聖夜

「お帰りなさいませ」

立野茂は、玄関で土下座をし、額を床につけた。

「ただいま」

仁藤理佐子は疲れきった顔で不機嫌そうに言い、無造作にパンプスを脱ぐと、黒革のブリーフケースを立野に投げつけて、廊下に上がった。立野はそのブリーフケースを抱えたまま、理佐子の後ろについて歩いた。間接照明が仄かに灯る廊下は、奥に向かって一直線に伸びている。十二階建てのマンションの最上階、ワンフロアを占めるこの5LDKの部屋の名義は理佐子だった。

理佐子は三十三歳、立野は二十七歳で、ふたりは女主人と下僕の関係にある。理佐子は某私立大学付属病院の外科医で、現在は助教授だが、次期教授の呼び声が高く、まさに才色兼備の女性だ。すらりとした長身で、美しく、それでいて頭が切れる。しかも天性のサディストだった。かたや立野は、美大を出て画家として活動しているものの、さっぱり芽が出ず、理佐子に食べさせてもらっている状態で、彼女には全く頭が上がらない。コンテストにも落選し続けているし、個展の予定も無く、実入りが殆どない。はっきりいえば、ヒモだ。つまり、立野は彼女の収入に依存して暮らしている。よって、その結果、生活の主導権を握るのは当然理佐子となり、立野はそれに従うよりなかった。しかし立野はマゾヒストだから、そのような関係に充分満ち足りている。

廊下の突き当たりに、畳の数にして三十枚以上の広さを持つLDKがある。リビングのスペースにはイタリア製のゆったりとしたソファがあり、天井にはベネチアングラスの豪奢なシャンデリアが吊り下がっている。奥まったキッチンのスペースは、今は暗いが、とても広く機能的に設計されており、システムキッチンはドイツ製の特注品で、使い勝手のよいシンクや作業台は単に実用的に優れているだけではなくスタイルも洗練されている。ちなみに、キッチンのテーブルはスペインのアンティークだ。側面に施された装飾が美しい。ただ唯一、巨大な冷蔵庫や電子レンジなど電化製品だけが日本製だった。

理佐子はソファに深々と身を沈めると、低いテーブルの上に脚を投げ出して体から力を抜いた。今日は、朝八時から十時間に及ぶ外科の手術があった。理佐子は担当医として執刀し、五十代の男性患者の体内各所に転移しているがん細胞を一斉に摘出した。それは最先端の医療技術をもってしても困難を極めたが、現状では出来うる限りの処置を適切に行った。手術は成功といってよかった。とりあえず、がんは全部取った。あとは、患者自身の体力と運次第だった。そんな極限的な緊張からようやく解放された今夜の理佐子は、心身ともに疲れきっていた。

「ジケル、バーボンを持っていらっしゃい」

「はい」

立野はリビングボードの棚からジャックダニエルズのボトルを取り、それを持ってキッチンに入った。そして、冷たいミネラルウォーターと氷で水割りを作った。理佐子のような高貴な女性には、酒といえばワインかシャンパンのイメージを抱きがちだが、彼女の場合は専らバーボンだった。ワインもシャンパンも滅多に口にしない。

「早くしなさい、グズねえ」

煙草に火をつけながら理佐子が言う。

「すみません、すぐお持ちいたします」

立野は急いで水割りを作り、理佐子のもとへ運んだ。彼女の傍らに膝をつき、静かにグラスを差し出してテーブルに置く。

「お待たせいたしました」

理佐子はフンッと鼻を鳴らして、煙草を指先に挟んだままそのグラスを持つと、テーブルの上で脚を組んだまま、水割りを喉に流し込んだ。そして半分ほどを一息に空けてから、グラスをソファの肘掛に置き、再び煙草を咥えた。その煙を立野の顔に勢いよく吹きかけながら訊く。

「おまえ、今日は何をしてたの? 私が神経をすり減らして大変な手術をしている間」

「絵を描いていました」

「絵? 絵って、あの全然売れないやつ? ってことは何? おまえは私が手術室で必死に仕事をしている間、ずっとお絵描きをして遊んでいたってこと?」

「は、はい……すみません……」

立野は消え入りそうな声で、床の絨毯に膝をついたままこたえた。すると、いきなり何の前触れもなく、理佐子のビンタが立野の頬に飛んだ。パッシーンと乾いた音が、広く静かなリビングに響き渡る。

「おまえ、いったい何様のつもりなの? 画家なんていえば聞こえがいいけど、ただのヒモでしょ? 私にここを追い出されたら住むところもないくせに。おまえなんか最低よ。頭も悪いし、かといって肉体労働もできないし、私に捨てられたらどうやって生きていくつもりなの? えっ、ほら、こたえなさいよ」

そう言ってまた頬を張る。しかしこれはいつものことだった。理佐子は難しい手術の後などで気持ちが昂っている時、決まってこうして立野を詰る。彼がこたえられないことなど承知の上で責めるのだ。

立野は一言も言い返すことが出来ないまま頬を張られ続けていた。理佐子はパシパシと何度も無抵抗な立野の頬を張り飛ばしながら、バーボンを飲み、煙草を吹かし、「バカ」とか「グズ」とか、およそインテリジェンスな彼女の雰囲気とはそぐわない言葉で散々立野を罵り、愚弄した。そして短くなった煙草を大理石の灰皿の底に押し付けて揉み消しながら、強い口調で命じる。

「ほら、もう水割りがないわよ、早くお代わりを持っていらっしゃい。まったく、気が利かないわね」

「申し訳ございません」

立野は素早く立ち上がってキッチンへ急いだ。先ほどと同じ手順で水割りを作り、理佐子の足元に戻ってグラスを差し出す。

「どうぞ」

理佐子は礼も言わずそれを受け取ると、さらに立野を非難した。

「ねえ、私は一日中手術室で立ち通しだったのよ。だから脚がすごく張ってるの。おまえも、私のおかげで生きていられるとわかっているのなら、脚くらい自分から進んで揉もうとか思わない?」

「すみません。気がつきませんでした。失礼いたします」

立野は、投げ出されている理佐子の脚を持つと、慎重に脹脛のあたりをマッサージした。彼女が自分で言っていたとおり、脛の筋肉が硬直していた。立野は黙々とその凝りを解していった。理佐子は新しい煙草に火をつけて、ゆっくりと味わいながら、立野のマッサージを受けている。

やがて壁の時計が八時のチャイムを鳴らした。控えめで上品な音色だった。それを聞いて立野はマッサージを続けながら、そういえば今夜はクリスマス・イヴだな、と思った。しかし、そんなことは口が裂けても理佐子には言えない。なぜなら、そんなことを言えば、「医者には盆も正月もクリスマスもないのよ。いいわね、おまえは気楽で」とまた怒らせてしまうからだ。

「ねえ、お腹が空いたわ。何か作ってある?」

ソファの背に凭れかかって、マッサージの心地よさを受け止めながら理佐子が、目を細めたまま柔らかい口調で訊いた。

「えっ? い、いいえ……」

突然そう言われて、立野はしどろもどろになりながらこたえた。立野は今朝、彼女から「夕食は外で食べてくるから作らなくてもいい」と言われていたのだ。だから、用意は何もしていない。自分は六時過ぎに、カップラーメンとコンビニの弁当で夕食を早々に済ませてしまっていた。

「あ、あのう、理佐子様が今朝、夕食はいい、とおっしゃられたので、何のご用意も……」

理佐子は立野の言葉を最後まで聞かず、マッサージを受けていた脚を素早く引き寄せると、そのまま反動をつけて立野の顔を蹴り飛ばした。立野は後方へと不様に転がった。

「もう、いいわ。おまえなんかをあてにした私が馬鹿だった。ああ、ほんとおまえって奴はウザったいわね。いいわ、外で食べてくるから。さっさと車のキーを持ってきて」

「はい!」

立野は理佐子の逆鱗に触れて慄きながら、それでも弾かれたように立ち上がると、すっかり縮み上がりながら車のキーを取ってきた。理佐子はそれをひったくるように奪い、大股で玄関へ向かった。立野は慌ててその後を追う。

「理佐子様、本当に申し訳ございません。どうか、お許しください」

しかし理佐子は一切こたえず、玄関で踵の低いドライビング用の柔らかいパンプスを履いた。そして、履き終わると、ようやく立野を見た。その視線の冷たさに、立野は瞬間的に緊張して起立の姿勢を取った。理佐子は、そんな立野の顔に、ペッと唾を吐いた。

「私が帰ってくるまでに、お風呂くらいは沸かしておきなさいよ」

「はい!」

立野は直立不動のまま叫ぶように返事をした。彼女の怒りは理不尽極まりなかったが、立野には受け止めるより術はなかった。理佐子は一言「ムカつく!」と吐き捨てて、出ていった。

乱暴にドアが閉まった。立野は唐突にひとりになった。こんな扱いを受けても理佐子から離れられない自分が悲しかった。立野はもう、金銭的な面だけでなく、精神的にも骨の髄まで彼女に支配されているのだった。

顔に付着した唾を手の甲で拭ってから、リビングに戻り、窓辺へ行くと、やがて、地下駐車場から、理佐子の愛車であるジャガーの2ドアクーペが、ものすごい勢いで飛び出してくるのが見えた。ジャガーは、ほとんど一時停止もせずに強引に国道の流れに割り込み、瞬く間に猛スピードで走り去った。立野はこれまでに何度となく彼女が運転する車の助手席に同乗したことがあったが、その度に生きた心地がしなかった。理佐子の運転は的確ではあったが、性格そのままの荒気ないもので、彼女は外車の高性能をフルに活かして、ノロノロと走るタクシーや国産車など、まるで虫でも蹴散らすように、道を思うままに走る。しかし、だいたいが窓を黒いフィルムで隠した、一千万円以上もする高級外車のすることだから、よほどのことがない限りクラクションを浴びることはなかった。

立野は窓から離れると、豪華なリビングを見回した。落ち着いた照明に高価な家具が照らされている。壁際の大画面テレビは沈黙し、時計だけが時を刻み続けていた。ベージュ色の絨毯は踝が埋まるほど深い。振り返ると、暗いガラスに自分の姿が映っていた。首周りが伸びたスウェットやジーンズには、干からびた絵の具の汚れが付着している。

立野が自室として与えられている六畳間には、描きかけの絵がある。それは理佐子をモチーフに、人間が持つ心の優しさと、その裏に潜む残忍性という、ふたつの真実を抽象化した絵だった。立野は静かなリビングの真ん中で、その絵のことを思った。もう二ヶ月近く、この作品の製作だけに没頭している。しかし未だに完成していない。何か肝心なものが足りないのだ。それが何なのか、立野にはわからない。だから、なかなか筆が進まない。

その絵のことを考える一方、立野は理佐子の行動についても思った。彼女はいま出ていったばかりだから、少なくともあと二時間は戻らないだろう。どこまで出かけたのかはわからないが、彼女が一時間やそこらで帰宅するなんてありえないことを、立野は経験から知っていた。

立野は彼女が帰ってくるまで絵を描くことにして、自室へ向かった。いつしか頭の中は描きかけの絵のことで占められていた。気持ちが逸る。しかし、風呂のスイッチを入れることだけは忘れなかった。

ふとカンバスから目を上げると、まるで夢から覚めたかのように、立野は現実に引き戻された。椅子に座ったまま伸びをして、時計を見ると、いつのまにか零時を回っていた。パレットの隅の使っていない絵の具が乾ききっている。時計を見ながら立野はぽつりと「クリスマスか」と呟き、絵筆を置いた。そして、理佐子が戻っているかもしれない、と思って部屋を出、リビングを覗いてみたが、まだ帰宅してはいなかった。

再び自室に戻り、立野はベッドに座った。明日は、午前中に画商と会う約束があった。だから、今夜は早めに眠りたかった。だが、理佐子より先に風呂を使うなんて、絶対に許されない。今夜はこのまま、風呂に入らずに寝るしかないだろう。

そう考え、立野は油絵の具の匂いが染み付いたスウェットとジーンズを脱ぎ、Tシャツとトランクスという姿になると、部屋の電気を消してベッドに入った。理佐子は、立野が自分より先に寝ることについては、何も言わない。結局のところ、立野の存在が彼女にとって目障りにさえならなければ、それでいいのだった。

立野は布団に包まりながら、理佐子が帰ってきた時に彼女の機嫌を損ねるようなことがないかどうか、もう一度頭の中で確認してみた。風呂は沸いている。新しいタオルやバスローブも用意しておいたし、ネグリジェもきちんと畳んでベッドサイドに置いておいた。冷蔵庫には、風呂上りに飲むポカリスエットも冷やしてある。

何の問題もないはずだった。風呂は明日の朝、画商と会う前に入ればいいだろう。彼女がまだ戻らない以上、こればかりは仕方ない。

立野はそんなことを考えながら目を閉じると、静かに体から力を抜いた。

熟睡していた。立野の意識は眠りの一番深い場所に沈んでいた。と、唐突に、頬に鋭い痛みが走って、瞬間的に立野は目を覚ました。

部屋に光が溢れている。気がつくと、目の前に理佐子の姿があった。しかし立野には、未だ何が起きているのか理解できていなかった。もう朝か? とも思ったが、窓の外は暗い。理佐子が、寝ぼけている立野の髪を掴んで引っ張り起こした。そして、間髪入れずに往復ビンタを数発続けざまに浴びせた。立野は張り飛ばされながらも「理佐子様……」と健気に呟いた。

「何を偉そうに寝てるの! ちょっと、ついていらっしゃい」

きつい口調で言って、理佐子は髪を掴んだまま立野をベッドから引き摺り下ろした。立野は訳がわからないまま彼女に従った。理佐子は、立野をバスルームに連れ込んだ。そしてバスタブの湯の中へ立野の頭を押し付けると、もがく彼の頭をしばらく湯に浸け続け、適当な頃合を見計らって引っ張り上げた。

「この湯の温さは何? ほとんど水じゃない。おまえは私に風邪をひかせたいの?」

失態だった。風呂を沸かしたまではよかったが、湯はいずれ冷めるということまで気が回らなかった。湯温調節のスイッチを保温にしておくべきだった。いまが何時なのかわからないが、沸かしきりでは冷めてしまって当然だった。理佐子が怒り狂うのも無理はない。これは立野の重大な過失だった。

理佐子は軽く酒を飲んでいるらしく、頬がほんのりとピンクに色づいている。立野はその場に跪くと、必死に詫びた。しかし理佐子の怒りは、そんなことでは収まらない。

「今すぐここで裸になりなさい!」

「はい!」

立野は素早くシャツを脱ぎ、パンツを下ろした。ぐずぐずしていたら、余計に彼女を怒らせてしまうから、立野は三秒で全裸になった。そして股間を手で覆いながら、おずおずと理佐子の前に立つ。

「どうせおまえ、今夜はお風呂に入っていないんでしょ?だったら、今からお先にどうぞ。遠慮しないで入りなさい」

理佐子はそう言うと、立野の背中を押してバスタブに放り込んだ。立野は頭から突っ込むように湯の中に没した。派手な水しぶきが上がる。

湯は、彼女が言うとおり、ほとんど水と変わりなかった。たちまち体が震えだし、歯がガチガチと鳴った。一気に、完全に目が覚めた。そんな立野の頭を、理佐子は足の裏で踏んで、水の中へ押し込む。

「フガ、フンガ、フガフガ、フンガフンガ……」

立野は水中でもがいた。後頭部にのしかかる圧力は一向に弱められる気配は無かったが、それでも立野は無我夢中になりながらその圧力から逃れ、強引に頭を起こした。

「すみません。申し訳ございません。お許しください……」

バスタブの縁に掴まり、立野は必死に許しを乞うた。その頬を、理佐子は情け容赦なく張り飛ばす。そして、そうしながら、マシンガンのように叱責の言葉を投げかける。

「本当におまえにはムカつくわ。せっかく気持ちよく飲んで帰ってきたっていうのに、この人を馬鹿にしたようなお風呂……しかも、沸かした当人はぐっすりと眠り込んでいるなんて、人を馬鹿にするにも程があるわ」

「すみません。本当に申し訳ございません」

ひたすら謝るしかなかった。すべては立野が悪いのだ。理佐子は立野の顔を蹴り、ビンタを叩きつける。立野は無抵抗だった。逆らえるはずがないし、自分のミスが原因なのだから、言い訳もできなかった。だから彼女の怒りが鎮まるまで、立野はじっと耐えるしかないのだった。

「今日という今日は本当に頭にきた。絶対に許さないわ。いい? 体を拭いたら、そのまま裸でお仕置き部屋までいらっしゃい。わかったわね?」

「はい!」

立野が直立不動の姿勢でこたえると、ようやくビンタの嵐が終わり、理佐子は悠然とバスルームを後にした。お仕置き部屋とは、立野の躾のために八畳の洋間を改造した、完全防音が施された調教用の部屋のことだ。泣こうが叫ぼうが喚こうが、外へは絶対に声が漏れない設計になっている。

立野は冷たい風呂から上がると、バスタオルで手早く体を拭き、そのままバスルームを出た。十二月下旬の深夜だから、廊下はおそろしく寒い。立野は震えながら歩いた。常夜灯だけが灯る長い廊下は静まり返っている。理佐子様はもう部屋で待機していらっしゃるだろう。そんなことを考えながら、これから行われる折檻に思いを馳せ、立野は怖れを抱きながら廊下を進んだ。

「失礼いたします」

お仕置き部屋のドアを開けると、奥の籐製の大きな椅子に、理佐子が脚を組んで座っていた。手に、革の乗馬鞭を所持している。四方の壁はコンクリートで固められ、床はオーク材を使った重厚なフローリングで張りだ。部屋の中央の天井に滑車があり、人間を吊るせるように、鎖が垂れ下がっている。壁にはX字の磔台。ひとつだけある窓は潰してあり、そこには赤いビロードのカーテンが弾かれている。

強烈なスポットライトが部屋の中央を照らしている。理佐子の姿はその光の向こうで半ば陰に沈み、右手に持った鞭を左手の掌に当てて弄んでいるのが、シルエットで見えた。立野はライトの下まで進み出て、理佐子の足元で膝をついた。そして床に額を擦りつけて『従順』を体で表現しながら、お仕置きのご挨拶を丁寧に述べた。

「理佐子様、本当に申し訳ありませんでした。どうか、お仕置きをお願いいたします」

言い終わらないうちに、丸めた背中に鞭が振り下ろされた。「ギャー!」立野は思わず叫び声を上げた。白い背中の皮膚に一筋、赤く鞭の跡が刻まれる。

「あ、ありがとうございます……」

声を震わせながら立野は言った。むろん、まだ額は床につけたままだ。その後頭部に、理佐子の足が置かれた。ナイロンストッキングの感触と足の重みが伝わる。理佐子は無言のまま、爪先を立野の顎の下へ潜り込ませると、そのまま持ち上げて、顔を正面へ向かせた。そして、すかさず強烈なビンタを一発浴びせた。頬にくっきりと掌の跡がついた。

「立ちなさい」

理佐子は冷酷に命じた。立野はよろよろと立った。少し遅れて理佐子も立ち上がった。そして立野の手首を取ると、後ろへ回させ、ロープできつく縛り、その先端を天井からぶら下がっている鎖の先端のアタッチメントに括りつけた。当然、立野はされるがままだった。ガラガラガラガラと鎖が滑車で回り、ゆっくりと立野の体が上昇を始めた。理佐子は、立野の体が二十センチくらい吊り上ると、鎖を手繰る手を止め、足首にもロープを巻きつけて拘束した。

「理佐子様、どうかお許しください」

立野はそう懇願したが、理佐子は薄ら笑いを浮かべただけで何も言わず、その代わりに立野の体を揺らして遊んだ。手首のロープが食い込んで激痛が走る。

「何がお許しください、よ。おまえのココ、自分で見てごらん。イヤらしい。ギンギンに勃ってるじゃない。どうしようもないマゾ。正真正銘の変態ね。こんな風にされて勃起するなんて」

「すみません……」

理佐子の指摘とおり、立野のペニスは限度一杯まで反り返っていた。理佐子は、立野の亀頭の下に細い紐を巻くと、その先端を壁のフックに結んだ。上を向いて屹立するペニスを無理やり平行に引っ張ったので、立野の体は妙な具合に歪んだ。

そうしておいてから、理佐子は少し立野の体から離れ、鞭を振った。鞭は、右から、左から、鋭く空気を引き裂いて立野の体を打った。たちまち立野の胸は赤く腫れていった。

「この変態マゾヒスト! おまえ、私にこうされたくてわざと粗相ばかりしてるんじゃないの? 変態! 変態! 変態!」

「ウギャー」

立野は絶叫し、身悶えながら鞭の嵐を受けた。理佐子は立野の体の周囲を回りながら、胸といわず背中といわず、体中を鞭打った。時には勃起したペニスにも炸裂した。吊るされている立野の不安定な体は、鞭を受けて無意識のうちに体を捻る度にユラユラと揺れた。体の表面のいたる場所に幾筋ものミミズ腫れが走る。手首のロープがギリギリと食い込み、立野は鞭の痛みだけではなく、拘束の痛みにも耐えなければならなかった。

理佐子は鞭を打つことに疲れると、立野の体を揺さぶって遊んだ。時計の振り子のように大きく体が揺れると、手首の痛みが増し、ペニスが強く引っ張られて激痛が股間を襲った。

やがて理佐子は鞭を長いものに持ち替えた。それはまるでサーカスで象を調教するために使うような長い鞭だった。理佐子は立野の体から距離をとってその鞭を振るった。長い鞭はしなやかにしなり、容赦なく立野を打った。打たれた立野の絶叫の間に、理佐子の甲高い嬌声が響き渡る。

苦痛に歪む立野の表情を見て理佐子は笑いながら「いいお顔になってきたわねえ」と囁き、煙草に火をつけた。そして鞭を捨て、煙草を唇に咥えたまま、錘のついたクリップを立野の乳首に挟むと、その錘を指先で揺らした。ただでさえコリコリに固くなっている立野の乳首は、その刺激のせいでさらに敏感になり、立野は悶えた。

まるで天使のように理佐子は笑っているが、その瞳の奥には悪魔のような冷たい炎が燃え盛っていた。理佐子は、人間が見せるもっとも冷酷な微笑を浮かべながら、涙を滲ませて苦痛に顔をしかめている立野を、心底から楽しんで眺めている。

煙草の先から、長くなっていた灰がスローモーションで床に落ちた。理佐子は煙草を指先に挟んで唇から離すと、立野の股間に近づけて、破廉恥に茂る縮れ毛をチリチリと焼いた。立野は慄きながらその火種の動きを目で追った。煙草の火は最初、陰毛の先端をなぞるだけだったが、ある時それが不意にその茂みの奥に屹立する茎の根元の皮膚に直接押し付けられた。

「ギャー」

たまらず立野は身を捩り、絶叫した。相変わらず理佐子は笑っている。煙草の火は、しばらくの間、肌に押し付けられたままだった。それどころか、理佐子は苦悶に歪む立野の表情を楽しげに見つめながら、さらに火種を強く押し付け、そのまま火を揉み消すためにぐりぐりと煙草の先端を捻り潰した。立野の全身から一気に汗が噴き出す。

じきに火が消えると、理佐子は吸殻を捨て、立野の怯えきった顔を冷ややかに見据えた後、薄い唇を歪ませて満足げに微笑んだ。立野は必死に懇願する。

「理佐子様、お願いでございます。どうか、どうかお許しください。もう二度と粗相はいたしません。ですから、どうか、どうかご慈悲を……」

立野は泣いていた。堪えようとしても、その涙は止まらなかった。股間が尋常な熱さではなかった。既に煙草の火は取り除かれているが、火傷がジンジンと痛んだ。理佐子が間近に顔を近づけて、憐れむような感じで訊く。

「何? おまえ、泣いてるの? 男のくせに。こんな信じられない格好で縛られて、しかもチンポをおっ勃てながら。悪いけど全然説得力がないわよ。バッカじゃない?」

「す、すみません……」

もう立野に男性としての威厳など一欠けらも残ってはいなかった。運命はすべて理佐子に司られ、掌握されていた。これは立野にとって宿命であり、悦びでもあった。マゾヒストにとって、自らのすべてを支配者に捧げられるということは、本望以外の何物でもない。そういう意味に於いて、立野は幸福の絶頂にあった。生かされるも、殺されるも、理佐子の気持ち次第でどうにでも転がる。つまり立野は今、完全に理佐子の所有物となったのだった。

これを悦びといわずして、何を悦びというのか。立野は体に刻まれた無数の鞭の跡と火傷の痛みを感じながらそう思う。冷徹な瞳にサディズムの光を湛えて立つ理佐子は美しい。体のラインは素晴らしいし、すべてが洗練されていて、ゾッとするほど整った顔立ちは美の極致といっていい。知性と美貌がまるで奇跡のごとく融合し、まるで銀河の遥か彼方に煌めく星雲の輝きのようだ。理佐子の美は、宇宙の神秘だ、と立野は思った。そして、そんな彼女に支配されている自分自身が嬉しかった。理佐子と巡り合えたことを、心の底から神に感謝せずにはいられない。いや、神は彼女だ、と立野は思い直す。彼の存在する世界では、理佐子こそが絶対唯一の女神なのだ。

だから、この立野の止まることを知らない涙は、決して悲しみのせいではなかった。それは、ペニスの根元に押し付けられたあの煙草の火のように、自らの生命の根源を理佐子に支配されている悦び故の涙だった。

「あらあら、こんなに泣きじゃくっちゃって。おまえ、大人の男でしょ? 情けなくないの? 私の前で子供みたいに泣いたりして」

「いいえ、嬉しいんです」

立野はきっぱりとこたえた。

「嬉しい?」

不思議そうな顔で理佐子が訊く。

「はい! 僕は理佐子様という存在があって初めて生きる意味を持つ人間なのです。理佐子様にお仕えし、お縋りすることしか僕にはできません。僕ひとりではあまりに無力です。どうか、この愚かなる下僕をお導きください」

信仰の誕生の瞬間だった。立野は、神に仕える求道者の心境が少しだけ理解できるような気がした。遥か古代から、神は時に残酷な生贄を要求するが、それは本末転倒だ。生贄は、自らのすべてを神に捧げること自体が既に完全無欠な悦びなのであり、強制されて嫌々身を捧げるわけではない。もちろん苦痛など感じないし、自分の体を差し出すことによって神のお傍へ行けるのだから、嬉しくないはずがないだろう。

いつになく厳しい調教を受けて、立野はそのことを知った。巷に溢れるSMプレイなど、所詮は射精産業だ。予定調和的な主従関係なんか、自分と理佐子様との濃密な関係に比べたらまるでお遊びだ、と立野は思った。奉仕といいながら己の欲求の成就のために足や亀裂を舐め、ご褒美と称してお聖水をいただくなんて、笑止千万、勘違いも甚だしい。何もしない前から公然と見返りを求めるなんて、恥知らずもいいところだ。おこがましいにも程があろう。立野は、理佐子に対して何も求めない。ただ自分のすべてを捧げるだけだ。

立野はこれまでの自分を省みて、怠慢だった、と思う。偉そうな講釈を垂れながらも、実際にはクラブに通うエゴマゾと何ら変わりはなかった。今日の風呂のことだってそうだ。保温にまで気が回らないなんて、怠慢以外の何物でもない。それでもお傍に置いておいていただけるのは、理佐子の寛大な心のお陰だった。立野は、こんな簡単なことに今まで気づかなかった自分が、情けなくて仕方なかった。

「もういいわ。そろそろ許してあげる」

理佐子はそう言うと、鎖を送り、立野の体を床に下ろした。ペニスに巻いた紐を解き、手首を自由にし、新しい煙草に火をつけて椅子に座った。立野は蹲りながら足首のロープを解いた。そしてすぐに理佐子の足元へ床を張って進むと、改めて正座をし、跪いて額を床につけた。

「理佐子様、ご調教をありがとうございました」

それは透き通った泉から清廉な水が湧くように、心の底で生まれて、ごく自然に口をついて出た感謝の言葉だった。

「顔を上げなさい」

理佐子が静かな声で命じた。その声に立野が顔を上げると、目の前には、ストッキングに包まれた彼女の右足があった。立野はその神々しく凛然と中空で静止する足を凝視した。形の良い指が、ストッキングの爪先を覆う薄いナイロン越しに透けて見える。理佐子が、その爪先を立野の顎の下に添えながら言う。

「私はね、別におまえが憎くて苛めているわけじゃないの。わかるでしょ?」

女神の言葉はあくまでも優しく立野の心に響いた。立野は理佐子を見上げ、その美しく澄みきった瞳を見つめた。まるでその奥に宿る冷たい光に吸い寄せられるように。

「でもね、おまえの代わりなんかいくらでもいるのよ。それもわかるわね」

立野は大きく頷いた。それは、悲しいが、紛れもない真実だった。理佐子の爪先はまだ顎の下にあり、すらりとした長い脚が灰色のタイトスカートの中へと続いている。立野は生唾を飲み込みながらそのラインを凝視する。

「だったら、もう二度と同じ過ちは繰り返すんじゃないわよ。わかったわね」

「はい!」

立野は床に両手をついて絶対服従の姿勢保ったまま、ピンと背筋を伸ばして大きな声でこたえた。それはまるで小学校の一年に上がったばかりの生徒が、初めて先生にあてられた時のように、素直で邪気のない返事だった。理佐子は、その返事に満足げな笑みを浮かべた。

返事をした後も正座を続けていると、やがて理佐子の足が蠢き、顔を這い上がってきた。そしてその爪先は立野の固く結ばれた唇を挑発し、鼻をつまみ、最後に、足の裏全体が顔を圧した。

「ほら、ご褒美よ。調教は飴と鞭だからね」

そう言って理佐子は立野の顔を踏んだ。指の付け根の部分の柔らかい肉が立野の鼻の下から強く押し付けられたが、下品な香りは全くなかった。彼女は足が蒸れない体質なのか、その感触はさらりとしていて、魅惑的なストッキングの質感が立野の顔を覆い、彼女の体温が伝わってくるだけだった。立野はたまらなく舌を伸ばしたかったが、じっと堪えた。そんなことをしたらクラブに通うインチキマゾヒストと同類になってしまう。そう思った。だから、ただこうして柔らかい足の裏から伝わる彼女の体温を直に感じるだけで、立野は幸福だった。決してそれは痩せ我慢などではなかった。これだけでも立野には過ぎたるご褒美だったから、彼は謙虚に、そしておこがましさすら抱きながら、彼女の慈悲に深く感謝して、光栄至極とありがたくその圧迫を拝受したのだった。

「あら、今日はいつもみたいに、舐めさせてくださいって言わないのね?」

理佐子は顔を踏むと同時に、空いている左足の爪先で立野の激しく屹立しているペニスを踏んだり擦ったりして刺激しながら、翻弄するように訊ねた。立野は快感に耐えながら我慢していたが、それでも知らず知らずのうちに腰を浮かせてしまっているのは、マゾヒスト故の悲しい性だった。足の裏が顔の上を這っている。左足がペニスの裏筋を擦り上げるようにゆっくりと上下運動を繰り返し、時々気まぐれに亀頭を挟んで力が込められる。理佐子は立野の反応を面白がりながら、焦らすように乳首を挟んでいるクリップを揺らし、甘い吐息を吹きかける。やがて立野の我慢は限界に達し、ついに挫折した。

「理佐子様、どうかおみ足に触れるご許可をお願いいたします。どうか、どうか……」

捨てられた子犬のような目で哀願すると、理佐子は冷笑を浮かべてフンと鼻を鳴らし、蔑む視線を立野に注いだ。

「哀れなマゾ犬……いいわよ、触りなさい」

「ありがとうございます!」

許可を得た立野は、ストッキングに包まれている左足に両手でそっと触れた。暖かいナイロンの感触が掌を擽る。その柔らかい脹脛の質感は、まるで天使の羽を思わせる優しさだった。その脚に触れていると、体中に刻まれた鞭の跡であるミミズ腫れや、ロープで擦れた手首や足首、そして股間の火傷の痛みさえ、たちまち融解していくようだった。

立野はしばらくの間、陶酔するように、脹脛から太腿の内側に掌を這わせ続けた。まるで夢のようだった。なんと素晴らしいおみ足なのだろう。そう思いながら、立野は半ば目を閉じ、その質感に心を委ねた。

しかし。

「はい、もうおしまい」

唐突に理佐子が言って、その夢のような時間は突然終わりを告げた。理佐子は両足を引くと、立野の乳首のクリップを弾くように外して床に飛ばし、そして椅子から腰を上げると、昂るだけ昂っている立野を冷ややかに見下ろした。

「ちゃんと後片付けをしておきなさい。私はもう寝るわ」

最後に立野の頭を軽く撫で、理佐子はドアへ向かった。立野はその後ろ姿に頭を下げた。

「ありがとうございました」

しかし理佐子は何もこたえず、もちろん振り返りもせずに部屋から出て行った。立野は床に額を擦りつけたまま、彼女の足音が廊下を遠ざかり、やがて自室のドアが開き、それがパタンと閉じられるまで、ずっとそうしていた。

やがて、立野はようやく頭を上げ、ゆっくりと立った。全身が痛い。思わず顔を顰めた。しかし、後片付けを命じられた以上、きちんとそれをやり遂げなければならなかったので、立野は屈み込んで、床に飛び散ったクリップや鞭を拾い、使用したロープを丁寧に巻いて、それらを椅子の後ろに置いてある道具専用の箱の中にしまった。そして最終的にもう一度、部屋全体を見回してすべてが片付いていることを確認し、壁の電源のスイッチをオフにした。スポットライトが消えて、光源はドアが開かれたままの間口から漏れる廊下の明かりだけとなり、部屋が薄暗くなった。

立野はお仕置き部屋を出て、脱衣室に寄ってパンツとシャツを身に付けてから自室に戻った。体中が焼けるように熱く、痛かった。十二月の夜気も、それを鎮めるには至らない。立野は自室に入ると、明かりは点けないまま、ベッドに腰掛けた。鞭の跡がジンジンと痛む。無論、股間の火傷は、そのミミズ腫れ以上にヒリヒリと沁みた。立野は、ベッドの下に押し込んである薬箱を引っ張り出すと、中から軟膏を取り出して傷に塗った。

そうして処置を終えても、掌には依然として、つい今しがた触れたばかりの、理佐子の脚の感触が残されていた。そして、ペニスは未だいきり立っていて、一向に萎える気配がない。足の裏でペニスの裏筋を擦られた時の、あのストッキングの質感が忘れられない……。

無意識のうちに立野は熱いペニスを握り締めていた。それは手の中でドクドクと脈打っている。立野の脳裏には、理佐子の美しく端正な顔があった。煩悩を狂おしく翻弄する足の動きも甦ってくる。

ふと気がつくと、立野は暗い部屋でひとり、自分自身を慰めていた。薄闇に、イーゼルに立てかけられた描きかけの絵が、ぼうと浮かび上がっている。徐々に昂っていく。それに合わせて立野の呼吸が荒くなった。手の上下運動も次第に激しさを増し、立野は目を瞑ってひたすら妄想に耽った。

「理佐子様……」

立野は呻くように呟いた。孤独な夢の中で、立野は被虐の悦びに浸った。理佐子の甘美なる折檻の記憶が、立野の性を挑発する。

やがて、立野は華々しく射精した。先端から噴き出した白い液が、カーテンが開かれたままの窓から差し込む青い夜の光に煌めきながら、弧を描いて空中を飛翔し、そして床に落下した。

そうしてすべてを放出し終えた瞬間、立野は猛烈な自己嫌悪に陥った。それは、射精という卑しい行為によって、聖なる女神である理佐子を、その遥か天の高みに君臨する高貴なる存在を、自らの手で汚してしまったように感じたからだった。

立野はベッドに座ったまま、射精の後始末もせずに、ただ深く項垂れた。硬度を失いつつある淫らな性器と、悪魔の囁きのごとき不埒な掌が、己の濁りで穢れている。

「理佐子様……申し訳ございません……」

立野は項垂れたまま、ベトつく手をぎゅっと握り締め、小声でそう呟いた。クラブへ通う世のマゾヒストを否定した先ほどの自分の言葉が、空々しく胸に響く。何も変わらないじゃないか……立野は己の愚かさに苛立ち、唇を強く噛んだ。

床の絨毯には、精液の染みが付着していた。立野は、自らが犯したその罪を憎むように、その汚れを素足で踏みつけた。

夜明けの光が窓を青く染めていく。もうすぐ夜が明けるようだ。立野は結局、一睡もできなかった。妙に気持ちが高揚していて、どれだけ眠ろうと目を閉じても無理だった。だから、途中からもう眠ることは諦め、ベッドに座って朝を待った。

眠れないという焦燥感を逆撫でするように、部屋は静寂に支配されている。カンバスの絵が、透き通った青い光に、少しずつ全容を露わにしていく。立野はその絵をぼんやりと眺めながら、十二月の未明の冷気に震える寒い肩を両手でそっと抱いた。

立野は今、この描きかけの絵に足りなかったものが何か知っていた。しかし、まだ絵筆を握る勇気はない。なぜなら、その思いをどう色彩に込めたらいいのか、それが立野には把握できていないからだった。そんなに焦ることはないだろう……立野はそう自分に言い聞かせる。これからひとつずつ確かめていけばいい。

無数の鞭の跡が刻まれた体中が痛い。こうしてベッドに座っているだけでも、傷跡は痺れるように痛んだ。それでも、こんな屈辱の極致ともいえる状態こそが、立野には果てしない幸福の境地だった。理佐子に跪くことが立野にとっては悦びであり、拝受する折檻は目くるめく無限の歓喜に彩られている。

そして、理佐子の脚は素晴らしい。あの完璧な造形美は、既に神の領域だ。彼女の脚に触れることが許される時、立野の意識は天上へと昇華し、世界を超越する。その瞬間、愚かなる魂は浄化され、彼は神の御子となるのだった。その何の矛盾もない服従の悦びに浸る時、立野は眩い光に包まれ、絶対唯一神に選ばれし福音を聞く。

立野は、理佐子の慈悲によって生かされている自らの運命を悟っていた。体に残された鞭の刻印と股間の火傷がすべてを象徴している。それは神に仕える者にとって、絶対服従を誓う確かな証に他ならなかった。

足元に、数時間前に放出した穢れの凝縮があった。立野はおずおずと足を伸ばし、爪先でその部分を探ってみる。

その絨毯の染みは、すっかり乾涸びていた。

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