紐育奇譚

一流商社のS商事に勤める北原英介はアメリカから木材を輸入する仕事に関わっていて、一週間後にニューヨーク出張を控えていた。彼は二十九歳で独身だった。女性にもてないわけではないし、天下のS商事勤務なのだから放っておいても女性の方から言い寄ってくるくらいなのだが、現在は誰とも付き合っていない。それには誰にも言えない理由があった。

英介は、マゾヒストだった。彼がその性癖に目覚めたのはS商事に入社してからである。学生時代はごく普通の恋愛をしたし、合コンもしたし、恋人もいた。しかし社会人となって一流商社マンという職に就き、しかも将来の幹部候補としてエリートコースを進み始めると、いつしかマゾとなっていった。それはおそらく仕事上のプレッシャーから逃避する手段として無意識のうちにそうなってしまったのだった。失敗が許されないから常に必要以上に気持ちを張り詰めていなければならなかったし、いつだって膨大な仕事量に追われ放しでろくに恋愛をする時間の余裕もなく、その緊張から逃れるために、英介は気がつくとSMの扉を叩いていた。女性に責められることで英介は自己を解放した。普段は一流商社勤務ということで誰からも羨望の眼差しで見られ、常に一目置かれている自分が、女王様の前では単なる一匹のマゾ豚だった。そしてそのギャップに英介は歓びを見い出していた。その狭く暗い密室で彼は自由だった。

プレイの時間中、英介はあらゆるものを脱ぎ捨てて、女王様の前であられもない姿を晒す。全裸になって縛られ、鞭を打たれ、蝋燭を垂らされ、首輪で繋がれ、嘲笑を浴び、脚に縋って己の性器を擦りつけ、足の指を舐め、おしっこを飲む。それはエリートの自分とは全く正反対の、しかし紛れもない本当の自分の姿だった。

英介はそういう時間を密かに持つことで辛うじて精神のバランスを保っていた。その時の姿をもしも知った人に見られたら身の破滅であったが、そのスリルがまた堪らなかった。そして彼はいつしか当たり前の恋愛が出来ない人間になっていった。

その夜、英介は帰宅すると、いつものようにパソコンに向かった。彼はインターネットの愛好者で、Mサイトを検索してはそこで同好の士と繋がり、メール交換などを楽しんでいた。その匿名性の高い閉ざされた世界は英介にとって自由な空間だった。そこでは彼は商社マンでなく、ただのマゾヒストとして発言することが許された。

英介はいつものサイトにアクセスし、そこの掲示板に載っているメッセージを読んでいった。そのホームページには、いろいろなSMクラブの情報や女王様のプレイ内容などが実際の体験談としてたくさん掲載されており、なかなか役に立つのだった。このページにアクセスする度、英介はマゾヒストの数の多さに驚く。実生活においてマゾなどという人種には一度も会ったことがないのに、実は相当な数のマゾがこの世の中には存在していて、そのホームページを見ると、誰もがひっそりと、誰にも知られずに、歪んだ欲望に身を焦がしていることがよくわかる。もしかしたらいつも取り澄ましているすぐ隣の人も実はマゾ、なんてことも充分ありえる話だった。

そしていくつかのメッセージを見ていって、最後に、一風変わったメッセージがあった。それは、こんな文章だった。

本物のマゾヒストへ。

私がこれから紹介する店は残念ながら日本ではなくニューヨークのクラブである。しかもその店は完全な秘密会員制であるため、一般の人がそこへ行くことは出来ない。私は会員だからニューヨークへ行く度にその店に通っている。あえて店の名前は伏せるが、そこはいわゆる日本的なSMごっこクラブではなく、本物のクラブである。だからこそ、最高の快楽が得られる。と、こんなことを書いても会員でない人がその店の扉を潜ることは出来ないのだから、どれだけ私が賛美したところで仕方ないのだが、それなのになぜ私がこのクラブのことをあえてここに紹介するかというと、それには理由がある。その理由とは、今回特別にビジターという制度が作られ、そのおかげで会員でない人もそのクラブでプレイできる可能性が出てきたからである。ちなみに、その店の正規の会員には絶対になれない。なぜなら、会員資格のハードルがおそろしく高いし、何より、空きを待っている人が千人を超えているからである。だからたとえ資格をクリアできても、永遠に順番は回ってこないと思われる。

もしこれを読んだ人で興味を持った方がおられたら、私に直接メールを送っていただきたい。そうしたら改めて詳細を教えて差し上げよう。断っておくが、料金は決して安くはない。はっきりいって、日本では考えられない金額である。

リアル・エム

そのメッセージを読んで、英介は心がときめいた。ちょうどニューヨークへ行く予定もある。早速、ホームページに記載されていたアドレスにメールを送った。メールには、自分の熱いマゾヒズムへの思いを丁寧に書いた。ただ、悪戯かもしれないという疑念はあった。ネットの世界は、その特殊な匿名性のため、事実もあるが、その数倍以上ガセネタも浮遊している。それでも英介は、この書き込みは本物のような気がした。

翌日、帰宅してパソコンを立ち上げてメールを確認すると、送信者名に『リアル・エム』と記されたメールが届いていた。英介はひとまず風呂に入って落ち着き、パジャマに着替えてから、改めてそのメールを開いた。

貴方の熱いマゾヒズムへの思い、当方、真摯に受け止めました。昨日、予想を超える数のメールが返ってきましたが、貴方ほど真剣にマゾヒズムを追及している人は他にいませんでした。よって、貴方だけにその店の利用法をお教えしましょう。しかし他言は無用です。これはトップシークレットの情報なのです。というのも、何度も申しますようにそのクラブは秘密クラブです。会員は厳選されていて、政治家や芸能人や実業家など、そうそうたる顔ぶれが会員になっています。もし、外にその情報が漏れたりすればたちまち大スキャンダルとなる可能性がありますし、きっとそれを漏らした貴方自身に危険が及びます。ニューヨークのアンダーグラウンドという世界は非常に恐ろしいのです。貴方を怖がらせるつもりはありませんが、そういう覚悟は持っていただきたいのです。しかしルールを厳守して遊んでいただけば何の不安も恐怖もありません。そこには限りない快楽の世界が広がっているだけです。

ではシステムを説明しましょう。まず貴方はある番号に電話をかけます。すると「ハロー」と相手が出ますので、こちらからこう言ってください。「そちらはレストラン・ローズガーデンですか?」と。そうしたら相手は「イエス」とこたえるでしょう。そこで貴方はこう言うのです。「テーブルを予約したいのですが」と。すると相手が「コースは?」ときいてきます。貴方は「ピュア・レッドで」と言います。

これだけです。簡単でしょう? 後は向こうから時間を指定してきます。残念ながらこちらから指定することはできません。向こう次第です。そして予約が完了したら後は貴方がその時間にクラブへ行けばいいのです。そうそう、料金を教えておかなければなりませんね。料金は二時間で三千ドルです。それと、店の存在を示す看板等は出ていません。赤い大きな扉が目印です。勝手に開けて入っていってください。

最後にひとつ忠告を。そのクラブは日本のSMクラブみたいな風俗産業ではありません。ですからアルバムで女王様を選んで指名したり、プレイの要望なども一切できません。すべて相手の女王様が決めることです。しかし心配はありません。その店でのプレイは、おそらく貴方がこれまでに体験したどのプレイよりも素晴らしいはずです。それはこの私が保証します。

ここまで理解していただいたうえで、本当に行かれるつもりならば、もう一度メールをください。すぐにアドレスと電話番号をお知らせします。

リアル・エム。

英介はそのメールを繰り返し読みながら興奮していた。三千ドルとは高いな、とは思ったが、それより期待のほうが大きかった。だからすぐにメールを返した。すると一時間もしないうちにアドレスと電話番号が記された返信が届いた。英介はそれを手帳にメモすると、そのメールとこれまでのメールを削除した。なぜならメールの最後に、これまでの遣り取りのすべてのデータを破棄するよう書いてあったからだ。そして、もう二度と通信はお互いのためにしない方が望ましい、とあった。

一週間後、北原英介は予定通りニューヨークへ出張した。ジョン・F・ケネディ国際空港に降り立つと、支社の人間が迎えに来てくれていた。英介はその車で五番街のヒルトンホテルに入り、早速支社に顔を出した。その夜は、支社の方で歓迎会をやってくれた。会場はチャイナタウンの有名な中華料理店だった。英介はたらふく食べ、飲んだ。

翌日から仕事が始まり、それは順調に進み、予定より早く終わった。結果、最終日がぽっかりと空いた。正確にはニューヨークに着いて四日目の夕方から五日目が丸々オフとなった。支社の人間が気を利かせて「市内を案内しましょうか?」と申し出てくれたが、英介は辞退した。夜になったら、翌日は休みだし、是非とも例のクラブへ行ってみるつもりだった。だから夕方、すべての仕事を終えて支社を出る時、英介は何気なく同僚に、クラブのアドレスの場所がどの辺りになるのか訊いた。その答えによると、そこはグリニッジ・ビレッジの外れらしいとわかった。

英介は同僚ふたりとロックフェラーセンターのビルの最上階にあるレストランで食事をし、八時前には別れて早々にホテルへ戻った。そしてシャワーを浴び、すっきりしてからベッドに腰掛けて、予約をするためにナイトテーブルの上の電話を取り上げた。かなり緊張していた。それは初めてSMクラブに予約の電話を入れた時の緊張感に似ていた。

プッシュボタンを押していき、呼び出し音が鳴り出すと、英介の緊張は頂点に達した。1、2、3、と心の中でコールを数えた。そしてついに五回目のコールサインの後、相手が出た。落ち着いた女性の「ハロー」という声が聞こえた。英介は手帳を見ながら言った。

「そちらはレストラン・ローズガーテンでしょうか?」

一瞬の間があった。コホン、と咳払いが聞こえて、女性は「イエス」と答えた。英介はさらに言った。

「テーブルを予約したいのですが」

ここまでは聞いていた通りだった。果たして、女性は「コースは?」と訊いてきた。

「ピュア・レッドで」

また間があった。電話の向こうで小さくカタカタとコンピュータのキーボードを叩く音がして、それが聞こえなくなると、女性が言った。

「では午前一時にご予約を承ります。場所はわかっていらっしゃいますね」

「はい」

英介は答えた。すると女性は小さな声で何か言ったが、英介には聞き取れなかった。小声であったうえに、あまりに早口だったのだ。そして電話は唐突に切れた。

ベッドサイドの時計を見ると、まだ八時半だった。予約の時刻まで四時間半もあった。英介はとりあえずテレビを観ることにした。しかし既に心ここにあらずで、内容は全く頭に入ってこなかった。

タクシーはおそろしく静かな場所で止まった。時刻は午前零時五十分だった。辺りはまるで廃ビルばかりのようであった。タクシーが走り去った後の通りは全くの無人で、車の往来もなかった。いくらこの頃は治安がよくなったとはいえ、悪名高いニューヨークの夜、しかもこんなところでひとりきりになって、英介は心細さを覚えた。

誰もいない街路を英介は歩いた。コツコツと自分の靴音がビクッとするほど甲高く響いた。そして一ブロックほど東へ進むと、赤いペンキが塗られた大きな鉄製のドアがあった。英介は足を止めてその扉をまじまじと眺めた。確かに店名らしきものはない。そこで彼はあることに気づいた。そういえば、予約はしたがこちらの名前を告げていない。それで先ほど予約したのが自分だと相手にわかるのだろうか……。しかし、そんなことを今更考えたところでどうにかなる話ではなかった。もうここまで来てしまったのだから、行くしかない。英介は思いきってドアノブに手をかけた。

重そうに見えた扉はしかし呆気なく簡単に開いた。中は薄暗かった。廊下がまっすぐ伸びていて、壁に蝋燭の炎が揺れている。背後で扉が惰性で閉まった。物音ひとつしない。英介は恐る恐る先へ進んだ。突き当たりに、地下へ続く階段があり、彼はそこを下りていった。

階段が終わると、また廊下だった。今度は少し明るくなっていて、見ると、天井に黄ばんだ電球が灯っていた。壁は黒くペンキで塗られている。そしてさらに進んで一度直角に曲がると、そこにフロントデスクがあって、金髪のスーパーモデルみたいな長身の女性が立っていた。男物のようなブラックタキシードが決まっている。その女性が英介を見た。ぞっとするほど冷酷な目だった。ブルーの瞳が余計にそんな感じを抱かせた。英介はまるで金縛りに遭ったみたいにその場で立ち止まった。女性が言う。

「予約の方ですね」

電話の声と同じだった。英介は頷いてデスクに寄った。近づくと、女性の顔は英介より頭ひとつ分は上にあった。鋭い視線が頭上から降ってくるという感じだった。

「ピュア・レッドですね」

女性は確認するように訊いた。英介はもう一度小さく首を縦に振った。

「三千ドルです」

感情のない無機質な声だった。英介はジャケットの内ポケットから財布を出して、百ドル札を三十枚、キャッシュで支払った。女性は、それをろくに数えもせずデスクの中にしまい、ブースから出てきた。そして「カモン」と人差し指で合図をして歩きだした。

英介は慌てて後を追った。女性の腰は英介の胸の辺りにあった。英介は尻の動きに目を奪われながらついていった。これからどんな責めが行われるのだろう。もしかしたら、この目の前の女性が相手をしてくれるのだろうか。そんなことを考えながら英介は歩いた。

また扉があった。女性はポケットから鍵束を出すと、その中のひとつでロックを解除し、ドアを開いた。そしてそのドアを押さえたまま、また人差し指を立てて動かし、英介に中へ入るよう促した。今度は無言だった。英介はオドオドしながら部屋に入った。

部屋は真っ暗だった。英介が戸惑っていると、背後で扉が閉まって、鍵がかけられる音がした。英介は暗闇にひとりだった。急激に恐怖心が湧いた。目を凝らしても何も見えない。壁に触れると、コンクリートのざらざらした感触が手のひらに伝わった。その時、いきなり天井の蛍光灯が瞬いて、部屋が明るくなった。

そこは何もない部屋だった。ただコンクリートの打ちっ放しの壁が四方を囲んでいた。その代わり天井が高く、優に三フロア分くらいはあった。正面の壁に取り付けられた鉄製の階段が三階くらいの高さまで伸びていて、そこにドアがある。広さは二十畳くらいだが、椅子ひとつない。普通SMのプレイルームといえば磔台や鉄格子の檻や女王様用の豪華な椅子があったりするものだが、何もない。

英介はそろりそろりと部屋の中央へ進み出た。と、不意に、三階部分のドアが開いた。反射的に英介はそちらへ目を遣った。階段の上に、ふたりの白人女性の姿が見えた。ふたりともウエーブのかかったブロンドの髪で、身長がかなり高く、完璧なプロポーションをボンテージ・ファッションに包んでいる。そのうちのひとりは、手にミネラルウォーターのボトルを持っていて、もうひとりは小さなバッグを肘にかけていた。鉄の階段を踵の高いブーツで下りてくるふたりの足音が部屋に大きく反響する。

やがてふたりは英介の前に立った。その顔は英介の顔より二十センチは高い位置にあって、鮮やかなブルーの瞳がまっすぐ英介を捉えた。英介は「よろしくお願いします」と英語で言った。するとふたりは顔を見合わせて、次に冷笑を浮かべた。そして簡単に名乗った。

「私はケリーよ」

「私はアマンダ」

ケリーはすらりとしたスレンダーな美人で、アマンダは肉感的なボディの持ち主だった。どちらも身長はおそらく百八十センチを超えていた。今は踵の高いブーツを履いているから、二メートルに近い。英介はそんなふたりに見下ろされて、めちゃくちゃに興奮していた。

「変態の黄色い猿、さっさと服を脱いで裸になりなさい」

ケリーが命じた。英介はその場で服を脱いで全裸になった。ペニスはもうはちきれんばかりに勃起していた。しかし仮性包茎の彼の亀頭はまだ半分ほど包皮に隠れており、それを見たアマンダがあからさまに軽蔑した口調で言った。

「日本人って本当に包茎が多いわね」

ケリーが軽く英介を蹴る。

「何をぼんやりしているの。そこに跪きなさい」

「はい」

英介は冷たい床に膝をつき、額を床につけた。その後頭部にアマンダが足を乗せて、踏んだ。それは情け容赦のない体重の掛け方だった。英介は思わず叫び声を上げた。するとアマンダは呆れたように首を振って足を下ろした。

ケリーが英介の前にしゃがんだ。英介はその顔を間近で見た。それは息を飲む美しさだった。細身のフェイスラインに鼻筋が通っていて、目は大きく、唇が真っ赤に濡れていた。長い髪からはとてもいい匂いがした。英介はそれを嗅いだ。アマンダがバッグを開き、中から何かの錠剤が入った壜を出してケリーに手渡した。ケリーはそれを受け取ると、蓋を外して二錠を手のひらに載せ、ミネラルウォーターのボトルと一緒に英介に差し出して飲むよう促した。英介はそれが何の薬であるかわからないまま口に放り込み、水で流し込んだ。

「その薬が効き始めるまで五分くらいかかる」とケリーが言った。アマンダが、犬のお座りと同じ姿勢を保っている英介に訊く。

「仕事は何?」

「商社員です」

英介はこたえた。その時、ふっと視界が揺れた。気のせいかとも思ったが、その揺曳感は治まるどころか時間が経過していくにつれて大きくなっていった。体がひどく熱い。頭から、胸から、汗が噴き出してくる。喉がやけに渇いた。英介は何度も唾を飲み込んでそれを癒そうとしたが、全然効果はなかった。

「効いてきたみたいね」

ケリーが言って、ミネラルウォーターのボトルを英介に与えた。英介は喉を鳴らしてそれを飲んだ。水がこれほど美味しいものだと感じたことはなかった。

しかし依然として体は揺れていた。頭が膜張ったみたいに霧がかかっていて、目を閉じると、瞼の裏に原色の爆発が起こった。その飛び散った色の点を凝視すると、やがてそれは像を結んだ。

女の裸が踊っていた。グラマラスな女だった。よく見ると、それはアマンダであり、次の瞬間、ケリーに変わった。ふたりは代わる代わる足を大きく開き、性器を見せつけては笑っていた。手を伸ばしても触れられない。脚のラインが素晴らしかった。唇のアップが迫ってきて、赤い舌がチロチロと蠢いている。胸の谷間の白い肌に青白い血管が浮いていて、金色の産毛が光っている。甘い風が吹いた。それはケリーの吐息だった。英介は夢中で手を伸ばした。しかし手は動かない。英介はもがいた。気づくと足も動かなかった。

英介は目を開いた。すると世界が傾いていた。彼は床に転がっていた。目の前には艶やかに光るブーツが見えた。

腕は背後に回されて、いつのまにか手錠がかけられている。足首にも足枷が付いていて、英介は芋虫のような格好で床を這っていた。股間がひどく熱を持っていて、覗き込むように見てみると、パンパンに腫れていた。それは通常の勃起とは比較にならないくらいの硬度と形状だった。まるで射精十回分の精液がペニスの出口で詰まっているような感じだった。英介はたまらなく抜きたかった。しかし手は使えなかった。ふたりの嬌笑が頭上から降り注いでいる。英介は体をうつ伏せにして直接コンクリートの床にペニスを擦りつけて腰を振った。激痛が脳髄まで走ったが、それでも腰の動きを止めることは出来なかった。たちまち亀頭から血が噴き出した。茎の皮もずり剥けていく。

ケリーが爆笑しながら英介の体を蹴って仰向けにさせると、すかさずアマンダが彼の顔に尻を落とした。たっぷりとした肉が英介の呼吸を遮って、彼は呻いた。体が意思とは関係なくピクピクと痙攣する。血に塗れたペニスをケリーが踏んだ。英介は苦痛と快楽の狭間で身悶え、しかし呼吸困難のためにもがき続けた。

頭の中の酸素が欠乏してきて思考が朦朧としてくると、それに乗じてさらなる快感の波が襲ってきた。またしてもペニスがいきり立っていく。英介の脳裏に甘美なる死の誘惑がちらついた。まるでアクアラングのホースに穴が開いたダイバーのような心境だった。

と、唐突にアマンダが腰を上げた。英介は大きく息を吸った。細胞の隅々にまで酸素が行き渡るように何度も深呼吸した。そうして仰向けに横たわる英介の視界は、アマンダの悩ましい太腿の内側で占められていた。英介は頭を持ち上げ、その白い肌に吸い付いてペロペロと舐めた。その行為に対してアマンダの怒りが爆発した。アマンダはおもむろに英介の髪を鷲摑みすると、無理やり立たせ、力いっぱいの蹴りを腹にぶち込んだ。

英介は二メートル近く吹き飛んだ。続けざまにケリーの爪先が顎にヒットして、英介はさらに背後へと転がり壁に後頭部をぶつけた。白い光が弾ける。しかし痛みは変な薬のせいですぐに快感に置き換えられ、英介の意識は分裂した。

英介はまた髪を摑まれて引きずり回された。そうしているのはアマンダだった。尻がコンクリートで擦れて、皮膚がベロベロに剥けていくのがわかったが、全然痛くはなかった。神経は既に様々な部分で切断されていて、感覚が脳まで伝達されることはなかった。英介はただ快感の海に溺れていた。ブロンド女性の白く長い脚が、柔らかく透き通るような肌が、ひたすら英介を翻弄した。ブーツの爪先が、手のひらが、英介の体を赤く染めていった。

ケリーが英介の胸に爪を立て、一気にその手を下におろした。英介は絶叫した。ケリーの爪は鋭く尖っていて、英介の胸に五筋の赤い線を描いた。そしてケリーは、そのまま英介のペニスを玉袋と一緒にむんずと摑むと、思いっきり爪を立て、勢いよく引っ張りながらその手を途中で離した。すると股間から漫画みたいに血が迸った。英介は自分の性器周辺から血が四方八方へ飛び散る様子を弛緩した脳で不思議そうに眺めた。

ケリーの手は血まみれだった。その手で髪をかきあげるから、ブロンドの髪もところどころ赤く染まっている。ペッと吐いた唾が英介の顔を濡らした。その顔をアマンダのブーツの底が踏む。アマンダは爪先を英介の口の中に押し込んだ。そしてそのまま足を高く蹴り上げた。英介の体は簡単に空中に舞い、落下した。唇の端が大きく切れて血が流れる。

コンクリートの床はまさに血の海だった。その純度百パーセントの赤い海を英介は這いずり回っていた。手足を拘束され、神経の自由を奪われて、それでもなおペニスは貪欲に射精を求めていた。そして、痛みはすべて快感へと昇華していた。

あらゆる感覚がなかった。英介は完全にひとつの物体と化していた。生への意志も、死への恐怖も、何もなかった。ただ浮遊していた。射精への意欲は高まるばかりであったが、しかしそれをコントロールする術は失われている。精子は睾丸で生産され続けているものの、出口が塞がれていた。英介は狂っていた。少しでもケリーとアマンダの攻撃がやむと、床にペニスを擦りつけた。英介の性器は、もうその機能を放棄していた。それは無意味に股間にぶら下がっているだけの歪な肉塊に過ぎなかった。

アマンダが足で英介の体を転がして横向きにさせると、壁に向かって屹立する爆発寸前のペニスを上から踏みつけた。ちょうど亀頭の下あたりから茎にかけて体重をかけたので、見る間に亀頭が膨張してやがて小さな穴が無数に開き、そこから鮮血が噴水みたいに迸った。それはまるで水風船が破裂したみたいだった。

続いてケリーが呆然としている英介の首に首輪を装着し、その長さが三十センチほどの太い鎖をアマンダに渡した。アマンダはそれを持つと、英介の体をハンマー投げのハンマーに見立てて回転を始めた。勢いがついていくにつれて英介の体は浮き上がり、円軌道を描いて回りだした。その姿はまるで人間空中ブランコだった。英介は床から一メートルくらいの空中で回っていた。そしてアマンダは突然その鎖を持つ手を離した。すると英介の体は軌道を外れて空中を飛び、壁に激突して落下した。ふたりの笑い声がコンクリートで固められた部屋に反響する。

英介はしばらく動けなかった。床に伸びていると、アマンダが傍らにやってきて、上半身を壁に立てかけるようにして英介を座らせた。ケリーが硬質な靴音を響かせて近づいてきて、英介の顔めがけて唾を飛ばした。アマンダもそれに倣う。たちまち英介の顔は唾塗れになった。ふたりの大量の唾が目尻や鼻や口から溢れる鮮血と混じって英介の顔を彩った。

英介の視界は睫毛に付着した唾に天井の光が当たって白っぽく霞んでいる。満身創痍ではあったが、不思議と痛みはまるでなかった。それどころか、痛みを受ける度に体はもっと強い刺激を希求した。多分そこら中の骨が折れていた。腕もうまく上がらないし、足も動かない。さらに、口すら思うように開かない。おそらくは顎の骨が砕けてしまっているのだった。

そうして英介が壁に凭れたまま放心状態でいると、いきなりケリーの蹴りが鳩尾に叩き込まれた。英介は体をくの字に折った。口から吐瀉物がゴボゴボと溢れた。それには大量の血が混じっていた。

呼吸がうまくできなかった。酸素を取り入れようとしても肺まで入っていかない感じだった。英介は混乱に陥っていた。まるで内臓に穴が開いているみたいで、空気は悉くそこから漏れていくようであった。そんな英介の体をアマンダがボディビルダーみたいに高く持ち上げた。腕をぴんと伸ばして掲げる。英介の体はバーベルのようなものだった。アマンダはそのままゆっくり部屋を周回した。ケリーがそれを見て笑っている。英介は空を飛んでいた。それは子供の頃、父親にせがんでやってもらったウルトラマンごっこと同じだった。世界は今、英介の真下にあった。

次の瞬間、英介は本当に宙に浮いた。アマンダがいったん肘を曲げて反動をつけ、彼の体を天井に向けて放り投げたのだった。両手両足を拘束されている英介は万有引力の法則に従ってなす術もなく床に落下した。灰色のコンクリートが迫り、すぐに激突した。英介は顔面を強打し、鼻骨が折れて血が噴き出した。膝の皿も割れたみたいだった。体が何度もビクンビクンと跳ね、小刻みに痙攣した。

アマンダとケリーが顔を寄せ合って何か言った。英介にはもう英語を理解する力が残っていなかったし、たとえそれがあったとしても、殆ど聴覚が破壊されてしまっていたから、どのみち聞き取れはしなかった。英介は無言の世界の住人だった。感覚を失い、今、音を失った。あと残されているのは光と色だったが、しかしそれも近いうちに喪失するであろう予感が英介には確かにあった。その時、ケリーがアマンダにこう言ったのだった。

「フィニッシュ」

ケリーが英介の体を軽々と、腹に両手を回して頭が下にくるように抱えた。アマンダがニヤニヤしながらケリーの顔の前あたりで揺れている英介の両足首を持つ。そして、ふたりは呼吸を合わせて床を蹴った。英介の体を抱えたケリーは自分の足を水平に前へ出し、英介の足首をがっちりと摑んだままのアマンダが全体重をかける。

それはふたりがかりのパイルドライバーだった。ケリーの尻と英介の頭の天辺が床に触れるのが同時だった。アマンダが奇声を発して腕を下に振り下ろした。

ぐしゃっと嫌な音がして、英介の首の骨が折れた。その瞬間、英介のペニスの先端から大量の精液が噴出してアマンダの胸元を汚した。しかし、英介は自分が射精したことを知らなかった。その寸前に、彼は絶命していたのだった。

アマンダは胸に付着した精液を指で掬うと、その指先をケリーに差し出した。ケリーはそれをペロリと舐め、にっこりと笑った。アマンダは、もう一度別の手で精液を取り、自分でも舐めた。

「楽しかったわね」

ケリーが、英介の死体を見下ろしながら言った。アマンダは壁にカモフラージュして埋め込んであるカメラとマイクに向かって声をかけた。

「シンディ、終わったわよ。例の箱を持ってきて」

それからアマンダはケリーに向き直り、独り言のように呟いた。

「それにしてもこの日本人はどうやってこの『ピュアレッド・コース』の存在を知ったのかしら?」

「さあ、それより、この男の場合、ちゃんとこのコースの意味を知っていてここへやってきたのかどうかも怪しいと思うわ」

「そうね。私も途中でそう思った。多分、殺されるなんて知らなかったんじゃないかな。自殺願望があるようには見えなかったもんね」

その時、入り口のドアが開いて、フロントデスクにいた女性、シンディが入ってきた。手に大きな木箱を持っている。シンディは、「お疲れさま」とふたりに言って、木箱を床に置くと、血の海の中に横たわって死んでいる英介を一瞥した。

「ずっとモニター室で見てたけど、なかなかいいプレイだったわね。これだけの出来だったらまた世界中のマニアにビデオが高く売れるわ」

ケリーが木箱に腰掛けて、煙草に火をつけながらシンディに訊く。

「ねえシンディ、今もアマンダと話していたんだけど、この男、このコースの意味を本当にちゃんと知っていてここへ来たのかしら?」

「さあどうかしら? おそらくは、ちょっと刺激的なMプレイくらいに考えていたんじゃないかしら」

「やっぱりねえ」

アマンダも煙草に火をつけ、それを唇に咥えたまま英介の死体を持ち上げた。そして、木箱の上に座っているケリーに言った。

「先にこいつを片付けておくわ」

「ごめん、手伝うわ」

ケリーは腰を浮かし、木箱の蓋を取った。アマンダがその中へ英介の死体を無造作に投げ込んだ。そしてシンディが、ポケットから釘と金槌を取り出して、厳重に梱包した。

ケリーがハンドルを握っている。助手席にアマンダ、その間にシンディが座っている。三人が乗るニッサンのピックアップトラックは、ブルックリン・ブリッジに向かって走っていた。荷台には、英介の死体が入った木箱がロープで固定して積んである。

橋を渡る時、ケリーが窓を開けた。すると気持ちのいい夜風が車内に吹き込んだ。三人のブロンドの髪が風に踊る。アマンダが片手でそれを押さえながら言う。

「ほんと、ニューヨークは最高の街ね」

シンディが後方に広がるマンハッタンの光り輝く摩天楼を指差して歓声を上げる。

「見て、なんて美しい景色なの。世界中のどこを探したってこれ以上の夜景はないわ」

夜の中に高層ビル群が連なっていた。川面にその灯が映って揺れている。鋭角的なワールドトレードセンターのツインタワーが南の端に見えた。赤いランプが、まるでこの街が呼吸しているみたいに点滅している。夜が明けると、ニューヨークに届く最初の光はまずあのツインタワーを煌めかせる。ケリーは、そんなニューヨークの朝が好きだった。夜が深く暗いからこそ、夜明けの美しさが際立つのだと思う。

「ねえ、今度三人で日本へ行ってみない?」

ケリーがハンドルを操りながらふたりに提案した。車は橋を渡り終えてブルックリンに入っていた。いつもの死体遺棄ポイントまで、あと数分だった。イーストリバーの底には、少なくとも二十数個の死体が木箱に詰まって沈んでいる。シンディが無邪気に答える。

「いいわね、是非行きましょう。私はキョウトへ行きたいわ」

それを受けてアマンダも言う。

「私はシンカンセンに乗って、マウントフジが見たい」

アマンダは以前に写真で見た富士山を脳裏に思い浮かべていた。それは雄大な富士をバックに、新幹線が長い鉄橋を渡っている写真だった。

注・この作品は2001年9月11日の米中枢同時多発テロ以前に書かれました。

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