椅子の奴隷とバスルームへ向かった。時計を見て、さりげなく時刻を確認する。そして脱衣所に入ると、先に奴隷を浴室へ放り込み、わたしはジーンズと靴下と下着を脱いで下半身だけ裸になった。それから浴室に入り、奴隷を冷たいタイルの床に寝かせた。しかし広い場所ではないので、奴隷は膝を折り、その体勢を保つことに苦労している。わたしはその顔を跨いで中腰になった。そして、一気に放尿した。

奴隷は必死に口を開け、ごくごくと喉を鳴らして降り注ぐ尿を飲んでいる。しかし、わたしの尿の勢いが強いので、奴隷の喉はそれに追いつかず、配管が詰まったみたいにごぼごぼと盛大に溢れ出させている。それでも、奴隷の性器は猛々しく天を衝いている。通常のプレイであれば、すかさず自慰の許可を求められる場面だ。実際、奴隷はペニスに伸びようとする自分の手を必死に堪えていた。当たり前だ。便器に自慰をする権利などない。ほんの指先だけでもペニスに触れたりしたら、そこで今日のこの奴隷は終了だ。そのことで縁を切るつもりはないが、今日のところは終わりだ。だから、奴隷もよく心得ている。体を硬直させながら、飲むことだけに集中している。そんな奴隷は、既に髪までわたしの尿でぐしょ濡れだ。

やがてわたしは放尿を終え、そのまま奴隷の顔の上に座った。便器の後は、ビデとしての仕事がある。奴隷は、わたしの股間を丁寧に舐めた。

適当なところで、わたしは腰を浮かせた。そしてシャワーヘッドを手に取ると、水を出し、自分の股間と、尿で濡れた足を簡単に流し、奴隷より先に浴室から出た。

「ここを掃除してから体を流し、部屋で家具に戻ってなさい」

わたしは浴室のドア越しに、尿に塗れている奴隷に風呂場の後始末を命じ、バスタオルで下半身を拭くと、先ほどまでと同じように下着と靴下とジーンズを身に着けた。磨りガラスに、シャワーを使って床を流している奴隷の動きが映っている。脱衣所から出るとき、わたしはもう一度奴隷に声をかけた。

「隠れてオナニーをしたければしてもいいわよ。だけど、そのことが後でわたしにわかったら、それで終わりだから」

まだこの後も家具としての時間が続く。家具は射精なんかしない。そして、出せば、それはわかる。隠そうとしても隠せるものではない。心は目に見えないから厄介だが、体は正直だ。射精したかどうかくらいは、雰囲気でわかる。だから、この奴隷は決して自慰をしない。したくてたまらないだろうが、しない。わたしが奴隷に与える言葉は決して「命令」ではない。そうではなく、「方針」だ。よって奴隷の選択肢は「喜んで、する」か「しない」しかない。そして「しない」なら、そんな奴隷は不要というか、もう「わたしの奴隷」ではないから、捨てるだけだ。

わたしはいったん六畳の洋室に入った。ベッドに座り、時計を見る。すると、休憩を宣言してから六分が経過していた。今、五人の奴隷たちが何をしているかはわからない。喋ってはいけないと命じてあるから、たとえ小声でも話をしている愚か者はいないだろう。たぶん、ストレッチをしたり、飲み物を飲んだりトイレを済ましたり、ほんの束の間の限られた自由を精一杯満喫していることだろう。この家具としての時間がいつまで続き、何時に終わるのか、奴隷たちにはっきりとは伝えていない。夕方には終わるかもしれないし、明日までオールナイトで続くのかもしれない。そういうゴールの見えない戸惑いが、おそらく奴隷たちの中にあるはずだ。ただし、それを表に出すことはできない。訊ねたいだろうが、その権利は残念ながら奴隷の側にはない。

わたしは再び部屋に戻った。すると奴隷たちは、既に先ほどまでと同じ体勢だった。場所も変わっていない。誰が載せたのか知らないが、テーブルの奴隷の背中にテレビのリモコンと、新しく注がれたオレンジジュースのグラスがある。その奴隷が自分で自分の背中にそれらを置くことは無理だろうから、奴隷同士で協力してその状況を作り上げたのだろう。

また椅子とオットマンを使った同じ体勢でビデオを観るのもつまらないので、わたしは寝椅子の奴隷を使うことにした。しかし、奴隷が上体を起こして仰向けになった状態では使いにくいので、逆の体勢をとらせることにした。

ひとまず、テーブルの奴隷の背中からリモコンとジュースのグラスを取って床に置き、その奴隷を壁際へ追いやった。ついでに、椅子とオットマンも立たせ、その隣に並ばせた。三人とも、腕を体の横にまっすぐ下ろし、指先をピンと伸ばして直立の姿勢を保つ。三人をそうさせておいてから、わたしは寝椅子の奴隷を人差し指の動きだけで呼んで、テレビの前で画面の方へ頭を向けて仰向けに寝させ、その膝を立たせるよう命じた。つまり、立たせた太腿辺りを背凭れに見立て、腹から顔にかけての体の上を座面として使うことにしたのだ。やはり自分の背中の下に奴隷の顔面があるのは、しっくりこないし、何よりバランスが悪そうだった。体勢的に逆にして、膝を折って脚を立たせれば、太腿がクッションの代わりになりそうだし、ちょうどふたつの膝で首筋を支えることもできそうだった。椅子とオットマンとテーブルは、直立不動のままではつまらないので、そのまま壁際で割り当てた家具の体勢を取らせる。

わたしは寝椅子の上に座り、太腿の背凭れに背中を預け、脚を投げ出した。ちょうどわたしの脹ら脛辺りが顔の上に載って、後頭部を膝が支え、なかなか良いバランスが保てる。ただ、わたしの腰の辺りに、邪魔な突起物があった。わたしの全体重を受け止めながら、寝椅子が勃起しているのだ。しかしまあ、これは仕方ない。

体勢が決定すると、わたしはリモコンでDVDの続きを再生させた。もう椅子とオットマンとテーブルは視界にすら入っていない。わたしの視界には、テレビの画面とコート掛けの坊主だけだ。そのままわたしは時折ジュースを飲みながら、映画の世界に没頭した。

やがてジュースが空になり、なんとなくわたしは手持ち無沙汰になった。映画はまだ続いている。わたしは寝椅子の上で体を捻って振り向き、椅子とテーブルの奴隷に傍に来るよう命じ、それぞれを、わたしを挟んで寝椅子と並行に四つん這いにさせた。頭は、テレビとは反対の背後の壁へ向けさせた。つまり、そうやってふたりを並べて彼らの体を肘掛けにしようと思ったのだ。試しに、わたしを挟んで両側で四つん這いになった奴隷たちの背中に肘を置いてみると、なかなかいい感じだった。しかし体にわたしが触れているからか、左右の奴隷は、いつのまにか四つん這いのまま勃起していた。

わたしはテレビの画面に集中しながら、単なる暇つぶしに、両手でそのふたつのペニスをそれぞれ握ってみた。するとふたつのペニスとも瞬く間に完全に屹立し、わたしの手の中で限界まで固くなった。そのまま、わたしはふたつのペニスを、まるで牛の乳でも絞るかのように、手の中で弄び、扱いてみた。更に、亀頭を指の腹で擦ったり、ぎゅっと握って気まぐれに引っ張ってみたりして、しばし遊んだ。とはいえ、射精させるつもりはないし、わたしの意識はもちろん映画に向けられている。ついでに、足の下の奴隷の顔を靴下の足の裏で踏んで遊んだりもした。顔の上に足の裏を置いたままその指先をモゾモゾと動かして鼻を摘んだり唇を捲ったりした。

映画を観ながらそんなことをしているわたしの視界の隅には、ポーカーフェイスを保ってはいるがわたしの手や足の動きにすっかり心を奪われて悶々としている風のコート掛けの坊主の姿が常にあった。そのペニスも、露骨に勃起している。背後にオットマンの奴隷がいるはずだが、その奴隷がどんな状態なのかは、見えないからわからない。映画はそろそろクライマックスで、ファミリーの殺し屋たちが伝統的な方法で敵を消去し始めている。

やがてすべての粛正が終わり、長閑なシチリアの風景が映った。年老いたマイケルが日溜まりの庭で椅子に座り、崩れ落ちる。

映画が終わった。画面にスタッフロールが流れ始めた。その途中で、わたしはDVDを止めた。部屋に沈黙が落ちる。

いつのまにか、窓の外の空が焼け始めていた。光線は傾きだし、夕刻の色合いが強められている。わたしは寝椅子に体を預けたまま、その光をぼんやりと見た。すると、なぜか無性にオナニーがしたくなった。べつに映画の中の男たちの佇まいや、奴隷たちのペニスを弄っていたことで発情したわけではない。理由は、ない。だけれども、我慢できなかった。だから、わたしはいったん立ち上がってチェストまで行き、抽き出しからローターを取り出すと、それを持って再び寝椅子に戻り、ジーンズのボタンを外してジッパーを下ろした。そしてローターのスイッチを入れ、下着の中にそれを滑り込ませ、敏感な部分に当てた。

小さなモーター音だけが室内に響き、わたしは自由に快感を貪った。やがてジーンズと下着を乱暴に脱ぎ捨て、大胆に脚を開いてローターの小刻みな快楽に身を委ねた。寝椅子の奴隷が立てている太腿に背中を強く押し付けて体を支えながら、胸を揉みしだき、乳首を弄る。自然に声が漏れ、濡れ、時々虹色の波のような快感がわたしを貫いて、わたしは激しく体をくねらせながら自慰をした。そのうちに体が寝椅子の上から床にずり落ちたが、構わず続けた。いつになくわたしは発情していた。熱源が体の奥底で暴れ、出口を求めていた。

やがて大きく背中を反らし、わたしはイッた。あまりの快感に、わたしは床に伏せながら、しばらく動けなかった。ローターのスイッチを止め、床に放り出した。完全に脱力していた。わたしはぐったりしながらその心地よい疲労感を伴った余韻にしばし浸り続けた。

そうしていると、徐々に余韻がひいていった。このうえなく平和で、穏やかな気分だった。その温い水に漂うような感覚の中で、わたしはゆるりと体を反転させて仰向けになり、上体を起こすと、座ったまま腰だけを浮かせて下着とジーンズを穿いた。

床に手をついて、立ち上がる。快感の余韻か、立ち上がると一瞬だけ体が揺れた。わたしはリモコンを拾い上げてテレビの電源を落とし、それをチェストの上に置くと、リビング全体を見渡せるようキッチンのテーブルへ移動した。そして椅子に座り、テーブルに頬杖をつきながら、静止し続ける奴隷たちの様子を無言で眺めた後、言った。

「じゃあ、今日はもうこのまま、帰って。わたしはこれからシャワーを浴びる。その間に、全員消えていて」

わたしは一方的に終了を宣言し、椅子から立ち上がった。奴隷たちは最後まで家具でいなければならないから、わたしの言葉に対する反応はない。

わたしはLDKから出ると、廊下を進み、バスルームに入った。そして脱衣所で裸になり、浴室のドアを開けた。

時間をかけて熱いシャワーに体を打たせ、バスローブを着てLDKに戻ると、奴隷たちの姿は既に消えていた。壁に寄せられていたソファと低いテーブルは元の普段の位置に戻されていて、一カ所にまとめられていた奴隷たちの荷物はなくなっていた。使ったグラスはきちんと洗って食器棚に戻され、床に放り出したままだったローターも、ちゃんとしまわれている。坊主がずっと持っていたわたしのコートは、ハンガーに吊るされて壁のフックに掛けられていた。

わたしはキッチンへ行き、冷蔵庫からミネラルウォーターのペットボトルを取り出すと、その水をグラスに注いだ。ボトルを冷蔵庫に戻し、水のグラスを持ってリビングに入り、そのまま部屋を横切ってガラス戸を開けると、サンダルを履いてベランダに出た。

夕暮れの風が涼しくて心地よかった。幾重にも連なる山並みは紫色に煙り、空は灰色とオレンジが入り混じった黄昏の色に染まっている。盆地の底にささやかな町の灯が瞬きだす。

わたしは右手に水のグラスを持ち、左手をバスローブのポケットに突っ込みながら、欄干に寄って立った。そして吹き抜けていく穏やかな風を全身で受け止めながら、冷たい水を飲んだ。

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