Rainy Day Effect

不意に意識が覚醒した。河井公輔は、うつ伏せで横たわっていた。眼を開いたが、何も見えない。公輔は体を緩慢な動作で持ち上げ、ひとまず胡座のような格好で座った。そして何度も眼を瞬かせた。しかし、依然として視界は戻らない。確かに眼は開いている。ただ何も見えない。真っ暗なのだ。なんだか頭がフラフラした。何も見えないのはそのせいかとも思ったが、どんなに瞬きをし、どんなに大きく眼を見開いても、視界は真っ暗だった。

完全な闇が公輔を包み込んでいた。しかも、何か体に違和感があった。何だろう? 闇の中でそう公輔は考え、すぐに解答が見つかった。なぜか、何も身に付けていないのだった。どうして裸なんだ? 混乱しながら公輔は自分の体を両手で弄った。右の手で左の腕を、左の手で右の腕を触り、胸板から腹、更に下腹部から脚へと掌を這わせたが、自分の膚の質感以外、何も感じなかった。

尻の下がひんやりしていた。手で触れて床を辿ってみると、どうやらフローリングのようだった。表面はつるつるとしていて、感触が木材だった。そのままその手を水平に持ち上げ、伸ばしてみた。すると、ざらざらとしたコンクリートの壁らしきものがあった。

どうやら、どこかの部屋の中にいるらしい。公輔はそう思ったが、完全な暗闇の中で一糸まとわぬ全裸でいることに、強烈な不安感を覚えた。じっとしていると、まるで自分の輪郭が闇の中へ溶け出していくようだった。床に尻をついて座っているのにふわふわと浮遊しているような不安定感が、意識と肉体の境界を少しずつ曖昧にしていく。右を向いても左を向いても、首の筋肉を意識していないと、たちまちどこを向いているのかわからなくなってしまう。腕の動きだってそうだ。顔の間近まで掌を持ってきても皮膚の表面に触れない限りその存在を確認できないから、小さな筋肉の動きに意識を常に集中させていないと、自分が何をしているのか、その行動をすぐに把握できなくなる。

どこかの部屋にいるらしいことは認識できる。しかし、どこなのか、さっぱりわからない。そもそも、どうして全裸なのか意味がわからないし、どうして今自分がこういう状況にあるのか、その記憶を辿ろうとすると、フラフラする頭がその思考に仄白いベールを被せてしまう。勿論、自分が誰かはわかっている。河井公輔。ちゃんと漢字で書けるし、住所も電話番号も言える。現在四十二歳で、独身で、職場である会社名も部署もわかっている。肩書きは課長代理だ。そういうことなら、ちゃんと覚えている。ただ、この数時間のことを思い出そうとすると、途端に曖昧になる。軽い記憶喪失か? と不安になったが、そうでもなさそうだった。医学的な知識は全く持ち合わせていないが、こんな都合の良いピンポイントな記憶喪失なんてないだろう、と公輔は思った。

それにしても、なぜこんなところで、なぜ全裸でいるのか、全くわからない。たとえば、誘拐されたのか、と考えてみても、独身の一人暮らしで実家はあるが資産家ではないし、身代金なんか取れないから、無意味だ。こんな目に遭わされるような恨みも、たぶん誰からも買っていない。お世辞にも金回りが良いとは言えないが、タチの悪い借金とも無縁だ。だから、どれだけ考えても、この状況に納得できなかった。どれだけ譲歩して考えてみても、自ら望んでこの状況にいるとは思えない。しかし、だからといって拉致されるような覚えもない。酒に酔って喧嘩でもして誰かの怒りを買ったのかもしれない、と考えてみたが、自分の体には何の異常もない。痛い箇所もなければ、腫れているような部位もない。

そんなことを考えていると、ふと、裸でいるわりに寒くないな、と公輔は思った。今日は昼過ぎから雨が降りだして、夜になって事務所が入っているビルを出たときには相当寒かったのに……と、そこまで考えたとき、少しずつ記憶が戻りつつあることに気づいた。そのきっかけを公輔は逃すまいとして、必死に記憶の糸をたぐり寄せようとした。気を抜いたら、記憶はまた闇の中へと吸い込まれるように薄れてしまうかもしれない、そう思ったのだ。

雨。そう、今日は昼過ぎから、雨が降りだした。朝から曇っていたが、ランチタイムにはまだ降りだしておらず、確か二時半くらいから天候が一気に崩れた。そして一時間だけ残業して六時半にビルを出る頃には、本降りになっていた。冷たい一月の雨を見上げながら折り畳み傘を広げつつ、雪にならないだけマシか、と思ったことを覚えている。

それから、どうした? 公輔は自分の行動を思い出そうと記憶を辿る。会社を出た後、食事をした。駅の近くにある、いつもよく利用している牛丼屋。牛丼の特盛りと豚汁を混み合うカウンターで食べた。そして、その後、そうだ、風俗へ行った。

独身で恋人もいない公輔にとって、性欲処理の選択肢は風俗か、もしくは自慰に限られる。しかも、公輔は極度のマゾで変態だった。そしてなぜか雨の日になると、その変態としての血が妙に騒ぐ。だから、今夜も、風俗へ出かけたのだ。

雨のせいか、そういえば今日は一日中悶々としていた。平静を装って日常の業務をこなしながらも、頭の中はムラムラしていて、淫らなことばかり考えていた。そういう日は終業後、風俗へ行くか、アダルトのDVDやエロ本を仕入れて自室で自慰に耽って欲望を紛らわすのが常だ。だから今日も多分風俗へ行ったのだと思うが、事務所ではついつい女子社員たちの体のパーツをチラチラと盗み見していた気がした。パンプスの爪先をさりげなく凝視してはその中に「ムレムレか?」と思いを馳せ、ぴっちりとした制服のスカートから伸びるストッキングに包まれた脚のラインを眺めては「抱きついて頬擦りしたい」と願い、「いっそあのスカートの中へ頭を突っ込んで股間に顔を埋めながら匂いを嗅ぎまくりたい」と激しく夢想の翼を広げた。更に、白いブラウスの胸の隆起を見れば、執拗なまでにその乳房を弄り乳首を吸い続けたい、と思い、そして、おまえほんとにオッパイ好きだな、と呆れられながら嘲笑されたら最高だ、とその光景を想像して、机の下で密やかにペニスを勃起させた。

公輔の職場にいる女子社員はみな若く、なぜか美人が多いから、環境的には申し分ないものの、変態のマゾとしては、ついついそういう眼で見てしまいそうになるから、逆に魅力的過ぎて厄介だった。とくに公輔には、自分よりも遥かに年下、もしかすると自分の年齢の半分程度でしかない女子社員からゴミのように扱われたいという願望があるから、職場は天国でもあり、同時に地獄だった。SMクラブ等の風俗店では本能の赴くままに破廉恥な姿態を平気で曝け出せるさすがの公輔でも、職場で同僚である女子社員たちに対してそういう態度は見せられなかった。見せられないどころか、その片鱗を漂わせることすら、できない。本当は、更衣室に忍び込んでロッカーの中身をいろいろと漁りたい願望は強い。しかし、そんなことをすれば身の破滅だとわかっているから、決して行動には移せない。気のない振りを装いながら女子社員たちの様子を盗み見するくらいがせいぜいだった。たとえば公輔の机の位置からよく見える場所に山下千夏という綺麗な22歳の女性の席があって、時々彼女がデスクの下でパンプスを脱いでストッキングの爪先を露出させながらぶらぶらさせているのだが、その爪先をさりげなく、しかし粘着質の視線で物欲しげに眺めることくらいが、公輔の限界だった。本当ならその場に駆け寄って足元に跪き、爪先に鼻を押し付けたいのだが、そんなことできるわけがない。

それでも、昨日はついつい、女子社員のゴミ箱を漁ってしまった。その社員は三浦晃穂という同じ課の部下なのだが、とてもかわいく、明るくさばさばとした性格の魅力的な21歳の女性で、その子が夕方、「ああ伝線しちゃってる」とあっけらかんと言って自分の机の下のゴミ箱にストッキングを無造作に捨てる場面に遭遇してしまったからだ。履き替え自体はトイレか給湯室かどこかでしてきたようだったが、そのストッキングを捨てる場面を見た瞬間、公輔はどうしてもそれを手に入れたいと思ってしまい、定時を過ぎても室内に誰もいなくなるまで意味もなく残業をし、最後の一人が退社してから、そのストッキングを素早く入手した。誰もいないし、事務所内には防犯のための監視カメラ等も設置されていないが、後ろめたさ故か、公輔の行動は姑息なまでにコソコソしていた。それでも公輔は、怯みそうになる心を奮い立たせながら勇気を振り絞ってゴミ箱に近づき、素早く屈み込んでその中へ手を伸ばし、掴み、取り出すと、たまらず蹲ったまま急いでそっと爪先部分の匂いを嗅いだ。その部分は湿っていて、甘い香りがした。公輔はその夢の実現に陶酔し、思わず自慰をしたくなったが、いつ誰かが戻ってきたり、他の課の人間が偶然やってきたり、清掃業者や警備員が入ってきたりしたらまずいので、さっさと鞄にしまい、帰宅した。そして自宅で心ゆくまでそのストッキングを堪能した。自室で裸になり、「晃穂さまー」とひとりで身悶えながらストッキングの匂いを嗅ぎまくってオナニーをした。

今日は今日で、またたまらない場面に遭遇した。宇佐見舞という23歳の女子社員がコピー機を使っていたのだが、その尻の量感が理性を呆気なく狂わせた。宇佐見舞は身長が170センチほどもある大柄の女性で、派手で、体格もだがプロポーションが素晴らしいので、そんな女性が突き出すように尻を出していたら、思わず跪いてその尻の肉の谷間に顔を埋めたくなってしまう。だから、ついつい、食い入るようにガン見してしまった。多分、相当物欲しげないやらしさ全開の目をしていたと思うが、幸い誰も注意を向けてはいなかった。それをいいことに、公輔は舐めるように舞の後ろ姿を視姦し続け、机の下でそっとズボンの上から勃起したペニスを握り、軽く上下させた。勿論そのまま射精したかったわけではない。いや、できればそこまでしたかったが、職場でそれは無理なので、舞さまで今オナってます、すいません、という無言のアピールを放ちながら、そんな倒錯的な状況に落ちている自分に昂っていたのだった。

そんな一日だったので、公輔は仕事を終えてから、風俗へ行った。職場で抑えつけている欲望を風俗で発散して、精神のバランスを取るのだ。そんな理由付けだから、必然的に、利用する風俗はノーマルなファッションヘルスやソープ等ではなく、マニアックな店になる。SMクラブだったりイメクラだったりオナクラだったり、その時の財政状況やM度によって変化する。縛られて鞭で打たれて折檻されたいという極度なマゾモードの時は迷うことなくSMクラブだし、フェチ的願望が強い時はイメクラ等になる。今日は、給料日前で財政が心許なかったし、何より女体に溺れたかったので、比較的安価なソフトM向けのヘルスのような店へ行った。

安い風俗でM的行為に耽ることほど、男として惨めで情けない気分になることはない。しかしその気分は、M男として歓びだ。確かに、壮絶な自己嫌悪に陥る。だが、それがいいのだ。薄汚い雑居ビルの中にある店舗のさほど清潔でもない狭いルームで金を払って女性から小馬鹿にされながらその女体を貪る、その状況や構図がM的にはたまらない。「客」なのに客扱いはしてもらえず、なのに必死に女体に縋り付く、そんな自分の行動をふと客観視すると、心の底から「哀れな、人間の屑だな」と思うが、そんな自分に自分の中のM性が爆発してしまうのだ。常人には決して理解し難い感覚だろうが、綺麗とかかわいいとか、とにかく「人間」という「種」として明らかに自分より上位に君臨する女性から「こいつ、キモ」みたいに見下されると、どうしようもなく嬉しくなってしまう。そして、そんな女性の前に跪き、ひれ伏し、嘲笑や罵声を浴びること、それこそがマゾの公輔にとっては光栄だった。ダサいとかキモいとか、そんなことはわざわざ人から言われなくても自分でよくわかっているし、同じことを男やブスから言われれば腹が立ち、そんなこと言われる筋合いはない、と反発心を抱く。しかし、相手が美しい女性になると、同じ軽蔑や罵倒でも意味が違ってきて、要するに信号が変換されてM性を覚醒させてしまう。それは多分、化学反応のようなものだ。ある物質とある物質が特定の条件下においてのみ反応を示すように、M性というものも様々な要因や条件が合致してはじめて、華々しく開花する。つまり、誰でも、いつでも、どこでもいい、というわけではないのだ。

かなり記憶が戻ってきた、と公輔は思いながら、牛丼を食べた後の自分の行動について細かく思い出していく。

金曜の夜の盛り場は、人が多かった。不景気が叫ばれ、冷たい雨が降っているというのに、多くの酔客が路上を流れていた。公輔はひとりでそんな雑踏の中を歩いていき、やがて雑居ビルの地下で営業している一軒の風俗店に入った。そこは所謂「ファッションヘルス」だが、ソフトM向けを謳っていて、基本的に女の子の方から媚びるような積極的で優しいサービスはない。女の子はただ裸になって、客であるM嗜好の強い男に自由に体を貪らせるだけだ。その店の女の子たちは、客を客とは思っていない態度で接してくる。どの女の子を選んでも雑なタメ口だし、あからさまにM男を馬鹿にし、けらけら笑いながら容赦なく哀れな男を罵倒する。そんな女の子に、客の男は敬語で接し、体に触れさせていただいたり、舐めさせていただいたりする、そういうコンセプトの店だから、ノンケなら五分で怒って出ていってしまうだろう。しかし逆にいえば、M男でさえあれば、かなり楽しめる店だ。SMクラブではなくあくまでもヘルスだから、SM的な関係はあっても、体に触れるし舐めれる。挿入以外なら、もれなく罵倒付きだが、大抵の欲望を発散できる。女の子のコスチュームも女子高生風のセーラー服やブレザーからOL風の制服やスーツ、レースクイーンなど、自由に選べる。

公輔は店に入ると、バネルを見て21歳のアヤネという女の子を指名し、コスチュームはOL風の制服を選んだ。そしてしばらく待合室で過ごした後、個室に案内された。ベッドだけが置かれた狭い三畳ほどの個室に入ると、既にアヤネは制服姿でベッドに座っていた。公輔はすぐに裸になり、包茎のペニスを露出させた。アヤネは「出た、包茎」と笑った。

それから四十分間、公輔は歪んだM性を全開にして職場での悶々とした気分を吹き飛ばすように、アヤネの体を貪った。はずかしげもなく変態性を曝け出しながら、執拗なまでにアヤネの体を舐め尽くした。跪いて足の指を丹念にしゃぶり、そのまま太腿に抱きついて頬擦りしながら掌と舌を這わせ、スカートの中に頭を突っ込ませて股間に顔を埋めるとまずは下着の上からその部分の芳香を堪能し、哀願して下着を脱いでいただくと、性器や尻の穴を延々と舐め続けた。アヤネはスカートの裾を捲り上がらせたまま脚を開いてベッドに座り、煙草を吹かし、全裸で床に跪いて一心不乱に股間に吸い付いている公輔を見下ろしながら「おっさん、笑えるくらい相当溜まってんなー。超キモいわ、マジで」と笑い続けていた。公輔はフンフンと鼻を鳴らして股間に吸い付きながら「すいません、よろしければフェラチオしていただきたいのですが」と言った。するとアヤネは「はあ?」と顔を顰め、「そんな汚い皮被りのチンポしゃぶるなんて無理。ありえない。つか、おまえ何様? 勘違い甚だしくね?」と速攻で却下した。公輔は「すいません」と謝罪し、股間に集中した。

その後、上半身へと移動し、公輔は嘲笑されながらもアヤネの腋を求めてブラウスのボタンを外してもらって無理やり顔を押し込むと、汗ばんでしっとりと湿っている腋を舐め、そのままブラウスの胸元を大胆に開いてもらうと、ずらされたブラジャーからこぼれ出た大きな乳房にむしゃぶりついた。柔らかいふたつの乳房を揉みしだき、その肉感に溺れ酔いしれながら夢中で乳首を吸った。ねっとりとした濃厚なキスもした。しかしそのキスはあくまでもアヤネがリードし、公輔はされるがまま、痴呆のように唇と舌を彼女に預け続けた。

そして最後は、バスタオルが敷かれた小さなベッドの上で向かい合って座り、顔にぺっぺっと唾を吐かれながら、全くやる気の無さげな、面倒臭い気分を隠そうともしない手コキによって公輔は射精した。扱いている間、アヤネは「あーだるー」と言いながらずっと咥え煙草のままで、公輔ひとりが昂って「ああ」と精子を迸らせた瞬間、「あ、ショボいチンポからなんか出た」と言い、斜めに咥えていた煙草の先から長い灰がぽとりと落ちた。

濃厚だがどこか一抹の虚しさを内包する時間を地下の個室で過ごした後、公輔は雨の路上に戻った。なんとも情けない気分はあった。抑圧され続けていた性欲がひとまず解消されたことに安心はあったが、個室内での自分を冷静になって振り返ってみると、何をやっているんだか、という暗い気持になった。もっとも、プレイの後についそういう風に感じてしまうのはいつものことだったが、降り続いている冷たい雨が一層その虚無感に似た感情を膨張させた。代金と引き換えにして手に入れる性的な発散が、所詮は一時的なガス抜きに過ぎないことを、公輔は知っている。どうせ明日になれば、いや、ヘタすれば自宅に戻って寝る前には、また淫らで破廉恥な妄想に捕われるのだ。そんなことを思いながら、ジャケットの内ポケットに入っている軽くなった財布を意識して傘を差し、歩きだした。

まだ電車が走っている時間なので、公輔は駅へと向かった。もう何度となく利用している店だし、勝手知ったる繁華街だから、メインの通りは使わず、途中で細い路地へ折れた。そこを通って近道し、ショートカットすれば、駅までの所要時間を短縮できる、と経験上わかっていた。

そして、路地に入ってしばらくしたときだった。その路地は、店らしい店もなく、かといって決して危険な雰囲気が漂う場所ではないのだが、人通りはなく、街灯も疎らにしかともっていなくて寂しく細い道なのだが、その道を駅の方へ、傘に当たって増幅された雨音に包まれながら歩いていると、不意に後方から「河井さん」と女性の声で呼び止められた。公輔は、こんなところで一体誰だ? と若干不審に思いながらも足を止め、声がした方へ振り向いた。すると、声の主を確かめる前に、顔に何か黒い布が被せられ、押し付けられた。その布には何かの薬剤が沁み込まされていたのか、変な匂いがして、それを意識した瞬間、公輔の視界と思考は闇に転落した。

そうだ、あの路地を歩いている時、自分は何者かによって呼び止められ、黒い布を被せられて、一瞬のうちに意識を失ったのだ。そして、先程ここで目覚めた。どうしてそんなことをされたのか、ここは一体どこなのか、なぜ自分は裸なのか、それらの疑問に対する解答は依然として不明で全く腑に落ちなかったが、とりあえず公輔はすべてを思い出し、記憶の欠落部分を取り戻した。

但し、相変わらず周囲は完全な闇で、完全な無音だった。公輔はふと、今は何時くらいなのだろう? と思った。どれくらいの時間にわたって気を失っていたのか、全く見当がつかなかった。

そんなことをつらつらと考え続けたが、やがてどれくらいの間そんな風に思いを巡らせているのか、全くわからなくなってしまった。十分かもしれないし、一時間かもしれない。時間の感覚がいつのまにか消えてしまっていた。眼を開けていると気が狂いそうだったので、公輔はずっと眼を瞑っていた。どちらにせよ真っ暗であることに違いはないのだが、なんとなく瞼を閉じている方が落ち着く気がしたのだった。

公輔はコンクリートの壁に凭れ、体育座りの格好で立てた自分の膝を抱いていた。空調が効いているのか、裸でいても全く寒さは感じなかった。気づくと、頭がフワフワする感じも消えかけていた。尻の下のフローリングも、背中が触れているコンクリートも、暖かくはないが冷たいというほどではなかった。

突然、視界に光が溢れた。反射的に公輔は眼を腕で庇い、瞼を閉じた。それまで眠っているのか起きているのかわからない状態だったのだが、光の横溢を浴びた瞬間、公輔の意識は明瞭になった。闇が消えたことで肉体と精神の境界線がくっきりとあらわになり、同時に、公輔は全裸であることに強烈な恥ずかしさを覚えて、ほぼ無意識のうちに股間を両手で隠していた。

最初は瞼を開いていられないくらい眩しさを感じたが、その明るさに次第に眼が慣れてくると、光がどこから発せられているのかわかった。部屋はどうやら四畳半ほどの広さだったらしく、その天井の四隅にスポットライトが取り付けられていて、そこから放たれる光線が部屋の床の中央に集められていた。四つの電球の光量は強く、結果的に部屋全体を明るく照らし出している。

公輔は激しく戸惑いながら、周囲を見回した。完全な暗闇も落ち着かなかったが、ここまで明るい光で照らし出されると、それはそれでやはり落ち着かなかった。その理由は、自分が全裸でいること以外に考えられなかった。暗闇の中ではそれほど気にならなかったが、光に曝け出されると、自分という実在が認識可能になって、たちまち不安感に被われた。

壁のひとつに、スチール製のドアがあった。公輔はゆっくり立ち上がると、そのドアへ近づき、ノブを回してみた。しかし、ドアは施錠されていた。ノブを回しても回さなくても、押しても引いても、ドアは微動だにしなかった。

光に慣れたせいか、いつのまにか公輔は両手で股間を隠すことを止めていた。包茎のペニスをぶらぶらさせたまま、先程とほぼ同じ位置に戻り、再び腰を下ろして壁に背中を預けた。

闇が光の空間に置き換わっただけで、それ以上はどれだけ待ってももう何も変化は生じなかった。ただ、明かりのスイッチが入れられたことによって、何者かはわからないが、この部屋が誰かのコントロール下にあることはわかった。人の気配は全く感じないが、近くには誰かがいるのだ。

「おーい」

公輔はこの部屋で意識を取り戻して以来、初めて声を出した。しかし返事はない。もっとも返事にはあまり期待していなかったので、何の反応もなくても、それほど落胆はしなかった。それより、やがて公輔は自分がうっすらと汗を掻いていることに気づき、決して高くはない天井から降り注ぐ強いスポットライトの光線によって部屋の気温が上昇しているのだ、と思った。実際、明らかに暑い。裸だから余計にその熱をはっきりと感じた。これがたとえば白い蛍光灯なら、暑いとまではいかないだろう。しかし四個の光源がスポットライトでは、もともと広い空間でもないのだから、たちまち気温が上がっても不思議ではなかった。

公輔はドアを見つめることにも飽きて膝を抱えると、項垂れて額を膝頭に載せ、視線を落とした。頭がフワフワする感じは消えて記憶は取り戻せたが、かといって何をしたらいいのかわからなかった。そもそも、この状況ですることなど何もなかった。眩し過ぎて熱い光線から逃れるために項垂れることしかできなかった。

どれくらいそのまま過ごしたのか。もしかしたら浅い眠りに落ちていたのかもしれないが、突然、スチール製のドアのロックが解放される音が響いた。完全な無音状態である室内にその音が何の前触れもなく際立って響いた時、公輔は心臓を鷲掴みにされたみたいに吃驚して、弾かれたように顔を上げた。そしてドアへ視線を向けながら、息を詰めた。

ゆっくりとドアが開く。公輔は無意識のうちに、すぐどんな動きにも移れるよう片膝を立て、股間を手で隠しながら、食い入るようにドアを見つめている。

完全に開いたドアから、三人の女性が入ってきた。公輔は女性たちの顔を認識した瞬間、「あわわわわ」と声にならない声を上げながら、立てていた片膝を床におろすと、若干腰を捻って後ろ向きになりながら股間を両手で隠し、彼女たちの視線から逃れようと壁を向いた。入ってきた三人の女性は、同僚の女子社員だった。宇佐見舞と山下千夏と三浦晃穂、三人とも通勤用の服を着ていて、薄笑いのような表情を浮かべている。宇佐見舞は鶯色のスーツに白いパンプス、山下千夏は革のジャケットに黒いタイトスカートにロングブーツ、三浦晃穂はグレンチェックのジャケットとスカートというスーツにパンプスを履いていた。どうして彼女たちが? 公輔は戸惑いながら、しかしこんな恥ずかしい姿を会社の女子社員に見せるわけにはいかないという自己防衛本能が働いて、上司としての威厳を示すことも忘れてひとまず緊急避難的に壁際で体を小さく丸めた。

三人の女性は、そんな公輔の混乱など意にも介さず、ドアを閉めると、ずんずんと進んで、背中を丸めて壁の方を向いている公輔を取り囲んだ。公輔は壁際で膝で立ち、剥き出しの股間を両手で隠しながら、腰だけを捻ってとりあえず女性たちの方へ顔を向けながら、しかし彼女たちの表情を見つめることには抵抗があったので、視線を彼女たちの胸元辺りに向けながら、そのときになってようやく会社の上司としてのキャラクターを取り戻して言った。

「何なんだ、これは?」

精一杯威厳を保ったつもりだったが、その声は上ずってしまっていた。しかも、彼女たちの顔をちゃんと見ることが出来ていないため、説得力はほとんどなかった。

「はあ?」

三人並んでいるうち、真ん中にいる宇佐見舞がそう鼻で笑って公輔を冷ややかに見下ろし、嘲るように苦笑まじりに言った。

「見ての通りだろうが」

それは普段職場で接している彼女とは全く違う口調で声音で表情だった。公輔は一瞬だけ彼女の顔を見上げたが、まるでゴキブリでも見下ろしているかのような冷たい眼で見返された瞬間、萎縮してしまい、慌てて視線をそらすと、それでもまだ会社での立場を守るように言った。

「変な冗談はやめろ。こんなことをしてタダで済むと思っているのか? たとえ何かの余興だとしても、いくら何でもこれは笑えない」

状況的にはたじろぎ続けていたし、丸めた背中を向けて股間を手で隠しながら、まともに相手の顔すら見られない今の自分に何の威厳もないことはわかっていたが、公輔は虚勢を張った。すると、山下千夏が「うるせえんだよ」といきなり公輔の背中を勢い良く蹴った。蹴ったというより、ブーツの底でがつんと踏んだ。遠慮など何もなかった。彼女は力一杯、大きく足を振り上げて、そのままその足を公輔の背中へと突き出した。たまらず公輔はよろけ、壁に両手をついて体を辛うじて支えた。そして、その彼女の行為に動揺しながら、一層体を小さく丸め、怖ず怖ずと彼女たちを見返した。もう公輔の眼には怯えが隠されることなく色濃く浮かんでいる。彼女たちが更に一歩進んで公輔の前に立ち、その体を取り囲んだ。匂い立つような強い香水の香りが公輔を翻弄した。公輔はまだ壁の方を向いたままだったが、彼女たちの威圧感の前に降伏したように今や正座をし、股間を手で隠しながら俯いている。その肩を、三浦晃穂がパンブスの底で蹴って、言う。

「冗談どころか、こういうのはおまえの本望だろうが。おまえが変態のマゾだってことはわかってるし、うちらのことをヤラしい目で物欲しげにチラチラと見てることはとっくにわかってんだよ。なのに、今更まだここで上司面すんのか? え?」

晃穂に恫喝され、公輔は体を硬直させた。いつのまにかSMクラブでのプレイ時のように背筋をピンと伸ばして正座している。ただ、それでもまだ心のどこかに(自分は彼女たちの上司なのだ)という一社会人としてのブライドの欠片が捨てきれられずに引っかかっていて、そのため、晃穂の言ったことに対して、否定することも肯定することも出来ず、ただ唇を真一文字に結び、視線を床の方で泳がせていた。

「おい」

宇佐見舞がおもむろに公輔の髪を掴んで強引に振り向かせると、そのまま頭を床に投げつけるように腕を振り抜いた。公輔はされるがまま腰を浮かして体の向きを変えた。

「とにかく、跪けよ」

宇佐見舞が言い、「早くしろ、変態」と公輔の尻を山下千夏が蹴った。公輔は正座し、股間を両手で隠したまま、恐る恐る女性たちを見上げた。すると三人とも腕組みをして、感情の消えた顔で公輔を見下ろしていた。公輔は、すぐに眼を逸らした。彼女たちの威圧的な雰囲気に対して、マゾとしては既に完璧に敗北していた。しかし会社に勤める人間としては、その敗北を認めることが怖くてたまらなかった。だから、苦渋の選択として、ひとまず、いかにも渋々という態度で、彼女たちの命令に従うというポーズをとることにした。しかし「ほら、いい加減そのチンポ隠してる手はどけろ」と山下千夏に蹴られると、公輔は思わず反射的に「あ、はい、すいません」といつもSMクラブで女王様に対して使うような丁寧語でこたえてしまい、それだけでなく、何の抵抗も示さず命じられるままに股間から手をどかしたので、あくまでもポーズだという名分はたちまち無意味となってしまった。

公輔は床で正座し、股間からどかした手を床にハの字にしてつくと、背中を丸めて額を床につけた。決して本意ではないがひとまずそうしないと話が見えてきそうになかったから嫌々言われた通りにした、そんな感じを装った。そして、その体勢を保ちながら、さりげなく前方の様子を視線で探ると、三人の脚がすぐ間近でそそり立っていて、そのうちの宇佐見舞の脚が持ち上がり、次の瞬間、そのブーツの底が公輔の後頭部に置かれた。公輔の全身を、電流が走って貫いた。公輔は、心密かに憧れ続けていた女子社員たちからこのように扱われている自分の今の状況を客観的にとらえ、激しくマゾとして覚醒した。その証明として、ペニスが見る間に屹立した。どうして彼女たちが自分をこんな目に遭わせるのか、それはわからなかった。しかし、この状況は、マゾとしては悪くなかった。いや、悪くないどころか、夢のようだ、と公輔は素直に認め、もう虚勢を張ることは放棄することにした。そんなことをしても、何の意味もない。

上昇を続けている室内の空気の中に、香水の香りが強く漂って公輔を包み込んでいる。公輔は舞に後頭部を踏まれてひれ伏しながら、体を起こして手を伸ばして抱きつけば簡単に抱きつける位置にある三人の脚に、縋りつきたい、と激しく思い焦がれていた。もう勃起が全く治まらない。千夏の声が降り注ぐ。

「やっぱりおまえバリバリのマゾ豚じゃねえか。ノンケだったらふつうこの状況でチンポはおっ勃てないだろ。しかもなんだよその包茎。勃ってもまだ皮被ってんじゃん」

いま自分は、自分の年齢の半分ほどに過ぎない部下の若い女性から軽蔑され、小馬鹿にされ、罵倒されている、公輔はそう思うと、更にペニスを勃起させてしまった。舞がせせら笑う。

「どうせオナニーのし過ぎで皮が伸びちゃったんだろ」

「ははは、こいつの場合、なんか毎日せっせとシコシコしてそうだし」

晃穂が笑い、他のふたりもつられて爆笑した。公輔は未だに舞に頭を踏まれたままで、じっと身と心を強張らせながら、彼女たちの無遠慮な言葉と笑い声を浴びていた。確かに、魅力的な女子社員に苛められる場面を夢想し、その状況に憧れていた。しかし、いざそれが現実となると、あまりの自身の情けなさに肩が小刻みに震えた。裸を晒し包茎を笑われるだけでも死にたくなるくらい恥ずかしくて屈辱的なのに、頭を踏まれて侮蔑されて勃起してしまっている自分自身が哀れだった。自分の部下で、しかも半分ほどの年齢でしかない女性から「おまえ」とか「こいつ」とか呼ばれるなんて、夢のようだった。普段仕事を命じている相手に敬語を使って接し、包茎を晒してそれを嘲笑われるなんて、その倒錯感はマゾとして至福の境地といえた。

しかし、どうして彼女たちはこんなことをするのだ? 公輔はひれ伏したまま考えた。確かに自分はマゾだが、決して公言はしていないし、職場でもバレないよう細心の注意を払っている。なのに、彼女たちは完全に自分の性癖を見抜いているだけでなく、仮にも上司である自分に対して今までに聞いたこともない雑な口調で接し、何の躊躇も遠慮もなく踏んだり蹴ったりしてくる。よほどの確信がない限り、こんなことはできないはずだ。だいたい、言葉は悪いかもしれないが、拉致しているのだ。幸か不幸か自分はマゾだからこの状況を受け入れられるが、もし自分がマゾじゃなかったら、どうするつもりだったのか。というか、そもそも彼女たちは一体何を考えているのだ?

疑問は次から次へと溢れたが、解答は殆ど思い浮かばなかった。ただ、自分より遥か年下の女性たちの前で全裸でひれ伏し、頭を踏まれながら蔑まれてペニスを勃起させている、それが現実だった。

「よし、顔上げろ」

後頭部から舞の足がどけられた。公輔はゆっくりと体を起こし、床についていた手を自分の膝に置いて、顔を上げた。勇気を振り絞って彼女たちを見上げたが、その目は泳いでいる。

「おまえ、自分がどうして今こういう状況にあるか、わかってる?」

腕組みし、冷徹な目で公輔を見下ろしながら、舞が訊いた。公輔は、正直、思い当たる節がなかったので、「すみません」と言ってから「わからないです」とこたえた。

「わからない? ふうん」

小さく唇を尖らせてそう言うと、舞は右隣に立っている千夏を見、続いて、左隣に立っている晃穂を見た。その交錯する視線を、公輔は不安な気持で追いながら、ごく当たり前に敬語で訊ねた。

「すいません、ここは一体どこなのでしょうか?」

「おまえが知る必要はない」

舞がぴしゃりと一喝し、晃穂が言う。

「前から、いつかおまえをこうやって拉致して監禁しようと思っていた。理由は簡単、おまえがマゾで変態でムカつくから」

晃穂はそこまで言うと、公輔の顔にペッと唾を吐いた。公輔は硬直したまま、その生暖かい唾を受け止め、頬を流れていくのを感じ続けた。マゾで変態でムカつくと言われても、マゾで変態であることは秘密にしていたし、まさか彼女たちが自分にムカついているとは、考えたことがなかった。職場では、冗談を言い合うほど親しいわけでもないが、公輔自身、女子社員に威張って接することはないし、何か頼み事をした時でも、露骨に嫌な顔をされたことはなかったから、確かに舐め回すように彼女たちの体をいやらしい目で見ていることがあることは認めるが、バレてはいないと思っていた。晃穂が続ける。

「とくに今日はいつにもまして様子が怪しかったから、会社を出たおまえを三人で尾行した。そしたら、牛丼を食べた後、なんかいかがわしい店へ入っていった。だから、今夜拉致ろうと決めた。おまえに嗅がせた、気を失わせた薬剤は、千夏の実家が薬局だから簡単に手に入って、ずっと用意してた。ていうか、おまえを監視し始めたのは、一月くらい前に三人で軽く飲んでたときに千夏が『なんかジロジロと見ててキモい』と言ったのがキッカケだけど、実際、それまでは特におまえのことなんか気にしてなかったんだけど、そう千夏に言われて意識して観察し始めてみたら、ほんとに変態丸出しで笑った。おまえはわたしたちが観察していることに、全然気づかなかったけれど」

そこまで晃穂が言うと、舞が左手で公輔の髪を掴んでぐいっと引っ張り上げ、公輔が腰を浮かすと、髪を掴んでいない右手で勢いよく公輔の頬をビンタした。

「どうしようもないクズのマゾで、わたしたちをいつもイヤらしい目で見てたことを認める? 認めるなら、おまえを今から苛めてやる。苛められて感じる糞変態なんだろ? だけど、認めないなら、おまえを会社の上の方にセクハラで訴える。セクハラというか、もう存在自体が悪だ。実際、こういう写真がある。はっきり言ってキモい」

舞が、一枚のL判の写真を水平に手裏剣でも放るように公輔の胸元に投げつけた。公輔はそれを拾い、そこに写っているものを見て言葉を失った。それはいつのまに撮られていたのか、自分が晃穂のゴミ箱を漁ってストッキングを手にしている写真だった。

「それは動画の中の一場面をキャプチャーしてプリントアウトしたものだから、おまえが望むなら一部始終映っている動画を見せてやるわよ。たぶんおまえは気づかなかっただろうけれど、千夏が自分のデスクでカメラをセットしておいたの。勿論、晃穂が伝線しちゃったとおまえに聞こえるように言ってストッキングを捨てたのも、全部計算ずくというか、おまえを釣り上げるための罠」

そう舞が言って高らかに笑うと、続いて晃穂がもう一枚、同じサイズの写真を公輔の前に落とした。

「これもひどい」

公輔はその写真を拾って見た。そこには、コピー機に屈み込んでいる舞の尻を食い入るように見つめながら、机の下でズボンの上からペニスを握っている自分の姿が写っていた。

「完全にセクハラだろ、それ」

晃穂に冷めた口調でそう言われ、公輔は項垂れるように頷いた。

「はい……申し訳ございません」

もう認めるしかなかった。こんな写真が社内でバラまかれたもう終わりだ。言い訳などできない。一社会人として、完全に破滅だ。解雇されても文句は言えない。

「本当に、本当に申し訳ございません。決してもう二度と皆様に対してこういうことはいたしません。誓います。ですから、どうかお許しください。何でもいたします。どうか、どうか内密にお願いいたします」

公輔は額を床に擦り付けて三人に懇願した。その後頭部を舞が踏み、「あのなあ」と言った。

「もう二度としないとか許してくれとか、そんなことはどうでもいい。おまえはアホか? さっきわたしはおまえに何って言った? クズのマゾで、イヤらしい目でいつもわたしたちを見てることを認めるかって訊かなかったか?」

「あ、はい、すいません」

ひれ伏したまま公輔はしどろもどろになりながら言い、認めた。

「ぼくは皆様が仰る通り、変態のマゾです。会社でもいつも変態なことを考えながら皆様のことを見ていましたし、人間の屑でございます。ですから、どうか苛めてください! お願いします!」

目を瞑り、まるで宣言でもするように公輔がそう言うと、晃穂が笑いながら公輔の横腹を軽く蹴った。

「なんか金出して女子高生のパンツとか買ってそうだもんな」

そう言われても、公輔に反論はできない。そんな権利は公輔にない。公輔はお金を出して女子高生のパンツを手に入れたことはないが、そんなことは問題ではない。買っているように見えれば、それだけで充分に変態で軽蔑の対象だから、事実などどうでもいいのだ。続けて千夏が、「彼女とか逆立ちしてもできそうにないし、風俗以外だと、どうせオナりまくってんだろ」と言い、「ていうか、おまえ、趣味とか何かあんの?」と訊いた。

「特にないです」

そう公輔が小声でこたえると、千夏は更に「ぶっちゃけ、週に何回くらいオナってんの?」と訊ねた。公輔は、この期に及んで嘘を吐いたり格好を付けても意味がないので、事実を正直に述べた。

「週に何回というか、ほぼ毎日で……休みの日とか多い日だと一日に三回とかする時もあります……」

三人はそのこたえに大爆笑し、舞が公輔の後頭部をぐりぐりと踏んで言った。

「めちゃくちゃ絶倫だな、おい。ていうかそこまでいくと、もはやオナニーが趣味だろ」

「すみません……」

「よし、じゃあ、大きな声で『ぼくの趣味はオナニーです』って言ってみろ」

「ぼくの趣味はオナニーです!」

公輔は頭を踏まれたまま大声で言った。爆発的な嘲笑が降り注ぎ、全身から汗が噴き出した。勿論、そう口にし、蔑まれ続けていることで、公輔のペニスは限界までそそり立っている。舞が公輔の頭から足を降ろして、命じる。

「おいオナニー帝王、顔上げろ」

「はい」

公輔は恥ずかしくてたまらなかったが、弾かれたように顔を上げて舞の表情を仰いだ。侮蔑の視線が容赦なく注がれ、公輔は極度の緊張状態に陥って体を強張らせながら、瞳に戸惑いと恐怖を滲ませて、怖ず怖ずと落ち着きなく舞の眼を見つめ返したが、すぐに耐えられなくなって、眼を逸らしてしまった。すると、舞は公輔の頬を平手で張った。

「眼を逸らすな」

「申し訳ございません」

怯えきった眼を必死に舞に向けて言った。

「なんか、ほんとにドMって眼だな」

晃穂が言い、千夏が同意する。

「オドオドしちゃってるわりに、チンポはギンギンで笑える」

「だけど、皮被り」

晃穂が笑って付け足した。公輔は俯き、小声で謝罪した。

「申し訳ございません」

「おまえは……」

舞が公輔の髪を掴んでその体を引っ張り上げ、往復ビンタを炸裂させた。化粧映えのする美しい顔に冷酷さが滲み出ている。

「眼を逸らすなと言っただろうが」

公輔は背筋を伸ばし、勇気を振り絞って舞の眼を見つめながら「申し訳ございません!」と言った。上昇を続けている室内の気温と緊張のため、汗が止まらない。

「おまえさ、マゾってことは、SMクラブとか行ってるの?」

千夏が訊き、公輔はちゃんと彼女の顔を見て「はい」とこたえた。

「ふうん。じゃあさ、金払って所謂『調教』を受けてんだろ? どういうことすんの?」

「はい……」

公輔はいったん言葉を切り、唇を舐めてから、続けた。

「縛られたり鞭を打たれたり、おみ足にご奉仕させていただいたり、アナルを犯していただいたり、お聖水をいただいたり……」

「ロウソクは?」

「あ、はい、ロウソクでも責めていただきます」

「てゆうか、お聖水って、おまえ、おしっこ飲んでんの?」

「はい」

「なんていうか、ほんとにおまえ、マゾなんだな」

千夏が憐憫の表情を浮かべ、妙にしみじみとした口調で言った。

「最近マゾって何かと多いイメージだけど、実際にSMクラブとか行ってる本物のマゾが職場にいるんだもんな……」

公輔はどうこたえたらいいのかわからず黙っていた。決してSMクラブが当たり前に普通の場所とは言わないが、もう何年も、いや十年以上いろいろなクラブを経験している公輔にとっては、ボンデージに身を包む女王様とかSMクラブは日常の延長線上に存在する少しだけ異質な現実だが、そういう世界とは縁のない者にとっては、自分の職場にそのような人種が実際にいるとはなかなか想像がつかないだろう。大の大人の男が女性に跪き、縛られるとか鞭で打たれるとか、そんな光景は漫画の中の世界のように感じるのかもしれない。公輔自身、たとえば同じ職場にいる男性社員で、自分と同じようにSMクラブへ通っている人間がいるとは思えないし、実際にいたら吃驚してしまう気がする。

そんなことを漠然と思っていると、晃穂がいったん部屋を出ていき、すぐに戻ってきた。その手には大きなトートバッグが提げられていて、舞が公輔を見下ろしながらバッグの中へ手を突っ込み、言った。

「わたしたちは女王様じゃないから、苛めるといってもSMプレイの道具なんて持ってない。だけど、これなんか、どう? 本物の犬用だけど」

舞はトートバッグから手を抜いた。すると、その手には赤い革の首輪が握られていた。細いチェーンのリードも付いている。晃穂がバッグの中に手を突っ込んで言う。

「あと、鞭とかも当然持ってないから、これで代用」

再び出現した手には、長い革のベルトが持たれていた。舞が、公輔の首に首輪をつけてリードを持って、試しにぐいっと持ち上げた。公輔は腰を浮かせた。晃穂がそんな公輔の背中をベルトで打ち据え、命じた。

「チンチンしてみろ」

「はい」

公輔は両手を胸の辺りまで持ち上げ掌を下に向けて垂らすと、その手を小刻みに上下に揺らした。

「ついでに、そのゾウの鼻みたいなチンポも振れ」

千夏が公輔の尻を蹴った。公輔は「はい!」とこたえ、チンチンの体勢で掌は垂らしたまま腰を前後に振った。その動きに合わせて、勃起したペニスも弾むように揺れた。

「すごい格好だな、おまえ」

リードを持つ舞が公輔を見下ろして嘲笑した。公輔の目の前に、黒いストッキングに包まれた舞の肉感的な脚が迫っていて、ちょうど目線は腰の高さだった。つまり、ほんの少し顔を前へと突き出せば、そこには舞の股間があるのだった。公輔は悶々とした。両手を伸ばしてすぐ目の前にある舞の柔らかい尻にたまらなく抱きつきたかった。そしてそのまま、ずりずりと上下し、魅惑的な脚のラインにも酔い痴れたかった。そうやって太腿の感触に溺れた後、スカートの中へ顔を侵入させ、股間に鼻先を埋めたかった。

「ああ、ま、舞さまー」

ついにそう公輔は叫ぶと、腰を激しくくねらせた。その様子を見て、三人は爆笑した。晃穂が、そんな公輔の背中をベルトで打った。パシッと乾いた音がして、公輔はその痛みに背中を反らしてしまった。

「なに盛ってんだよ、おまえ。しかも、何気に「さま」付けかよ」

舞が笑いながらストッキングの脚を公輔に突きつけ、脛あたりで公輔のペニスに触れ、気まぐれにすりすりとその脚を動かした。同時に、鞭代わりのベルトも背中や尻に振り下ろされる。そのまさにアメと鞭によって、公輔の理性のタガは完全に外れた。

「ああ、舞さまー」

公輔の自制心が崩壊した。公輔は目の前に突きつけられた舞の太腿に抱きつくと、その脛あたりにペニスを押し付け、破廉恥に腰を振った。

「おまえ、盛りのついた犬か」

大笑いしながら舞は更にぐいぐいと脚を公輔に突きつけ、リードを上へ引っ張った。

「申し訳ございません……ぼ、ぼくは犬です……」

公輔は舞の太腿に抱きついてその内側部分にうっとりしながら頬擦りし、両手で舞の臀部を包み込むと、真正面から股間に顔を押し付けて鼻先を埋めた。尻を抱きながら、自分でぐいぐいと顔を股間に押し込んでいく。ナイロンのストッキングと下着の感触の奥から噎せ返るような濃厚な女の香りが漂っている。公輔は我を忘れてその芳香に陶酔しながら、脚にペニスを擦り付けて昂っていく。

「ほんとにすげえな、おまえ。そんなに脚が好きか?」

晃穂が心底から呆れるように言い、舞の股間に埋もれている公輔の顔を、横から自分の脚を押し付けて圧した。公輔は舞と晃穂のふたりの脚の肉感に挟まれて、昇天寸前だった。

「ああああ、晃穂さまのおみ脚も素晴らしいですー」

そう言って、公輔は晃穂の脚に抱きついた。何度も執拗にストッキングの感触を確かめるように掌を太腿の裏側から正面へ撫で回し、鼻先や頬を脚に擦り付けた。ドサクサに紛れるようにスカートの中に顔を突っ込ませ、大胆にその部分の匂いを嗅ぐ。

「おまえ、いつも仕事中とか、こういうことがしたいと考えてんの?」

千夏が訊き、もう何も気取る必要もない公輔は「はい」と認め、付け加えた。

「こういうことだけではありません。ムレムレの足の臭いを嗅ぎたいとかも考えています」

「ふうん」

千夏がおもむろにブーツを脱ぎ、公輔の顔を踏むように、そのストッキングに包まれた爪先を鼻に押し付けた。

「こうか?」

「はい!」

公輔は腰を浮かしながら貪欲にその匂いを嗅いだ。両手で大事そうに千夏の足を持ち、足の指の付け根の柔らかい部分に鼻先を押し付けて、猛然と香気を吸い込んだ。千夏のストッキングの足先は蒸れていて、湿っていた。

「おまえ、そんなに足の臭いが好きか。だったら這いつくばって、ずっと嗅いでろ」

笑いながら舞がパンプスを脱ぎ、晃穂も同じように脱いだ。いったん千夏も公輔の顔から足を床に降ろした。六個の足が、整然と並んだ。舞が挑発するように爪先をくねくねと動かした。公輔は「失礼します!」と叫ぶと、四つん這いのまま肘を床につき、尻を高く上げて鼻先を舞の足の指先に宛てがった。黒いストッキング越しに、爪に塗られた赤いペディキュアが透けて見えた。暖かく芳ばしい臭気が立ち昇っている。三人とも、完全に足は蒸れていた。ストッキングの爪先は湿り、狂おしいほど匂い立っている。公輔は縦横無尽に顔を移動させながら、様々な角度から三人の足の臭いを堪能した。床と指の腹の狭い間に強引に鼻先を押し込んだり、顔の右半分を舞の足の指の裏、左半分を晃穂の足の指の裏で被われるようにしながら、微妙に異なる甘いフレーバーの違いを味わった。立っている三人の美しい女性たちの足元で、首輪を装着してリードを持たれながら、四つん這いになって延々と足の臭いを嗅いでいるその公輔の姿は、まさに犬だった。

そんな公輔のペニスは完全に勃起している。そして、公輔はたまらなく自慰をしたかった。切実に、この美しい女性たちの前でオナニーをして射精したい、と思った。だから、ついに心を決めてふと顔を上げると、まず舞を見上げ、続いて晃穂や千夏の顔も見て、言った。

「お願いします、どうか、どうかオナニーさせてください」

公輔は体を起こして膝で立ち、ペニスを突き出しながら、必死に哀願した。既に汗塗れだ。三人は顔を見合わせた。舞が「この糞変態、オナニーしたいんだってよ」と嘲笑った。

「なんか、すごく哀れ」

晃穂が公輔を見て言い、千夏が「ほんと哀れ」と同意した。

「オナニーってさ、ふつう別に誰の許可もいらないわよね。ていうか、ひとりでこっそりとするもので、人に許可貰うとか、そもそもその姿を見せるとか、頭がおかしいとしか思えない」

「でもまあこいつは糞変態のドMだから」

舞が笑い、晃穂と千夏も呆れたように「常識とか関係ないか」と言った。そして舞がリードを引っ張り上げ、それに合わせて公輔が顔を起こすと、その頬に強烈なビンタを張った。

「したければ、しろ」

「ありがとうございます!」

爛々と眼を輝かせて公輔は謝意を述べ、三人の女性が並んで見下ろす中、猛然と扱き始めた。リードは舞の手の中にあり、公輔の行為には三人の視線が注がれている。

「ちゃんとわたしたちの顔を見て扱け」

晃穂が公輔にビンタをし、公輔は「はい!」と声を張り上げて凛然と顔を上げた。しかしその眼はオドオドしている。人としてのプライドなどもはや欠片もない。

「犬なら犬らしく、唇を忙しなくペロペロ舐めながらオナれよ」

千夏に命じられ、公輔は「はい!」とこたえると、命じられた通りに舌をチロチロと出して唇を舐めながら、そしてもちろん三人の女性たちを眩しげに仰ぎ見ながら、激しくペニスを扱いた。はあはあはあはあと息を荒げ、腰を小刻みに震わせる。だんだん射精の瞬間が近づいてきて、公輔の手のスピードが加速していく。尻の肉がビクビクと引き攣った。公輔は下半身を硬直させ、そのまま放出させた。

「ああああ」

ドクドクと脈打つように、包茎のペニスの先、狭まった皮の隙間から濃厚な白濁液が噴出した。余った皮のせいで、それは決して勢いよく飛びはしなかった。ただ、絞るように執拗に公輔が手を動かすと、ドロドロとまるでマグマのようにペニスの先から溢れ続けた。

「なんか汚くて醜い射精だな」

顔を顰め、唇を歪めて嫌悪感を露にしながら舞が吐き捨てた。公輔は昂った意識が沈静化していくのを自覚しながら「すいません」と項垂れ、乱れた呼吸を整えようと大きく深呼吸した。汗が止まらない。ペニスから離した手には、べっとりと精液が付着していた。舞が「なに休んでんだ?」と言って公輔の頬にビンタを張り、精液に塗れているその手を、顎をしゃくって示した。

「ちゃんと自分で出したもんは自分で舐めろ」

「はい……」

公輔は精液に塗れてべとつく自分の手をゆっくりと顔の前まで持ち上げた。掌や指先にネバネバとした濁った液がべったりと付着している。舞と晃穂と千夏は、じっと公輔を見下ろしている。公輔はその視線を痛いほど感じながら、更に掌を顔に近づけた。そんな公輔の首輪に繋がるリードを舞がくいっと引いた。

「ちゃんとわたしたちの眼を見ながら舐めろ」

「はい!」

公輔は自分自身を奮い立たせるようにそう言うと、冷めた眼で見下ろしている晃穂、千夏、舞、と順番に仰ぎ見て、ぺろりと舌を長く出すと、彼女たちを見上げながら自分の精液を舐めとった。

車は雨の中を走り続けている。公輔はSUVのバックシートで全裸のまま、目隠しをされて座っている。だから、どこをどう走っているのかはまるでわからない。それでも、先ほど車は高速に入った。ETCの音で、それだけはわかった。

射精をして自分の精液を自分で舐めとった後、舞が宣告した。

「ここでの出来事はすべて録画されている。だから一切口外はしないこと。わたしたちにも彼氏とかいるし、会社では絶対にこれまで通りふつうに過ごすこと。わたしたちに対して馴れ馴れしい態度をとってはいけないし、わたしたちがおまえを苛めたいと思った時は、わたしたちの方からおまえに言うから、おまえからは決して何もしないこと。もしひとつでも、わたしたちにとって気に入らないことがあったら、今夜の動画はもちろんのこと、おまえが変態であることがわかる全部のデジタルデータをばらまく。わかったわね」

三人に見下ろされながらそう言われ、むろん公輔に異存などあるはずもなく「わかりました」とこたえた。そしてその後、目隠しをされ、車に乗せられた。

車内にBGMは流れていない。そのため路面の水を切るように続くロードノイズと雨の音がくぐもって聞こえている。

やがて目隠しが外された。公輔の隣に座っていた舞が無言のままそれを外した。公輔は暗い車内で何度となく眼を瞬かせた。黒いフィルムが貼られた、濡れる窓の外を何気なく見やると、夜の高速に交通量は疎らだった。ステアリングを握っているのは晃穂で、助手席に千夏がいるが、誰も一言も発しない。

車は時速百キロ程度で走行している。周囲は真っ暗だ。オレンジ色のナトリウム灯すらない。そんな暗い雨の夜を窓越しに黙って見つめていると、なぜか不自然に車の速度が落ちた。車はそのまま本線を離れ、高速バスの停留所へと入っていく。そしてそのスペースの端で停車すると、運転席の晃穂がドアのロックを解放し、舞が公輔の前に体を伸ばしてレバーを引き、ドアを開けた。いきなり雨の音が激しく響く。

「降りろ」

舞は短く言い、公輔の体を思いっきり突き飛ばした。公輔は為す術もなくそのまま車の外へ放り出された。雨で濡れるコンクリートの地面に、公輔は不様に転がった。少し遅れて、半透明のゴミ袋がどさっと落とされた。その中には脱いだ公輔の衣服が入っていて、舞が投げたのだった。

車のドアが閉まり、発車し、加速していく。そして車はあっという間に本線の流れに合流し、見えなくなった。ナンバープレートを確認する時間もその余裕もなかった。

公輔は全身を雨に濡らしながら立ち、衣服が入っているゴミ袋を拾い上げた。その中には、シャツもスーツも靴も、鞄も携帯電話も折り畳み傘も、何もかも一緒に放り込まれている。

冷たい雨が降り続いている。高速の本線を、盛大に白い水飛沫を撥ね上げながら車が流れていく。時刻はわからない。そもそもここがどこなのかもわからない。しかし、いずれにせよ、バスは朝まで来ないだろう。この雨も、上がりそうにない。上がらないどころか、これ以上に冷え込んだら、雪に変わるかもしれない。

公輔はそんなことをぼんやりと思いながらゴミ袋を持ち、ひとまず、雨をしのぐことのできる屋根の下へ向かった。ずっとこんな冬の雨に打たれ続けていたら風邪をひいてしまう。そう思った。俯き加減で、裸足のまま、濡れるコンクリートの地面を歩いていく。屋根の下にベンチの置かれているバス停が、やけに遠く感じた。寒い。歯がガチガチと鳴った。体が自分の意志とは関係なく小刻みに震えた。自分がいま幸福なのか不幸なのか、公輔にはよくわからなかった。股間では完全に縮み上がった包茎のペニスがぶらぶら揺れている。

本線を流れる車のヘッドライトが、ほんの一瞬だけ、背中を丸めて歩く公輔の姿を照らした。

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