天誅

ペニスが天を衝いている。亀頭の下に細い革の紐がぐるぐるに巻いてあり、それをコジマミユキはベッドに座って煙草を吸いながら引っ張り、ケラケラと笑っている。紐を引っ張られている男は三十代半ばの冴えないサラリーマンだった。醜く肥えた裸を恥ずかしげもなく晒している。回転ベッドの上には、男の脱いだ背広や下着が散乱している。

コジマミユキは十七歳で、高校は二年になってすぐ辞めた。いまはフリーターで、週に五日ほど地元のビデオ店でバイトをしている。このサラリーマンは、店によく来る常連だ。名前は忘れた。べつに知りたくもないし、知る必要もない。いつもアダルトビデオを飽きもせずに借りていく。それも極度のSM嗜好で、その手のビデオ専門だ。しかもMらしく、借りていくのは女王様モノと決まっている。男はビデオをカウンターに出すとき、常にオドオドとしているからミユキの記憶には残っていたが、興味など全然湧かなかった。ただ「ウザいオヤジだ」とは思った。なんといっても目がイヤらしい。探るような視線を投げてくるのだが、三十過ぎのオヤジのくせに、態度に威厳が全くないのだ。はっきりいえば、マゾのオーラみたいなものを全身から発散させながら相手の反応を楽しんでいるような感じで、いかにも今時のギャルといった雰囲気を持つコジマミユキに苛めてもらいたいとい思惑が見え見えだった。

今夜、男と会ったのは、十時にバイトを終えて店から出てきたときだった。従業員用の裏口から出てくると、電柱の陰に男が立っていた。目を凝らすと、男は暗がりでズボンのチャックを下ろして性器を露出し、シゴいていた。ミユキは訝しんで立ち止まった。よく店に来るオヤジだとはすぐにわかった。眉を顰め、男を睨む。鼠色の背広が貧相だった。向かい合って立つと、168センチの身長に加えて白い厚底のスニーカーを履いているミユキに対し、男の背は162、3センチに過ぎなかったので、自然と見下ろす格好になった。

「何やってんだよ」

もうバイト中ではないので、ミユキの言葉遣いは遠慮のないものだった。

「あのう……ぼ、僕……」

男は直立不動で吃りながら、怖ず怖ずと言った。緊張しているのか、肩が小刻みに震えていた。ミユキは腕を組んで冷ややかな目で男を見据えた。

「キモいんだよ、オヤジ。何か用かよ」

金髪が夜風にそよいでいた。ミユキは体にピッタリと張り付いた水色のワンピースを着ていて、それは浅黒い肌によく映えていた。背中にリュックを背負っていて、闇に浮かぶ白いリップの唇は、まるで夜桜の花びらのように美しかった。男が、露出した性器を握りながら俯き加減で言った。

「あのう……ずっと憧れていました。ぼ、僕を苛めてくださいませんか? もちろんお金は払います……どうか、お願いします」

ミユキは唇を歪めて、フンと鼻で笑った。そんな表情が余計に男のマゾ心を刺激したのか、男は更に頭を下げて懇願した。既に手は止まっていたが、性器は露出したままで、それは反り返っていた。

「お願いします、ミユキ様」

「なんでお前、私の名前を知っているのよ」

「名札で……」

「ふーん」

男は地面に視線を落としていた。ミユキは男に近づき、安物の革靴の甲をスニーカーの底で踏むと、男の顎に手を掛けてぐいっと前を向かせた。そして口の中に溜まっていた唾を勢いよく男の顔に吐きかけた。

「じゃあ三万で苛めてやるわ。でも私、お前みたいな奴を苛めることに興味はあるけど実際にやったことはないから、道具とか何も持ってないけど?」

そう言うと、男は顔に唾を付けたまま手に持っていた鞄を掲げて見せた。

「大丈夫です。道具はここに持っていますし、やり方といっても、ただ普通に僕の格好とか行動とかを見て馬鹿にしていただければそれでいいですし」

ミユキが男の誘いに乗ったことにたいした理由はなかった。なにより暇だったし、男は見ているだけで充分ムカつくタイプで、それを殴ったり蹴ったりできて、しかも小遣いが稼げるなんて、ラッキー以外の何物でもないと思ったのだ。

話が纏まったので、ミユキは男と近くのラブホテルへ行った。部屋を選んだのはミユキだったが、チャージは当然男が支払った。ホテルの部屋に入るまで、ほとんど無言だった。ミユキが少し先を歩き、その後を男がついてきた。

部屋に入ると男はすぐに裸になり、嬉々としながら鞄から道具類を出してテーブルに並べ始めた。ミユキはソファに座って煙草を吸いながら、男が次々に道具を出していくのを見ていた。しかも、もう既に男のペニスはギンギンに固くなっていて、その目はギラギラと血走っていた。

鞭、ロープ、革紐、ローション、バイブレーター、首輪、鎖、そしてなぜかガムテープ……男の鞄からは次々にいろいろなものが出てきた。まるでドラえもんの四次元ポケットみたいだ、とミユキは思った。しかしふつうのドラえもんではない。相当精神が歪んだ、変態のドラえもんだ。

男の並べていく道具の中にはSMの雑誌もあった。ミユキは何気なくその一冊を手に取ってページをめくっていった。それは信じられないグラビアのオンパレードだった。おしっことか唾とか女性の体液を飲む男たち。もちろんモザイクが掛けられていたが、縛られ、鞭を打たれている男の子間で尚も屹立している性器。ミユキはこんなことで喜ぶマゾという人種に対して、ほとほと呆れたし、世の中にこういうことに喜びを覚える人種がいるということ自体いまいち信じられず、そして心底から驚いた。グラビアには女の足の匂いを嗅いで陶酔している男の姿も収められていたが、足の臭いを嗅いで興奮する男がこの世に存在するなんて、俄には信じられなかった。しかも、グラビアの中の全裸の男は匂いを嗅ぐだけではなく、その足の指を口に含んで舐めていた。それは、とてもマトモ人間のすることとは思えなかった。他にも、男たちは様々な姿を晒していた。頭にパンツを被ってセンズリしている男もいたし、尻の穴にバイブを咥え込んでヨガっている男もいた。だいたいが、目の前のこの男がやっていることも、よく考えればかなり異常だった。十七歳の女の子は服を着てベッドに足を組んで座って煙草を吹かしているのに、三十代のオヤジは全裸でしかも床に跪いていて、自分を痛めつけるための道具を喜んで用意しているのだ。

男は道具をすべて並べ終えると、SM雑誌を読んでいるミユキの足下までやってきて、改めて正座をした。そして、すぐ数センチの距離にあるミユキの足をじっと見つめている。そして、とうとう耐えきれなくなったのか、そっと手を伸ばしてきて、両手でミユキの脹ら脛の辺りを包み込むように触った。

「ああミユキ様ー」

男はうっとりした顔でミユキの足をさすり、そして頬擦りをしようと屈み込み始めた。ミユキは真剣にムカつき、ほとんど条件反射のように男を蹴り飛ばした。

「てめえ、キモいんだよ!」

そう吐き捨て、咄嗟にミユキはテーブルの上のいちばん近くにあった鞭を手に取ると、それで矢鱈めったら男の背中を打ち据えた。鞭は短い乗馬用の物で、先端がヘラのようになっていて、男の背中に振り下ろすとピシっと小気味の良い音がして、ミユキはたちまち夢中になった。男を鞭打つことがこんなに楽しいとは思わなかった。快感だった。ミユキは無様に体を丸めてその背中で鞭を受けている無抵抗の男を蹴り、仰け反ったところでノーガードになった男の性器を踏みつけ、さらに何度も激しく鞭を打ち据えた。男は、自分よりはるかに年下の女の子に向かってひたすら「すみません、すみません」とまるで呪文を呟くように詫びながら額を床に擦り付け、しかし抵抗する素振りは全く見せずに鞭と蹴りを受け続けていた。

ミユキは楽しさのあまり思わず立ち上がると、男を蹴散らすように勢いよく足を振り上げ、その甲で男の顎を抉った。男はそのまま仰向けで後方へ吹っ飛び、体勢を立て直すと、ミユキの足から逃れるように四つん這いのまま床を移動し始めた。ミユキは笑いながらその男を追い、蹴飛ばし、鞭を背中に打った。締まりのない男の腹を蹴り上げると、男は跳ねるようにもんどり打って倒れ、蹲り、更に執拗にミユキが後頭部を踏んだり、無防備に開陳されている股間を足の甲で蹴っ飛ばすと、男はよろよろと逃げた。そんな床を這いずり回る男の姿はユーモラスで、その仕草はいちいち滑稽だった。自分の倍近くの年数を生きている男が今、素っ裸で四つん這いになりながら逃げている……そう思うとミユキは面白くてたまらなかった。

男はやがて逃げることに疲れたのか、息を弾ませながらミユキの足下で小さくなって土下座をすると、両手をハの字に揃えて床につき、その小さな三角形の中へ額を擦り付けながら何度も「お願いします、どうか、どうかミユキ様の足の匂いを嗅がせてください」と懇願した。その姿はとても哀れだった。とてもではないが大人の男が他人に見せる姿とは思えなかった。しかし、男があまりに真剣な調子で哀願し、縋るような情けない目で見上げてくるので、じきにミユキは「ま、いいか」と思い、再びベッドに座り、スニーカーを脱いで靴下は履いたまま、その自分でもじっとりと湿っていることがわかる足の裏を男の顔に押し付けた。昼の十二時からこの時間までずっとスニーカーを履きっ放しだったから当然蒸れていて、相当臭い筈だったが、男が自ら望んでいるのだからべつにどうでもいいや、と思った。そしてその爪先を男の顔のちょうど鼻の下に押し付けながら、靴下の中は酷いことになっているに違いない、とミユキは苦笑しそうになった。自分でも足の指の間に湿り気が感じられるし、だいたいこんな日は、たとえばカレシとエッチをするような場合、絶対にシャワーを浴びてからでないと恥ずかしいのだが、この程度の変態相手にそこまで気を遣う必要もないだろう、という感じだった。

「ありがとうございます」

男は半眼になりながら陶酔したように言い、両手でミユキの踵を支え、自分から進んでその足の裏に顔を押し付け、鼻先を足の指の付け根に埋めてクンクンと大袈裟に臭いを嗅いでいた。

「いい臭いでしょ?」

含み笑いを漏らすように茶化してミユキがそう言うと、男は恍惚の表情のまま「はい」と頷いた。その男の股間の性器は、いまや完全にそそり立っている。

「お前、本当に変態だね。こんな臭い足の匂いを嗅いで興奮するなんて」

ミユキは思いっきり馬鹿にしながらせせら笑った。男はどこかに羞恥心を忘れてきたみたいで、本能を剥き出しというか、その歪んだ妄念にとても忠実に行動しているように見えて仕方なかった。なんて醜い姿なのだろう、とミユキは男の顔に足の裏を押しつけながら、改めて冷ややかにその男の姿を見下ろし、心の中で溜め息を吐いた。男はミユキの足を持ち、ひたすらその足の裏の指の付け根に鼻先を押し込みひたすら臭いを嗅ぎ続けている。それはまるで壊れた掃除機みたいに必死な吸引だった。やがて、男はつと顔を前に向け、足の匂いは嗅いだままミユキを見上げた。

「ミユキ様、どうか僕のチンポを縛ってください」

男はそう言うと、テーブルの上の細い革紐を手に取り、ミユキに差し出した。ミユキは面白そうだったので、それを受け取ると、「じゃあチンポ差し出せよ」と命じて男の頬をビンタした。すると男は「すみません」と謝った後、まるで犬がチンチンをするみたいに膝で立ち、腰を前に出して完璧に勃起している性器を突き出した。

「お願いします」

ただ、ミユキはそう言われても、楽しそうだとは思ったが縛り方がまるでわからず、仕方ないので適当に革紐ぐるぐると亀頭の下に巻き付けると、その紐の端を持ってくいっくいっと引っ張ってみた。その動きに合わせて男の下半身も揺れ、半開きになっている男の口から切なげな喘ぎ声が漏れた。

「ああミユキ様〜、もっ、もっと……」

男は悶え、腰を捩った。その仕草にミユキは爆笑した。

「おめえ超おもしれえ! 最高、ってかグー。ほらほら変態糞オヤジ、もっとヨガれよ、気持ちいいんだろ?」

紐を引っ張りながらミユキは、この男がカレシと同じ性別の人種だとは信じられない気持ちだった。カレシは私立大学に通っていて車も外車だし、セックスも上手い。間違っても足の臭いを嗅いで盛ったりしないし、そんなことで喜ぶことなどありえない。見た目はメッシュの入ったロンゲでサーファーだし、クラブでも顔だ。それに比べて、この男の情けないことといったらなかった。一回り以上も年下の女の子の前で自分だけ平気で裸になって性器を晒し、足の臭いを嗅いで喜び、しかも挙げ句の果てにはチンポに紐を巻かれ、それを引っ張られてヨガりまくっている。最低だ。ミユキは空いているいるほうの足を男の股間の下へ潜り込ませ、その甲で男の陰嚢を軽く何度も蹴った。

「ほらほら変態、気持ちいいか?」

「は、は、はい……気持ちいいです」

男は性器を紐で引っ張られながらハアハアと荒い息を吐き、腰を小さく忙しなく前後に振っていた。ミユキはそんな男の破廉恥な姿態を見下ろしながら、いつものカレシとのセックスとは異質の興奮を覚えていた。カレシとのセックスは、フェラやクンニくらいがせいぜいで、それ以上アブノーマルなことはしない。「チンポ」なんて言葉を口に出して言うこともないし、足下に跪かせるなんてことも絶対にしない。もちろん蒸れた足を男の顔に押し付けることもないし、こんな風に相手を弄んだ経験などただの一度もなかった。

「ねえ、ここにある首輪を着けてやろうか? 私の犬になりたくない?」

ミユキは首輪を持ち、鎖を繋げながら訊いた。男はその言葉に目を輝かせて何度も大きく頷いた。

「なりたいです!」

「それじゃ、自分で着けなさい」

ミユキは首輪を男に投げた。男はそれをキャッチすると、自分で首に巻き、鎖の端をミユキに手渡した。

「ああ本当に首輪を巻いちゃって……いい歳して犬だって、バッカじゃね」

ミユキは首輪の鎖とペニスに括りつけた紐を同時に引っ張って笑い、男の息でさらに蒸れてしまったように感じられる靴下を脱ぐと、それを男の鼻先に持っていった。

「おまえ、犬なら飼い主の臭いを覚えなくちゃねえ。忘れるんじゃないわよ」

きちんと正座をしている男の顔の前で靴下をブラブラさせた。すると男はクンクンと鼻を鳴らしてその靴下の匂いを嗅いだ。全くよくやるよ、このオヤジ……ミユキは内心で呆れ果てながら冷ややかに男を見下ろした。男は一心不乱に匂いを嗅いでいた。じきに、そうしながらも男の視線がいつのまにか自分の足の指に注がれている事にミユキは気づいた。

「何見てんだよ」

足の爪には水色のペディキュアが塗ってあった。その指が、蒸れているせいかピンクに上気していた。男は靴下の爪先の匂いを嗅ぎながらも、その指先をじっと凝視し、そして何度も生唾をごくりと飲み込んでいた。舐めたくてたまらない様子が手に取るように分かった。ミユキは首輪の鎖とペニスに巻いた紐を同時に引っ張り、男の目を真正面から覗き込んだ。

「何? これが舐めたいの?」

軽く足を男の顔の近くまで持ち上げて思わせぶりにモゾモゾと指を動かしてみせた。すると男は悶々とするように腰をモジモジとさせながらその指先を食い入るように見つめ、そしてしきりに唇を舐めた。

「お願いしますミユキ様。おみ足にご奉仕させてください!」

男は泣きそうな顔で哀願した。ミユキはせせら笑うように唇を歪めて男を軽蔑の目で見ながら、おもむろに足を伸ばし、男の鼻の穴にその足の指を突っ込み、吊り上げるように鼻をフックし、そのままぐいっと圧した。

「うわっ、ひでえ顔。不細工な顔がもっと酷くなってる。キャハハハハハ。っていうかおまえ、こんな事されて自分が情けなくねえの?」

男は屈辱の極地にいるはずなのに、なぜかとても幸福そうな顔をしていた。男は豚のような鼻のまま、僅かに腰を浮かしていた。もちろんペニスは完全に屹立している。

ミユキはいったん足を下ろし、ロープを持つと、それで男の上半身を拘束した。といっても正式な縛り方なんて全く知らなかったので、適当に体と腕を一緒に力一杯ぐるぐる巻きにした。ロープの長さが余ったので、ついでに足も足首で縛った。腕と足を縛られた男は、まるでボンレスハムみたいだつた。

「めっちゃ変態な姿だな、おまえ」

笑いながらミユキは男の胸を蹴飛ばした。すると男は為す術もなくそのまま後方へと転がった。一回転して止まったが、腕も足もきつく縛られているため簡単には起き上がれないようで、男は仰向けに倒れて必死にもがいていた。無防備に晒された股間が卑猥だった。シワシワの玉袋と茎の裏側、そして毛むくじゃらの尻の穴が丸見えだった。ミユキはすかさず電動のバイブを手に取ると、スイッチを入れ、それをコンドームも被せないまま、男の尻の穴に唾を吐いてからいきなり突っ込んだ。

「ギャー」

男の絶叫が室内に響き渡った。しかし泣こうが喚こうがラブホテルの防音は完璧なので、全く問題なかった。ミユキはサディスティックな微笑みを浮かべると、男の反応を無視してグリグリとバイブを押し込み、掻き回した。

「おまえスゲー格好だよ、最低ー」

ミユキは男をチングリ返しの体勢に保つために足首を顔の方へ押さえながら位置を移動し、その押さえ込んだ部分を跨ぐと、そのまま腰を落とした。そして男の顔に座り、さらに膝の裏側で男の足を押さえ込んだ。足首は縛ってあったが、膝は自由だったので、男の足は中途半端に開き気味となり、尻の穴と性器を隠す事は不可能だった。男は腰を床から浮かして背中の一点を視点にして体を丸め、抑え込まれながら、ほとんどまともに身動きが取れなくなった。尻の穴に突き刺さるバイブが垂直に立って卑猥に蠢いていた。ミユキはその体勢のまま男の拡げられた尻の穴周辺に大量に唾を垂らすと、バイブの柄を握って更に押し込み、まるで擂り粉木を回すようにグリグリと穴を穿った。見る間に穴の周囲の筋が弛んでいき、やがてズボズボとバイブは埋まっていった。皺の寄った男の尻の穴は唾に塗れてピンク色に光っていた。その周辺までびっしりと密生している陰毛も唾で艶やかだった。よく考えたら、尻の穴をこんなに間近でマジマジと眺めるなんて生まれて初めてだな、とミユキは思った。そして男はミユキの尻の下で喘ぎ、悶えていた。快感なのか、苦痛なのか、ミユキには理解できなかった。男は腰を蠢かせながら尻の穴を収縮させ続け、その動きに連動してバイブが引き込まれたり押し返されたりしていた。

「おまえ、こうやって犯されて嬉しいんだろ?」

「はい」

男はミユキの尻の下でくぐもった声を漏らした。勃起が尋常ではなかった。黒い陶器の置き物みたいなペニスが股間でそそり立っている。その先端を指で弾くと、男の体がビクンと跳ねた。

「ミユキ様、シゴいてください、お願いします」

「ヤだよ、こんな汚いモノ触りたくもないし。つうか何コレ、キモ」

ミユキは大袈裟に拒否しながら触る代わりに大量に唾を垂らした。ペニスが唾を浴びて黒光りした。その先端からは透明な液が溢れ続けていて、それが唾と混じって男の腹へと糸を引いた。下着越しに男の生暖かく荒い息が伝わってきて、ミユキはあまりの気色悪さに尻を上げた。

「息をかけるな、変態」

「すみません……でもあまりにいい匂いなんで……お願いします、もっとパンティの香りを嗅がせてください」

「うるせえよ、おまえみたいな変態糞オヤジは靴下の匂いで充分なんだよ、バカ」

ミユキは腰を上げ、男の髪を掴んで強引に起き上がらせて正座をさせると、さっき脱いだ靴下を拾って適当に丸めて男の口の中に押し込み、そしてそれが出てこないようにガムテープをぐるぐるに巻いて固定した。

「フンガフンフン、フフンガフンフガ」

男はもがいた。しかし完全にガムテープで口元を塞いでいるので、何を言っているのかは全く分からなかった。ミユキはまたベッドに腰掛け、男を蹴っ飛ばして遊んだ。私は好きなように苛めているのだから楽しいけれど、この男はこんな事をされていったい何が楽しいのだろう、とミユキは思った。それにしても酷い格好だ。壁の大きな鏡に、別の角度からの男の姿が映っていた。性器の勃起が卑猥だった。赤いロープとガムテープで拘束されたボンレスハムのような醜い体の中で、その性器だけが別の生物みたいだった。その茎には逞しい生命力が漲っていて、動機と理由はどうかと思うが、こんなにも猛々しいペニスにはそうそうお目にかかれないな、とミユキは心の中で苦笑した。太くて固そうで大きく、この男は確かに最低な人間だったが、勃起だけならカレシよりレベルが上だった。カレシとは、会えばたいていセックスをするが、ここまで動物的な態度は示さないし、あくまでも人間対人間の性交だ。しかしこの男は違った。まるっきり動物だった。理性とは無縁で、節度ある人間の行動とは思えない。しかし考えてみれば人間も動物の一種なのだから、もしかしたらこの男もそんなに間違ってはいないのかもしれなかった。

しかし、いやそんなことはない、とミユキはすぐに否定した。欲望をコントロールするからこそ人間なのだ。人間から知性と理性を取ったら猿になってしまう。この男は、それらを放棄しているのだから、猿だ。

見ると、いつのまにか男は、盛んにもがいたせいで少し弛んでしまったロープを中途半端に体に巻き付けたまま性器を握り、しきりにシゴきあげていた。ペニスに巻いてあった革紐は取れてしまっていた。しかし、まだ完全にロープが解けてしまったわけではないので、男はとても窮屈そうだった。

それにしてもおぞましい姿だった。男は口に靴下を詰め込まれたまま正座の体勢から腰を浮かして無我夢中で手を動かしていた。とても直視には堪えなかったが、ミユキは興味深く男の行為を見つめてしまった。男の自慰姿を見るのは初めてだった。カレシのその姿だって、さすがに見たことが無かった。そもそもオナニーなんて他人に見せるものでもないだろうし、その姿は非常にユーモラスで、見れば見るほどコミカルで、おかしさが込み上げてきて仕方なかった。ミユキはふと、カレシもこんな風にひとりでしているのかな? と思った。

「しかしおまえ、マジで最低だな」

ミユキは思いっきり男の頬にビンタを張り、わざと下着が見えるようにがばっと足を開いて男を挑発してみた。すると男は見事に発情し、強引に前屈みになると、決して届きはしないのにミユキの股間に顔を近づけ、必死にその部分の匂いを嗅ごうとした。しかしミユキは、足の裏で男の顔を踏んでその動き押し止め、高らかに笑った。男のねっとりとした視線が股間に注がれているのをひしひしと感じた。それにしても、こんなに女の股間に執着を見せる男というのも珍しかった。ローティーンの童貞ならともかく、こいつは三十過ぎの大人だ。そんないい歳をした男がなぜこのような行動を取るのか、ミユキはさっぱり理解できなかった。できることなら、この男の頭の中を覗いてみたい、と思った。カレシもセックスのときは女の最も敏感な部分を触ったり、たまには舐めてくれたりするが、ここまで露骨には求めてこないし、男の欲望はあまりに赤裸裸すぎで、それゆえに滑稽だったが、リアルだった。

男はひたすらシゴき続けていた。だんだん腰が浮き上がり、手の動きも早まってきた。どうやら、そろそろリミットが近そうだった。

と、唐突に男が射精した。ピュッピュッという感じで妙に軽やかに精液が飛んだ。それを見た瞬間、精子ってこんな風に飛ぶんだ、とミユキは感心してしまった。まさに「射つ」+「精子」=「射精」だった。

「フンガフガフガフンフンガ」

男は何か言おうとしていたが、口には靴下が押し込まれているため、何を言っているのかわからなかった。ミユキは、弛んでしまったロープをきつく巻き直してから、男の口元のガムテープを剥がし、口の中の靴下を抜き取った。男は咳き込みながら肩を大きく揺らし、いつのまにか額に噴き出していた大量の汗を、ぎごちなくベッドに屈み込んでそのシーツに顔を擦り付けるようにして拭った。

「しっかしおめえ、凄すぎだわ」

ミユキは足を組んでブラブラとさせながら呆れたように男を見つめて言った。男は汗を拭き終えて再び顔を上げると、縛られた格好のままでぎごちなく照れたような笑みを浮かべた。まだ体の自由が利かず、腕が動かないためティッシュが取れないので、男の手のひらと性器は精液に塗れていた。それでも、その性器は時間の経過とともに徐々に萎えていき、ゆっくりと硬度を失っていった。そにつれてあまり気味の包皮が亀頭に被さっていった。

床には、男の唾液に塗れた靴下が落ちていた。それを見てミユキは、もう裸足で帰るしかないな、と思った。こんな気色の悪い靴下なんか、たとえ洗ったとしても絶対に履きたくはなかった。仕方ないので、ミユキはもう片方の靴下も脱ぐと、男の顔面めがけて投げ捨てた。

「今日の記念にこっちもやるよ」

「ありがとうございます!」

男は目を爛々と輝かせた。そんな男を冷ややかに軽蔑して、ミユキは立ち上がった。

「じゃ、約束の三万はもらっておくから」

ミユキは、縛られたままでろくに動けない男の横を通り過ぎて、脱ぎ捨てられた男の背広の上着を拾い上げると、その内ポケットから財布を抜き出した。何の変哲もない地味な革の財布だった。男は体全体を使って弾みを付けるようにピョンピョンと跳ねながらミユキに近づいてきた。しかしミユキは軽やかにベッドの上へ逃れ、財布の中から三枚の一万円札を抜くと、そのまま無造作にポケットに突っ込んだ。三万円を抜くと、男の財布には千円札が一枚残っただけだった。

「それじゃあ、わたしはこれで帰るわ、バイバイ」

ミユキは床に財布を捨て、男に手を振ってドアへ向かった。男は縛ったまま放っておいた。そのうちロープは解けるだろう、そう思いながらミユキはドアノブに手をかけて、もう一度室内を振り返った。男は床に突っ伏すように無様な格好で転がっていた。その姿はまるで瀕死の蛙みたいだった。

「じゃあねー」

縋るような目で見上げる男を部屋に残してミユキはドアを開け、廊下に出た。

ミユキはラブホテルを後にすると、そのまま薄暗い路地を歩いていった。携帯電話の時計表示を見ると、もう十二時に近かった。ここからだと家まで歩いて三十分はかかりそうだった。もっと早い時間ならバスがあるのだが、もうこの時間では運行していないかった。仕方ない、歩くか……ミユキはそう腹をくくった。

しばらく歩くと、広い公園の縁に出た。その中を斜めに突っ切っていけばかなりの近道となることはわかっていたが、深夜の公園はなんとなく不気味だった。街灯が乏しいし、人気がないので、さすがに少々躊躇われた。それでも疲れていたし、ミユキは結局公園の中へ入った。つい今しがたの異常な体験によって気分が妙に昂揚していたので、普段ならおそらく多少遠回りになろうとも公園の縁を回って帰るだろうけれど、今夜はそれほど怖さは感じなかった。

ミユキは無人の公園内を歩きながら、もうそろそろロープは解けただろうか、と部屋を出るときにまだ床に這いつくばっていた男を思い出して考えた。ふつうの援交なんかより全然手軽に三万が稼げた。舐めてもいないし、舐められてもいないし、足くらいしか触られていないし、もちろん入れられてもおらず、三足千円の靴下を一足失っただけだ。つまり、三百円足らずの靴下が三万で転売できたようなもので、ラッキー以外の何物でもなかった。でも、もしもまた今度いつかあの男が誘ってきたら、今度は足くらい舐めさせてやり、ついでにパンツもつけて五万くらい吹っかけてやろう、とミユキは思った。あの男なら、きっと乗ってきそうだった。ただ、あまり金持ちそうには見えなかったので、どのくらいの額まで払えるのか、その点だけが気がかりだった。

砂利敷きの遊歩道が蛇行しながら続いている。鬱蒼と茂る木立が不気味だった。ベンチが道の脇にぽつんぽつんと置かれていたが、もちろんこんな時間だから誰もいない。消えかけの街灯がチカチカと瞬いていた。

さすがに心細くなってきて、ミユキは歩を早めた。前方に、蛍光灯が煌々と灯る公衆トイレの建物が見えた。べつに尿意は感じていなかったが、その明かりが見えたとき、少しホッとした。あのトイレを過ぎると、出口はもう近い。

トイレの明かりが足元まで届いたとき、その入り口に誰か男がいることに気づいた。ゲッ、もしかして変質者? とミユキは警戒した。こんな深夜に、こんな暗い公園のトイレに普通の人がいる理由はない。その人物は一見、予備校生か冴えない大学生のようだった。ジーンズにスニーカー、ナイキのトレーナーの上に平凡なブルゾンを着て、ショルダーバッグを肩に提げている。メタルフレームの眼鏡をかけた、いかにもモテそうにない男で、何をしている風でもなかった。男はただそこに立っていた。

ミユキは男と目を合わせないように伏し目がちに歩いていった。そしてトイレの前に差し掛かり、男に最も近づいたとき、ちらりと横目で見ると、なんと男のズボンのジッパーが開いていて、そこから固く勃起した性器が突き出ていた。

おいおいまたかよ……。ミユキは呆れて開いた口が塞がらなかった。一日に二度も露出狂と遭遇するなんて、ツイているのか、いないのか、わからなかった。ただ、滅多にあることではないだろう、そう思った。

男は遠慮がちにミユキを見てペニスを握り、ゆっくりとその手を動かしていた。そして目が合うと、にたりとした笑みを浮かべて「ねえお姉さん、見てよ、このチンポ」と言った。キラリと眼鏡のレンズに光が撥ねた。その瞬間、ミユキの中で何かがプツンと切れた。

「てめえ、そんなショボいモン見せて喜んでんじゃねえよ」

ミユキは無性に腹が立ち、つかつかと男に歩み寄ると、そのままぐいっと胸倉を掴んだ。この男もミユキより背が低かった。さきほどの男と変わらないくらいだった。男は性器から手を離し、胸倉を掴まれたまま緊張し、両手を体の横にぴたりとつけて直立した。こいつもマゾだろうか、とミユキは男を冷ややかな目で見下しながら思った。普通の露出狂だったら、こうやって詰め寄られたら股間も萎縮してしまうかと思われるのに、男の性器は全然萎える気配がなかった。それどころか、ミユキが強く睨むと、その硬度はさらに増したようだった。ペニスはギンギンに勃起して完全に反り返っている。間違いない……こいつもマゾだ、ミユキは男のトレーナーの胸元を掴んで捩り上げながらそう思った。

男は爪先立ちになって直立し、ますます勃起を固くしている。そのペニスを見たら、ミユキは猛烈に腹が立った。どうしてそんなに立腹するのか理由は不明だったが、一日に二本も好きではない男のペニスを見せつけられて、とにかくムカついたのだった。そんなミユキの怒りの炎に火を注ぐように、男が言った。

「あのう、すみません、良かったらパンティを売っていただけませんか? で、そのパンティの匂いを嗅ぎながらオナニーをココでするんで、それを見て馬鹿にしていただけませんか? お願いします」

「ふざけんじゃねえよ、この変態野郎!」

いきなりミユキは男の股間を膝で蹴った。しかし胸倉は掴んだままだった。そのため男は「うぐっ」と呻いて不自然な格好で体を折った。

「すみません……」

反撃は予想外だったらしく、男はくぐもった声で謝ったが、ミユキは許さず、力一杯男を突き飛ばした。男は簡単に男子トイレの床に転がった。ミユキはそのまま男の後を追ってトイレに入り、さらに蹴った。

「許してください」

男は涙声で言った。汚いタイルの床に手をつき、土下座をしながら、男は必死に詫びた。ショルダーバッグが、突き飛ばされた拍子に男の体から離れて個室の中にあり、そのストラップ便器に落ちていた。ミユキは蹲っている男の腹を抉るように蹴った。

「おまえみたいな変態を見ているとムカつくんだよ」

そう吐き捨て、ミユキは男の髪を掴むと、そのまま引っ張り上げて無理矢理立たせ、拳を握って男の頬を殴りつけた。男は吹っ飛び、したたかに背中を壁に打ちつけた。が、急に反撃してきた。男は「うぉー」と叫び声を上げて、まるで苛められっ子が泣きながら逆キレしたみたいにガムシャラに突進してきた。しかしミユキはいとも簡単にそれを避け、足を払って床に倒し、その背中や後頭部を何度も踏み、男が体を丸めると、さらにその腹や股間を蹴り上げ、まるで吸い殻を踏み消すみたいに男の頬をスニーカーの爪先で圧した。男と女という絶対的な性別の差はあったものの、体格があまりに違いすぎるので、男はミユキに全く歯が立たなかった。

「変態が一丁前に向かってくるんじゃねえよ」

男の顔といわず腹といわず股間といわず、ミユキは思いっきり全体重をかけて踏んだ。男は表情を苦痛に歪ませながら「うぐっ」と呻き、ひたすら防御のために体を丸めていた。いつのまにか眼鏡が吹き飛んで床に転がっていて、レンズは割れていなかったが、華奢なフレームは無惨にひん曲がり、完全に変形してしまっていた。

「調子に乗るんじゃねえぞ、この糞ガキ」

どう考えてもミユキのほうが年下でガキだったが、そんなことは関係なかった。ミユキは男を踏むついでに、床に落ちている眼鏡も踏んだ。レンズが割れて破片が飛散する。

「すいません……許してください」

男は涙を流しながら頭を下げ、許しを請い続けた。しかし哀しいかな、マゾ性の炎は燃え盛っているらしく、剥き出しの性器はガチガチだった。しかも、床に膝をついて這いつくばりながらも、右手だけはペニスを握り、しきりにシゴいている。

「シコってんじゃねーよ。おまえ、頭おかしいだろ」

「すいません、すいません、すいません」

男はそう言いながらも手を止めず、ミユキは何度も男の頬を張り、盛んに蹴ったが、男は一向にめげず、やがてそのまま射精した。粘り気のある白濁液がペニスの先端から大量に噴出して、溢れた液が男のその手にも付着した。

「何出してんだよ、バカヤロー。マジでキモいな」

そう言ってミユキは男の顎にスニーカーの爪先を引っ掛けると、そのまま勢いよく蹴り上げた。男はもんどり打って後方へ倒れ、ごろんと一回転して壁に激突し、蹲った。そのとき、顔面を固い壁で強打したらしく、次に顔を上げたとき、男の鼻からは血が滴っていた。

男はもう完全に戦意を喪失していた。精液に塗れたままのペニスも徐々に萎え始めている。ミユキは男のトレーナーの襟首を掴んで立たせると、引きずるようにトイレから連れ出した。そして、そのままトイレを離れ、公園内を歩いていく。男は不審感を表情に滲ませながらも、素直に従った。

確か公園の出口に交番があったはずで、ミユキは男を突き出すつもりだったが、あえて男には何も告げなかった。男はもう抵抗せず、ただひたすら「すみません、すみません、すみません」と小声で謝り続け、「ど、ど、どこへ行くんですか……?」と訊いたが、ミユキは無視し、短く言った。

「おまえみたいな変態はな、おまえ自身のためにも一度捕まったほうがいいんだよ」

「そ、そ、それだけはどうかご勘弁ください」

男は幼児が駄々を捏ねるみたいに腰を落として歩行に抵抗し、必死の形相で懇願した。ミユキはそんな男を憐れむように睥睨した。

「警察に捕まるのが嫌なら、最初からすんなよ、馬鹿」

「は、はい……すいません……本当に申し訳ございませんでした。もう絶対にしません……」

「わかればいいんだよ」

ミユキがそう言うと、一瞬男の顔に、どうやら許してもらえそうだ、という安堵の色が広がった。しかしミユキにそんなつもりは全くなく、次の瞬間、すかさず男を再び絶望の底へ突き落とした。

「でも、警察には突き出してやるからな、覚悟しな。世の中、おまえが考えているほど甘くはねえんだよ」

そして襟首を掴んだ手に力を込めて更に強く引っ張って歩き出すと、男はもう完全に消沈し、肩をがっくりと落としてトボトボと素直についてきた。もう観念したらしかった。ミユキは、そんな男を冷たく睨み、顎をしゃくった。

「そんな汚いモン、いつまでも出してんじゃねえよ」

流石にもうペニスは萎えていた。しかし精液に塗れままではあった。それでも男はミユキに言われてそのまま慌てて性器をジーンズの中に収めると、ジッパーを引き上げた。そしてジーンズの腿の辺りで手のひらを拭った。

「すみません……あ、あのう」

「なんだよ?」

「鞄と眼鏡をトイレに置いてきてしまったんですけど……」

「はあ? んなもん、後で取りにいけよ」

「はい……」

男は力なく頷いた。じきに、交番の明かりが見えてきた。すると途端に男の歩調が鈍くなったが、構わずミユキは進み、入り口の扉に手をかけた。

アルミサッシのガラス戸を滑らせて交番の中に入ったが、そこには誰の姿もなく、電話だけがぽつんと置かれたスチールデスクがあるだけだった。しかし蛍光灯は煌々と灯っていて、壁には防犯や指名手配犯のポスターなどが貼られていた。ミユキは男が逃げないように捕まえたまま、奥に向かって「すいませーん」と声をかけた。すると、初老の警察官が帽子を被りながら現れた。

「どうされました?」

「この男、露出狂なんです」

「露出狂?」

警察官は目を見開き、ミユキと男に椅子を勧め、自分もスティールのデスクについて事情聴取を開始した。ミユキは事の始終を詳細に説明した。男はその隣で完全に沈黙し、ずっと俯いたままだった。

「わたし、怖くてたまらなかったんです」

ミユキはか弱き被害者を演じて目にうっすらと涙まで滲ませながら訴えた。警察官は何度も頷きながら調書にペンを走らせ、あらかた事情を把握すると、大きく溜め息を吐いて男を見詰めた。そしてその男の身元を確認し、自宅の電話番号を聞くと、机上の電話の受話器を取り上げ、まず男の自宅に連絡し、家の者に事情を説明した。そしてその後、管轄の本署に移送の手配をした。その電話は長いものとなった。ミユキは「煙草を吸いたいな」と思ったが、まさか交番で吸うわけにもいかず、ぐっと我慢した。

電話が終わると、警察官は「逃げるなよ」と男に念を押してからミユキを部屋の奥に呼んで住所や氏名を聞き、それを調書に記入した。わざわざ奥へ呼んだのは、男に被害者の個人情報を与えないための措置のようだった。やがてそれが終わると、警察官は椅子に戻り、背凭れに背中を預けて男を見据えた。ミユキも再び男の隣に座った。警察官がボールペンでトントンと机を叩きながら、諭すように言う。

「しかし君ねえ、猥褻物陳列罪なんてしてたら駄目だろう。見たくもないものを見せられる女の人の身にもなってみなさい」

「はい……」

男はすっかり意気消沈していて、一度も顔を上げず、ただ机の表面に視線を落としていた。

「とにかく罪は罪だから、これから本署の方で取り調べがあるけれど、聞かれたことには素直に答えるように。親御さんも電話口で絶句しておられたぞ。全く」

そう言うと、警察官はミユキを見た。

「後はこちらで処理しますから、今夜のところもういいですよ。大変な目に遭いましたね。さぞ怖かったでしょう。パトカーで自宅へお送りしましょうか?」

「いえ結構です。ひとりで帰れます」

「そうですか。それではお気をつけて」

「ありがとうございます」

ミユキはぴょこんと頭を下げて椅子から立ち上がった。そして出口へ向かいながら男を見た。しかし男は背中を丸めてじっと机の上の一点を見つめたまま微動だにしなかった。その時、四十代後半くらいの女性が勢い込んで交番に入ってきた。その女性は入ってくるなり、一気にまくしたてた。

「お巡りさん、ウチの子が変質者みたいな真似をしただなんて嘘でしょう。何かの間違いじゃないですか? 絶対に何かの間違いに決まってますわ、ウチの子に限ってそんな事……」

「まあまあお母さん、落ち着いてください」

警察官は男の母親を窘めている。ミユキはそんな遣り取りを背に交番を出た。そして街路を歩いていくと、途中でパトカーと擦れ違った。

全く……なんだか散々な一日だったな、とミユキは改めて思った。携帯電話を開くと、時計表示が一時三分を示していた。バイトを終えて僅か三時間の間によくもまあこれだけいろいろ起こったものだ、とつい他人事のように感心してしまった。この数時間を思い返してみると、一連の出来事はまるで幻のように実感に乏しかったが、全女性の敵である不愉快きわまりない露出狂に対して、神に代わって天誅を下せたことには満足していた。

暗い街路の先に、自動販売機の明かりが見えた。ミユキはその自販機でCCレモンの缶を買った。考えてみたら、バイトを終えてから何も飲んでいなかった。だから喉がカラカラだった。

その缶を持って歩き、やがて大通りに出ると、ミユキは歩道橋の階段に腰を下ろしCCレモンの缶を開け、飲んだ。微炭酸が渇いた喉に心地よかった。いつもなら不快に感じるだけの轟々と響き渡る車の騒音が、異常な体験の後だからか妙に快かった。そして途切れることのない車の音を聞いていると、次第に心が安らいでいくようだった。

そうしてジュースを飲み、だんだん喉の渇きが癒されていくと、ミユキは無性にカレシに会いたくなった。思いがけず見知らぬ男のペニスを二本も目の当たりにしたせいか、変な感じに気分が高まってしまっていた。もちろんあんな変態どものペニスなんて触りたくはなかったが、カレシのモノなら話は別だった。久しぶりに「セックスがしたい」とミユキは思った。そしてフェラもしたい。どちらかというとセックスに対して淡白なミユキにしては、こんな風に性欲が沸き起こってくるなんて実に珍しいことだった。

ミユキはジュースを飲み干すと、煙草を吸った。やがてどうしても我慢できなくなって、携帯電話を開き、メモリーの001に登録してあるカレシの携帯に電話をかけた。呼び出し音が鳴り始め、ミユキは煙草を吹かしながら相手が出るのを待った。すると、ずいぶん経ってから、ようやくカレシが出た。

「もしもし?」

聞こえてきたカレシの声は眠そうだった。しかしミユキはたいして気にせず、明るく言った。

「もしもし、わたしミユキ、何してた?」

ミユキは好きな人の声を聞く喜びを感じながら期待に満ちた声で言った。これからカレシの部屋へ行くか、ここまで迎えにきてもらって「ホテルに行こう」と誘ってみるつもりだった。しかし、カレシの返事は全く予想外で、つれないものだった。

「はあ? おまえいま何時だと思ってんだよ。明日は朝早くから海へ行くから、こっちはもう寝てんだよ」

つれないどころか、カレシの声は苛立っているようだった。

「ごめん。でも急に声が聞きたくなってさ」

「知るかよ、そんなこと。とにかくもう切るぞ、じゃあな」

ミユキの返事を待たず電話は一方的に切れた。何も言う間がなかった。ミユキは携帯電話を閉じ、腹立ち紛れに足元の空き缶を蹴っ飛ばした。

「ムッカつく!」

それでも、やがて怒りが鎮まってくると、ミユキは根元まで燃え尽きそうになっていた煙草を地面に落として踏み消しながら、しみじみと思った。

ほんと世の中って……なかなか思うようにいかないものだなあ……。

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