流砂の道を

 君はわからない。
 どうしてこんなものに、どうしてこんなにも、どうしてこれほどまでに心を奪われ、囚われ、搦め捕られ、弄ばれ、溺れてしまうのか、さっぱりわからない。
 拘りと呼べば格好良いが、実際には全くそんなものではない。生まれ持ったものかと問われれば、答えられない。そうかもしれないし、そうではないかもしれない。そうであるような気もするし、そうではないような気もする。
 先天性か後天性か、という問題は避けられないが、ただしこれは、覚醒に関しては少なくとも先天性ではないと思う。というのも、なんとなく途中から捻じ曲がったという自覚があるからだ。それでも、もともとそういう資質があって、それがある時期に開花した、と捉えるなら、それはそうかもしれない。
 いったい先ほどから何について君が考察しているのかというと、自らの被虐嗜好、つまりはマゾ性について、そしてそれと並行して肥大化していった極度のフェチ性についてだ。
 君は確かに変態M男だし、足や腋などの匂いのフェチだし、女の子の着用したパンティやソックスといったアイテムに異常なほどの執着をみせるし、精神的に救い難いレベルのドMだが、ボーダーラインの向こう側へ越境している感覚はない。ベースにあるのは単純に性欲なので、そもそも肉体的には全くハードマゾではない。尤も全裸で縛られて吊られて鞭を受けるくらいは普通にあるが、単なるプレイのバリエーションに過ぎない。
 もちろん、ざっくりと括れば、あらゆる性的体験に於いて基本が受け身なので、マゾ寄りの面は常にある。ファッションヘルスのような店へ行っても、つい自らを下に置いてしまう精神性のようなものは否定できない。しかしM男として、たとえば鞭を打たれるというシチュエーションは好きだが、蚯蚓腫れを体に残すレベルには程遠い。低温蝋燭を垂らされることはあっても、焼鏝で刻印を刻まれたことはないし、そんなことをされたいとも思わない。緊縛されることは嫌いではないし、亀甲縛りを施されると被虐感を煽られて昂るが、同じ拘束でもマミフィケーションまでは望まない。ペニスや乳首に針を刺されたこともないし、そもそもプレイ中に血を見たことは一度もない。従属という名のもとに財布や足として都合よく使用される個人奴隷などにも興味はない。というか『女王様』の『女王様』ではない側面にあまり興味がないので、プライバシーには立ち入りたくない、という気持ちが強い。故に、歴戦の強者レベルのハードマゾの男たちからしたら、君のSMなど子供のお遊戯だろう。
 そのことを君は全く否定しない。否定する気もない。むしろ、そうだ、と答えられる。それで悪いか、とまで開き直る気はないが、君にとってMプレイは所詮、お遊びの一環だ。プレイの間は「女王様にお仕えする」などと一端のことを述べるが、私生活でそのようなムードはない。
 とにかく君はマゾであるよりも、大前提としてエロいのだ。いや、この表現は正確ではない。常態にマゾ性を秘めてはいるが、女の子に対してエロい気持ちを捨てられないのだ。だから君は、いうまでもなく実生活では全く女の子には無縁だが、性欲だけは強く、女好きだし、ノーマルなエロ動画──エロ動画にノーマルもアブノーマルもない気はするが──などで自慰をすることはある。また十代の、一流とはいえないレベルでテレビの歌番組等とは無縁のアイドル、モデルといっても雑誌のグラビアを飾るランクではなく撮影会モデル、そんな属性の女の子たちも君の守備範囲だ。逆にいうと、君は好みの女の子なら別にボンデージや裸でなくどんなスタイルでも抜けてしまうから、君ほど簡単な男はいない。女の子の格好は、水着ですらなく、キャミソールにミニスカートでも君には充分だ。
 ただし、君の場合、どんなオナニーでも設定が歪んでいる。最初はエロく迫っても、結局は跪いてしまうのだ。それはどんな年齢の、どんな属性の女性が対象であっても、変わらない。結局のところ君はマゾでフェチなので、どうしてもそちらの方向へ振れてしまう。着衣の十代のアイドルやモデルの子でも、つい直視してしまうのは、服装にもよるがノースリーブやタンクトップなら腋だし、ミニスカートやホットパンツなら太腿だし、サンダル履きや裸足なら爪先、つまり足指だ。更にパンティやソックスに憧れつつ、跪いて自慰を晒しそれを鑑賞されながら嘲笑されるというシチュエーションをつい夢想してしまう。普通にエロい男のオカズは、やはり女性の裸、それもできれば無修正が望ましいだろうが、その点、君は着衣の女性でも、冷たい目線やノースリーブの腋や太腿などで抜けてしまうから、オカズの調達にはあまり困らない。通常の合法のAVでも、マンコにはモザイクがかけられていてもアヌスは常に無修正だから、君としてはとくに問題ない。君の場合は、対象が好みの女の子であれば、肛門だけでじゅうぶん抜けてしまう。それに今の時代、着衣で良いのであれば、SNSでいくらでも可愛い女の子のセクシーショット、何なら女王様だって本人発信の画像が入手可能だ。
 君が惹かれる女性の年齢的ストライクゾーンは十代から所謂熟女までめちゃくちゃ広いが、苦手なのは、年齢的要素ではなく、或る属性だ。それはアニメ声の女の子やメイドみたいなタイプで、そのような女の子にだけは、全く惹かれない。アニメ声やメイド姿の女の子に責められても、気分は上がらない。そういうタイプが好きなM男もいそうだが、君は駄目だ。
 こんな君だが、おそらく君のことを変態のドMだと知っている人は、周囲に誰もいない。少なくとも君は誰にもカミングアウトしたことがないし、するつもりもないし、その片鱗を感じ取られたこともないだろう、という自負がある。絶対の秘密として頑なに隠しているつもりはないが、率先して明かすつもりもない。君は人との軽い雑談の中で「おれは変態だし」とか「ドMだからね」みたいに茶化して言うことはあるが、その程度の冗談は今どきなら誰でも口にするものなので、それを真に受けている人はいないと思われる。
 そもそも君が変態M男であることをこの世界で知っているのは、代金を支払うプレイ相手の女性とクラブの男性スタッフくらいのものだろう。レンタルビデオの時代でも、アダルトビデオを借りたことはあっても、マゾ系のビデオは借りたことがない。どうしても恥ずかしいのだ。しかしエロ本の流通が盛んだった頃は、女王様雑誌を購入するためには、仕方ないので書店へは行った。それでも自宅から離れた、なるべく小さな個人経営のような店を使った。とはいえどんな店でもレジでの対面は避けられないので、マニア系の雑誌を買えば、店番をしているおじさんやおばさんには(この客はこういう趣味か)とバレていたであろうが、それはさすがに無視した。というか逆に、可愛い女の子の店員がいる店でわざとマニアックな雑誌を買う、というパターンはアリなので、時々そう店番の女の子がいる店へは行き、昏い愉楽に耽った。女の子の店員が君の差し出すマニア誌を受け取って淡々とレジを通しながら(何、この変態の客、キモー)とか思われているかと想像すると、マゾの君にとってはなかなか刺激的だった。しかしもうエロ本を買うことなど全くないし、ビデオを借りることもない。
 これまでに君は「女王様」という肩書きのプロの女性たちとずいぶんプレイしてきているが、プライベートでの経験は一度もないし、SMプレイという限定的な空間と時間の中でしか自らのマゾ性を他者に開陳したことはない。SMバーのようなところへも行ったことがないので、酒を飲みながら、或いは何かを食べながら、同好の同性と交流を持ったり、カウンターの中の女性や客としてバーを訪れる女性たちとM的な雑談に興じたこともない。
 そんな君だが、では世間にカミングアウトしているM男が羨ましいかというと、とくにそうでもない。心のどこかで、楽になれてるかもしれないな、と想像はするものの、だからといって自分がそうするかと問われたら、やはりできないし、する気はないし、しない。君の場合、目立ちたがり屋ではないが、引っ込み思案でもないので、タガが外れると怖い、という自覚がある。
 だいたいが、たとえばLGBTQのように「サドマゾにも市民権を」みたいなことは全く思わないし、思ったこともないし、むしろ「露見したら恥ずかしい秘め事」の立ち位置に留まっていて欲しい、と考えている。あくまでも陽の当たらない裏街道だからこそ惹かれるし、居心地が良いのだ。「バレたら恥ずかし過ぎて死にたくなる」くらいの背徳感に裏打ちされた爛れたスリルに君はヒリヒリする。
 故に君は、いつからか自分の深部に居着いて棲息している『マゾ』という怪物をなんとか宥めすかして飼い慣らしているような今の状態が、できる限り長く続いて欲しい、とだけ願っている。

 君が大切にしている宝物のひとつに、一枚の布がある。それは女性の着用済みパンティだ。そのパンティは、二年ほど前に、合法的に入手した。使用済みのパンティなど合法的に入手できるのか? という疑問を一般的な人なら抱くかもしれないが、その入手と所持に違法性は全くない。。
 そのパンティは、SMクラブのオプションとして入手した。事前に女王様を予約し、オプションとして三日連続着用のパンティを付けた。無論、本当に三日間履き続けられたものかどうか実際のところはわからないし、信じるしかないのだが、受領した際の状態は逸品だったし、それは君にとって唯一無二の宝物だ。さすがにもう匂いはないが、沁みはくっきりと残っているから、充分にオカズとして現役で、君はそのパンティで何回、いや何十回、オナニーしたかわからない。もしかしたら総回数は三桁に到達しているかもしれない。もしも何か不慮のアクシデントによって失くしてしまったら悔やんでも悔やみきれないので、念の為にいろいろな角度から写真に撮って、その画像ファイルをスマートフォンやタブレットやパソコンやクラウドドライブに保存している。
 当時、その女王様は二十代前半で、とても美しかった。しかし、プレイをしたのはその一回きりで、パンティを手に入れて一ヶ月もしないうちに引退してしまったので、もう二度と会うことができなくなってしまった。単なる退店なら、別の店で、別の源氏名で活動再開することがありえるから、それに気づけまた会うことができるが、引退ではどうしようもない。
 SMクラブの女王様は、というか女王様に限らず風俗の女の子は、基本的に「次があるかどうかわからない」存在だ。前もって数ヶ月くらい前から予告して引退をする女王様もたまにいるが希少だし、ある日突然退店し、稼業から足を洗ってしまって、もう二度と会えないというパターンの方が圧倒的に多い。せめて少し前に公表してくれていれば引退前に予約を入れたのに、と地団駄を踏んだことも一度や二度ではない。何回もある。このパンティの持ち主の女王様もそうだ。何の前触れもなく唐突に引退し、同時にホームページからも直ちに抹消され、ブログとSNSも閉鎖された。
 君にとってそれはまさに青天の霹靂だった。また入ろうかと思いながら、或る日、たまたまクラブのページにアクセスしたらプロフィールが抹消されていて、アーカイブさえも削除されていて、どういうことだ? と戸惑いながら次々に関連するブログやSNSを辿ったが、どれも綺麗に閉鎖されていた。彼女はクラブのウェブサイトでも顔出ししていたし、ブログやSNSでも同様だったが、気づいた時には全部消滅してしまっていた。跡形もなく、何の痕跡も残さず、女王様は消えた。もちろんそれは稼業をやめただけであって、源氏名を捨ててどこかで生きてはいるのだろうが、それを知る術など、一介の客に過ぎない君にはない。それに、風俗で辞めた女の子の行方を追うほど無粋なことはないから、M客の立場でできることなど何もない。店の人や仲の良い同僚の女王様がいればそういう人らに消息を訊ねることは可能だろうが、そんな危険なことを試みる客など誰も相手にしない。もうネット上に画像なども残っていないので、こんなことになるなら片っ端からダウンロードしておくべきだった、と思うが、後の祭りだ。
 しかしそれらも含めて、すべては縁なのだ。もしかしたら表向きは『引退』ということにして女王様は辞め、ヘルスやソープといった他の湯商売、或いはバーやクラブなどの水商売、といった風俗界隈の別業種に転向しているかもしれないが、源氏名を変え、顔出しも止めてしまったら、実質的にもう見つけることは難しい。いや、仮にヘルス等に転身し、その店でたとえ顔出ししていても、プロフィール写真なんていくらでも加工して別人になれるし、名前も全く変わってしまっていたら気付きようがない。或いは遠く離れた街で、全く違う源氏名で、性風俗ではなくキャバ嬢をやっていたら、到底わかりようがないだろう。つまり『引退』して退店した時点で縁は切れている。
 ただ、その女王様の突然の消滅に関して、矛盾しているように取られるかもしれないが、確かにショックではあったものの、そういう距離感はそんなに嫌いではない、と君は感じてもいる。というか、わりと好きかもしれない。
 その一回きりの女王様のことを君はよく覚えているが、おそらく、というかまず間違いなく向こうは君のことなど覚えていない。君はその女性のパンティを宝物のように大切に所持し続けているが、向こうは自分のパンツが一回きりの客の手元で今も大切に保管されしかもオカズとして現役などとは考えてもいないだろう。いや、パンツを客に売ったという記憶くらいはあるかもしれないが、いちいち相手を覚えていることはないだろうし、渡したパンツのその後のことなど全く興味はないに違いない。だいたいが、互いに本名すら知らない間柄なのだ。そんな関係には情緒も何もないが、風俗のコンパニオンと客なんて、それくらいでちょうどいい。
 たぶん今、道で偶然すれ違っても、お互いにわからないだろう。

 しかし思い返してみても、自分がいつからマゾなのか、君には確定できない。少なくとも、現実にSMクラブでM男としてプレイをしたのは二十代の半ばくらいだが、精神的にいつからマゾだったのかがわからない。もう今となっては、初めてSMクラブを訪れた時、どういう動機でそのドアを潜ったのか、思い出せない。情報だけはマニア誌のグラビア等で仕入れていたが、実際に体験しよう思ったのは、何かきっかけがあったのかもしれないが、たまたまそういうタイミングだったくらいの感じだったような気もする。日記をつける習慣でもあれば過去に遡って正確な日時を確定することが可能かもしれないが、君にそういう習慣は昔も今もない。ただ、なんとなくだが、或る平日の夜、予約もせずに飛び込みで行った記憶がある。そうとう昔のことなので、もう想像するしかないが、おそらく「女の人に虐められたい」とか「おみ足を舐めたい」とか「聖水を飲みたい」とか、そういう昏い欲望が君の内部で警戒水位を超えるくらいまで高まってしまい、このままだと精神のダムが決壊してしまいかねないという危機感に衝き動かされて、意を決し、勇気を振り絞って出かけたのだ思う。プレイ自体は、相手の女王様に「全くの初めて」であることは正直に申告したので、どういうことをしたのか全然記憶にないが、かなりの初心者コースだったと思われる。とにかく初めてのSMプレイだったし、ボンデージファッションの女王様の実物を見るのも初めてだったし、何をして良くて何をしてはいけないのか、その境界線すらよくわかっていなかったし、ずっとテンパっていて、ずっと緊張していた。ただ、明確にいえるのは、その時が君にとって、人生で初めて女の人のおしっこを飲んだ日で、人生で初めて人前でオナニーをして射精した日だった、ということだ。おしっこを飲んだ時は「堕ちるところまで堕ちたな」という充足感があったし、オナニーなんてそれこそ中学生の頃から狂ったようにしている君だったが、女性の前で、というか誰かの前でしたのはその時が生まれて初めてで、凄まじい快感に貫かれたことだけは、今でもはっきり覚えている。
 そんな風にマゾヒストとしての道を歩み始めた君だが、たとえば人間のオスとして最初に盛りがつきだす中学生や高校生の頃にマゾだったかどうかというと、そんなことはない。ただ、素地として変態的、フェチ的な指向は既にあった気はする。というのも誰も周りにいない放課後の学校の昇降口で可愛い女の子の下駄箱を開けて上履きの匂いを嗅いだことがあるからだ。つまり、キスすら未経験の段階で、匂いフェチの兆候というか萌芽はあった。それでも所謂マゾではなかったと思う。その上履きの匂いを嗅いだ女の子に苛められたいとは思っていなかったし、縛られたり鞭で打たれたり蝋燭を垂らされたり、そういうオーセンティックなSMの世界は完全に自分から遠く離れた異世界の出来事という認識だった。
 君が女の子にモテないことは昔も今も変わらないが、初めての風俗はファッションヘルス、所謂箱ヘルで、何歳の頃かこちらも記憶は定かではないが、おそらく二十歳になってすぐの頃だった。適当な勉強の傍らのアルバイトで貯めたなけなしのお金を握りしめて、行った。その時は、もう兎にも角にも、女の子とキスをしてみたかったし、おっぱいを揉みたかったし、乳首を吸いたかったし、マンコや肛門を舐めたくてたまらず、この時点で純粋培養されたM男ではないことが明らかだと思われるが、限界が近かった。かといってそんなことができる相手は学校にもバイト先にもいなかったから、どうしてもそういうことをしたければ風俗へ行くしかなかった。だから、行った。因みに君の人生に於けるファーストキスもその時だ。というかファーストも何も、たとえキスであろうと、女の子との性的な接触には常に代金が発生するというそのスタンスは過去から現在まで全く変わっていないが。
 そんな君の初めての挿入はソープで、これはSMクラブデビューより後だった。つまり君は二十代も後半に差し掛かり、SMクラブでのプレイの回数を重ね、M男としてそれなりにいろいろな経験をして、それなりの覚醒を果たした後も、やはりセックスをしたくてソープへ行った。
 このように、君は基本的にブレブレなのだ。ホップ・ステップ・ジャンプではないが、君の風俗遍歴は、ヘルス、SMクラブ、ソープの順番で、異端だ。普通はいくらM男でも風俗へ行くなら、ヘルス、ソープ、SMクラブの順番だろう。或いは、ヘルスもソープもすっ飛ばして、女性経験はSMクラブだけというフルコンタクトマゾヒストも世の中にはいるかもしれないが、いずれにしてもヘルスとソープの間にSMクラブを挟む男はまあまあの珍種ではないかと思う。しかし事実の逆算はできないし、改竄にも意味がないから仕方ない。
 それはともかく要するに、SMクラブでM男として実際にプレイしていた当時、ソープへ行くまで君は正真正銘の童貞だったわけだ。女の子のマンコにチンポを挿入したことはなかったが、自分の尻の穴に女王様の股間で聳り立つペニバンの擬似ペニスを咥え込んだ男、貫くより先に貫かれた男、それが君なのだ。童貞より先にアナルバージンを捨てた男なんて、なかなかいないだろう。たいていはとりあえず童貞は捨ててから、よりマニアックな深い世界へと足を踏み入れていくものではないだろうか。しかし君の場合は違った。SMの世界に片足を突っ込んでみた後、一度その足を引っ込めて、童貞を捨てた。とはいえ「童貞を捨てた」なんて言うと格好良く聞こえるが、所詮は素人童貞だ。セックスどころか未だかつてキスすら代金を支払わずにしたことはない。
 尤も、本格的でトラディショナルなM男となると、おそらく女性とのセックス願望なんて皆無だろうから、君の場合はやはり、M男である前にスケベなフェチ男なのだ、と君自身考えている。マゾがフェチ指向を強めたわけでなく、もともと強かったフェチ的指向をマゾ性が補強して確固たるものにした、という感じなのだ。しかもそのようなどっちつかずの状態は、今も根本的に変わらない。M男であることに軸足を置いてはいるが、肉欲に溺れたい願望も捨てきれていない。いずれにしても代金が発生する話だが、女の子を抱きたい、抱かれたい、という気持ちの灯は消えないし、消せない。といいながら「抱きたい」という能動的な願望はほぼ持ち合わせていない。実際、今でも君は時々イメージクラブで赤ちゃんプレイに没頭することがある。さすがにオムツはつけないが、いい歳して全裸で赤ちゃんになって自分よりも遥かに若いお母さん役の女の子の膝に抱かれ、ひたすらおっぱいを吸いながらチンポを扱いてもらう、というプレイは大好物だ。その際に、咀嚼したゼリーやプリンやバナナなどを口移しで食べさせてもらったり、いったん口に含んだ水やお茶やジュースを飲ませてもらったり、ひたすらディープに舌と唾液を絡ませ合ってキスしたり、そういう行為にも心のときめきが隠せない。「それがM男のすることか!」と非難されるかもしれないが、好きなものは好きなのだから仕方ない。「女性とのキスを望むなんてM男の風上にも置けん!」と糾弾されればその通りだろうと君も思うが、年がら年中フルスロットルでM男としては生きられないから仕方ない。そのレベルに到達することは、君には無理な話だ。
 そういう意味で、君はM男としてスタンダードではないかもしれない。しかし、こういうタイプなのだから仕方ない。そもそも重要なのは、客観的事実より主観的真実だろう。

 君はたぶん、シンプルに変態なのだ。その『変態』の中に『マゾ』や『フェチ』など多数の嗜好が含まれている。企業の形態に喩えれば、君は『変態ホールディングス』のCEOであり、グループ企業である『マゾ』や『フェチ』といった傘下の子会社の社長も兼任している状態で、親会社である持ち株会社『変態』の創業者兼CEOといえるだろう。もちろん別に『変態コンツェルン』の総帥でも構わない。もしかしたら『ホールディングス』より『コンツェルン』の方が、感覚的には寧ろ近いかもしれない。形態としては、主力である『マゾ』や『フェチ』といった各子会社がそれぞれ事業を展開していて、たとえば『フェチ』という子会社の下には更に『足』や『臭い』などの孫会社があり、それらを持ち株会社である『変態』が統括している構図だが、全く民主的ではなく、すべての活動や意思決定は君の独断によりトップダウンで行われるから、戦前の独裁的な財閥みたいなものであり、君は君という『変態コンツェルン』のトップといって差し支えない。
 ただし、残念ながら全く格好の良いものではないし、権力や影響力とも無縁だし、社会的には無力だ。変態ではあるが、とくに罪は犯していないので、世間の邪魔にはなっていないかもしれないが、必要不可欠な存在ではない。いないなら、いないままで済んでしまう、それが君という存在だ。

 何はともあれ、君は女の子のパンティとソックスに対する執着が凄まじい。もう少しマイルドな言い方ができないか、と考えるが、やはりそれらに対する気持ちは『執着』としか表現できない。
 その『執着』を下支えしているのは、君の中にある『匂いフェチ』という属性だ。いや、正確に表記するなら『臭いフェチ』であり『匂いフェチ』とは少し趣が違う。
 この『匂い』と『臭い』の差、というか違いは大きい。確かに君には『匂い』フェチの部分もあることはある。たとえば女の子の香水のいい匂い、髪のいい匂い、ボティソープか香水か何かによる体のいい匂い、そういう『匂い』を好む傾向は間違いなく、ある。しかしそれ以上に、可愛い女の子の蒸れた足や腋や股間の『臭い』や汚れた下着や靴下の『臭い』に対する憧憬は相当深い。汗の『臭い』も素敵だと思う。夏場の汗で触れて湿ったTシャツなんて、どんな効果な香水よりも素敵な香りを放っていると思う。ギャルっぽい女子高生が暑い日に首にタオルなんか巻いているのを見かけると、しっかりと汗を吸い込んだそのタオルがたまらなく欲しい、と胸を掻き毟るように思ってしまう。
 可愛い女の子や美しい女性の腋の汗染みなんて、君からしたら垂涎の的だ。ほとんどの女性は制汗剤や脇汗パッドなどで自衛するが、そんなことしなくていいのに、と君はいつも強く思っている。夏場の暑い日に、紺色や灰色やベージュ色の服を着ている女性を見かければ、腋が汗で染みていないか、さりげなく、しかし入念に、執拗に、チェックしてしまう。べつに腋でなくてもいい。胸元でも背中でも構わない。とにかく汗の染みというものに、君は尋常ではない偏愛と執念があり、昂りを覚える。それは単なる興奮というより、性的衝動だと思う。
 ただしベースがM男なので、襲いたくなるわけではない。できることならその汗染みの部分に吸い付いて恍惚感に浸りながら自慰をしたいという欲求が強い。決してその際の願望は、そういう汗をかいた女性と「セックスをしたい」ではない。まあセックスをしてもいいが、できれば自慰のほうがいい。綺麗な女性が腋の部分に汗染みなんか作っていたら、君はその部分に鼻先を突っ込んで匂いを嗅いだり、いっそその部分の布に口をつけて吸引したい、という欲望が爆発し、その体勢のままオナニーしたくなる。汗染みなんかでオナニーをしている、という自虐的な感覚がたまらないのだ。そして、そんなはしたない姿を女性に嘲笑われて馬鹿にされたい、と強く希求する。そう考えると、やはり君という人間の底流にはマゾという暗い情念の澱があると思う。
 身も蓋もない表現をするなら、『臭い』足やソックスやパンティが好きなのだ。無臭で綺麗なそれらなどには全く惹かれない。紛らわしいが『臭い(くさい)』『臭い(におい)』が良いのだ。『臭い(くさい)』『匂い(におい)』は、ちょっと感覚が違う。ただし君の中で女の子の『臭い(におい)』は、直ちに『匂い(におい)』に自動的に置換される。ソックスもパンティも汚れていてこそ崇高な逸品となる。
 もちろんその設定にはファースト・プライオリティというか絶対条件がある。それは、汚れたソックスやパンティは必ず、一切の例外もなく、『可愛い』或いは『美しい』女性によって穿かれ、熟成されていなければならない、という点だ。ここは絶対に譲れない。むしろそのラインこそが君の絶対国防圏の防衛ラインであり、理性と恥性(これは君の造語だが)の鬩ぎ合いの最前線であり、何があろうと死守せねばならない生命線だ。ブスの汚れた靴下や下着などゴミだ。いや、ゴミ以下だ。産廃施設に埋められるべき有害物質だ。そんなものにラインを突破されたら、君というマゾフェチ帝国は呆気なく崩壊する。故にM男として、フェチ志向の強い変態として、その拘りだけは放棄できない。女の子の使用済みソックスやパンティでさえあれば誰の何でもいい、となったら、それはもう君という帝国の終焉を意味する。つまり、しばしばニュースなどで報道される下着泥棒などはたいていが理解不能だ。更衣室などに侵入して誰のものかもわからないまま手当たり次第に持ってくるとか、どういう女性のものか知らないまま洗濯済みで干されているものを盗んでくるとか、君にはその行動心理が理解できない。そういう不埒な輩と君とは属するカテゴリが違う。汚れたソックスやパンティは、どういうものであるかより、誰によって着用されたか、が重要だ。どこの誰かもわからないものなんて論外だし、ブスが履いた一万円のショーツより、可愛い女の子がコテンパン履き古したボロボロの数百円の未洗濯のパンツのほうが資産価値は高い。高いというより、前者のモノなど無価値だ。素材によっては雑巾としても使えない。そんなものにも心を動かされるようになれば、それは君の敗北だ。洗濯されてしまったソックスやパンティにどんな価値があるのか君にはわからない。母ちゃんや姉ちゃんや妹のものと何ら変わらない。
 誤解を恐れずに言うなら、可愛い女の子の汚れた素敵なパンティやソックスは、君にとってシャガールの『青い花瓶』やフェルメールの『真珠の耳飾りの少女』やピカソの『泣く女』などより価値がある。

 君をマゾとして凛然と昇華させる重要なファクターは、三つある。それらは何をおいてもまず必要不可欠なものであり、逆にいうとこの三つがなければ君はM男として不完全なままだ。
 その三つとは『侮蔑』『罵倒』『嘲笑』だ。この三つが独立峰のように聳えて明確な存在感を示して君の上位に君臨する時、君は一匹のマゾとして呆気なく墜落する。どれかひとつでも欠けてはいけない。いや、欠けてもいいかもしれないが、君のマゾ性の確立も不完全なものとなってしまう可能性がある。もちろん、どれか欠けても、それを補って余りある別のファクターが存在するなら、それならそれで問題は全くない。物事というのは単縦ではないのだ。真実はいつでもコンプリケーションの中にある。いや、むしろコンプリケーションの中にしか真実なんて存在しない。コミュニケーションのブレイクダウン、コンプリケーションのシェイクダウン、その先に何かがある。
 君は異性を対象にした性的マゾヒストなので、とうぜんそのベースには『女性崇拝』がある。綺麗な女性に平伏し自分の変態で無様な姿を晒して笑われたい、という不変の動機があり、具体的な状況として、椅子に足を組んで座る女王様の前で床に全裸で跪き、首輪を装着し、リードで繋がれる瞬間、君は極限まで昂る。その際のリードの素材は問わない。革でも合皮でもビニールでも布でも金属製の鎖でも、何でもいい。繋がれることに意味があるのだ。
 そして、ちょっとややこしい表現になるが、『支配されたいと思う』女性に『支配されたい』という願望が強くある。たいていのM男がそうだろうが、君も所謂『被支配欲』が強い。女性を崇拝し支配される──これはM男としてスタンダードなスタンスだろう。
 ただ、対象が女性なら誰でもいいというわけではない。「M男のくせに相手の女性を選り好みするなんて生意気だ」という批判は当然あるだろうが、いくら女性を崇拝する気持ちの強いM男でも、跪きたくない相手に跪くことは難しい。所詮、君はエゴマゾだ。それは全く否定しない。むしろ積極的に肯定せざるを得ない。
 おそらく、仮に女性が十人いるとして、そのうちで君が崇拝したいと思うのは、たぶん一人か二人程度だろう。また「かわいい」とか「綺麗」とか「素敵」とか思っても、マゾヒストとして跪きたいタイプではない、というパターンもある。たとえば君には好きな女優や女性タレントが何人かいるが、その殆どに対してマゾ的な願望は抱かない。なぜだかわからないが、そういう存在の異性と、マゾとして従属したくなる相手は、別なのだ。もちろん、マゾ的に虐められたくなるグラビアアイドルなどはいる。しかし好きな女優やタレントと、そういう気持ちを抱くグラビアアイドルでは、対象に抱く感覚が同一ではない。大抵の場合において君の中でカテゴリが違う。
 そもそも君は、日常生活に於いて、身近にM的妄想を抱く相手がいない。こんな変態の君でも一応は社会の端っこの方に細々と属していて、恋人や君に想いを寄せているような奇特な異性はいないが、それなりに女性はいる。しかし身近にいる女性たちの中に「跪きたい」と思う相手はいない。むしろ親しく雑談をするような距離感になってしまうと、逆にそういう気持ちを抱きにくくなる。要するに、照れ臭くなるのだ。
 世間でよく言われることに「社会的地位の高い人間にマゾが多い」というものがある。君は全くそういうタイプではないが、そうかもしれない、とはなんとなく思う。資質として根底にマゾがあっても、なかなか表出はさせにくいものだ。日常的に、周りから持ち上げられていたり、チヤホヤされていたり、頼られていたり、強いリーダーシップを示さなければならなかったりしていれば、プレッシャーも相当だろうし、尚更だろう、と想像する。しかし、そういう属性だからマゾになるというわけではないと思う。ただ単に、そういう属性の人たちがクラブの女王様などにマゾであることを開示すると、目立つだけではないか、と君は勝手に考えている。
 それはともかく、君がマゾとして惹かれる女性はどういうタイプか、を考えた時、自分の基準など極めてちゃらんぽらんだと思い知らされる。こういうタイプの女性に跪きたくなる、という明確な基準が君には全くないのだ。逆に、こういうタイプは苦手だ、というものは、わりとはっきりとある。前述したアニメ声の女性やメイド喫茶の女の子系以外に、たとえばマゾ的には本末転倒かもしれないが、高飛車というか偉そうというか、そういうタイプの女性に、君は全く崇拝願望を抱かない。根本的に、女王様とか関係なく、男も女も関係なく、気取ってる(と感じてしまう、を含む)タイプの人間が大の苦手なので、セレブ感みたいなものをひけらかされるとどう反応したら良いのかわからず困ってしまうし、知的さを計算高くさりげなく漂わせる女性も、得意ではない。アートや文芸に造詣が深い、みたいなタイプの女性に対しては、崇めるより先に気後れしてしまう。そのようなタイプの女性と、普通の生活の上で付き合うなら問題は何もない。しかしマゾとしてそういう女性に跪きたいという気持ちにはなりにくいのだ。いや、正確さをきすなら、もちろん女王様に『知性』はあっていいし、無いよりあったほうがいいに決まっているだろうし、そんなもの必要ないと言っているわけではない。ただ『知性』は必ずしも君のマゾ心を煽るファクターではないだけだ。むしろSMプレイには『知性』よりも『痴性』を君は求めてしまう。
 そんな君のマゾ性を最も強力に煽動するのは、何はともあれ『美貌』に尽きる。そしてマゾ豚をまるでゴキブリのように見下ろす『冷酷』、これも重要なファクターで、更にできれば自分よりも『大柄』だと嬉しい。要するに君はマゾとして、圧倒的な存在に身も心も屈服させられ、服従したいのだ。つまり君というM男はフィジカルな要因を重視するタイプのマゾであり、そのためメンタルの領域にある『知性』は優先順位が下になりがちで、故にそれを好むか好まないかは善悪や優劣の問題ではなく、単なる個人的嗜好に過ぎない。つまるところ、君はインテリジェンスに対応することが得意ではないのだ。
 この感覚は何なのだろう、と君は嘗て考えたことがある。そして思い至ったのは、マゾとしての変態プレイに『知性』の主張はとくに必要ないのだろう、という結論じみた答えだった。つまり『知性』の有無はともかく、その主張は不要だと思うのだ。そういうものは殊更主張しなくても勝手に自然に伝わるし、隠そうとしても隠しきれず滲み出てしまう。断るまでもないことだが、これは君自身の感覚であり、他のM男については知らないし、関係ない。正直なところ正解かどうかも自信はない。全く見当はずれかもしれない。S的嗜好を持つ女性や同じマゾでもタイプの違うM男からは「こいつは変態M男の分際で何を偉そうにほざいているのだ」と不快に思われるかもしれない。しかしそれならそれで仕方ない。ただ君としては、SM的なものに『知性』とか『高尚』とかを持ち出されると、たとえばテレビのバラエティのクイズ番組で、芸人やタレントがインテリを主張して利口さを競っている姿と同じような違和を、どうしても感じてしまうのだ。芸人やタレントがインテリを気取るなとか利口ぶるなとか、そういうことを主張しているわけではない。どんなキャラであろうと好きにすればいいし、それが世間に受けているのならそれはそれでいいのだろうし、文句をつけるのは筋違いというか、ただの言いがかりだ。そうではなく、単に、君は苦手だ、というだけのことだ。同じことが君のSM観にもいえる。
 結局、どんなに格好つけてみたところでM男なんてものは、女王様に身も心も支配されることを望み、実際に身も心も委ね、おしっこを飲んだりケツを掘られたりして喜び、普通は人に見せるものではないセンズリ姿を晒して、恥ずかしげもなく精液を飛ばす、ゴミみたいな存在なのだ。そこには『知性』や『高尚』などが介在する余地などない。つまり、M男のようなゴミに『知性』などもったいない、と君は思ってしまうのだ。むしろSサイドMサイドともに、変態を自覚するプレイに必要なものがあるとしたら、それなりの『常識』とか『倫理観』とか、そういうものではないだろうか、と君は思う。双方がどちらも兼ね備えていればそれに越したことはないが、それはなかなか難しいだろうし、仮にどちらかしかないとしても、擦り合わせて高めていくことができれば、そこに救済がある。
 こういうことを述べると、「だったら、美人ならバカでもいいのか?」と問われるかもしれない。しかし、君は、それは違うのだ、と思う。この場合の『バカ』が何を基準としているのかで解答は変わってくる。つまりその『バカ』かどうかを、学校の成績が良いか悪いか、テストの点数が高いか低いか、外国語が堪能かそうではないか、などで判断し、単にテストの点数が低くて成績が良くなくて外国語を使えない人を『バカ』と設定するなら、君は「バカでも構わない」と答える。しかしテストの点数や成績や語学力ではなく、頭の回転が速いか遅いか、地頭が良いか悪いかで『バカ』かどうかを判断し、頭の回転の遅くて地頭が悪い人を『バカ』だというなら、「バカは嫌だ」と答える。しかし君の経験からの体感として、頭の回転が遅くて地頭が悪いタイプの『バカ』でM男の相手ができるS女性はまずいないと感じている。というか、頭の回転が遅くて地頭が悪いタイプの『バカ』は、SMどうこう以前にコミュニケーション能力が著しく低いだろうから、そもそも人間関係を築く対象になりにくい。学校の勉強がいくらできても頭の悪いバカなんて珍しくないし、逆に、学校の勉強はイマイチでも頭の良い人はいくらでもいる。もちろん学校の勉強ができて頭の回転も速くめちゃくちゃ利口な人というのも掃いて捨てるほどいるだろうし、学校の勉強もできないし頭の回転も遅いし地頭も悪いという人も決して少なくないはずだ。つまり『バカ』かどうかなんて、一概に断じられることではないのだから、持ち出さない方がいい。『バカ』は『知的』の対義語ではない。
 そもそもM男が女王様の前でしていることなんて、世間的にみたらどんな言い訳も通用しないくらい『バカ』だ。しかしその『バカ』はバカボンのパパに通じるものであり、「これでいいのだ」で済んでしまう。

 君は今、繁華街の外れにある、週末の深夜のラブホテルの一室で、全裸になってフローリングの床に跪いている。首には自前の首輪をつけ、目の前にはベッドに座って脚を組み、煙草を吸っている派手で可愛い女の子がいて、リードを持っている。
 その名前すら知らない女の子は、ざっくりとした黒いビッグパーカに辛子色のミニスカート、そして厚底の黒いスニーカーを脱いだ足元は白いルーズソックスという格好だ。ルーズソックスといっても90年代のように100cmを超えるスーパールーズではなく、あくまでも今風のすっきりとした50cm丈くらいのものだ。
 ルーズソックスの爪先が、君の目の前で挑発的に揺れている。その爪先、その足裏は、蠱惑的な黒ずみを湛えながら、しっかりと履き込まれたヴィンテージの風格を醸し出しつつ擦れ気味だ。
「もう三日履いてるから、いい匂いが漂ってんじゃね?」
 女の子が足をぶらぶらさせながら笑って言い、煙草を吸い、煙を君に吹きかける。
「は、はい……」
 君は頷く。確かに温かい芳香がずっと鼻腔を擽っている。もう勃起は全く収まる気配がない。
「お願いします、どうかおみ足の香りを嗅がせてください!」
 君は若干前のめりになりつつ哀願する。
「おみ足とかウケる、しかもなんて切ない目してんだよ、いい歳ブッこいて、笑えるわ」
 女の子は傍らに置いたガラス製の灰皿に灰を落とし、君の鼻先までルーズの爪先を最接近させる。厚手の布地が、鼻に触れるか触れないかの位置で静止する。ちょっと顔を前に出せばその部分に鼻を埋めることができるが、勝手にそんなことはできない。
「お、お願いします……」
 君は両膝に軽く拳を握った両手を置き、女の子を見上げる。
「そんなに匂いたいのか? 変態」
「はい」
「じゃあ、嗅げ」
 いきなり女の子がリードをぐいっと引き、爪先を強く君の鼻に押し当てた。爪先の裏で豚鼻のように持ち上げて圧する。ちょうど指の付け根の柔らかい部分が君の鼻を塞ぎ、土踏まずから踵にかけて君の口元にあてがわれる。壮絶な芳香が鼻腔を突き抜け、君はその女の子の足を両手で持って支えながら、自ら強く押し当て、我を忘れて猛然と吸引する。
「ああ、素晴らしい香りです」
 君は半眼となり、陶然となりながら薫香を吸い込む。そんな君の姿態を眺めて、女の子がケラケラと笑う。
「くっそウケる、香りって何だよ、くせ〜だろ」
「いいえ、素敵でございます」
 君は女の子の足の爪先に鼻を埋めながら、足裏を顔全体で味わいつつ、こたえる。女の子のルーズソックスの感触は夢のようだった。黒ずんだ布地の触感、そして放たれる香り、全てが素晴らしい。君は蜘蛛の巣に絡め取られた羽虫のようにその魔力に囚われていく。
「ていうかおまえ、変態すぎね? 羞恥心とかねえの?」
 君は足の臭いを貪りながらこたえる。
「一応は持ち合わせているつもりでございますが……」
「嘘つけ、足の臭い嗅ぎながらチンポおっ勃ててる奴に、そんなもんねーだろ」
 女の子が的確な指摘をし、君は反論できないまま「すみません」と呟き、ひたすら足の臭いを嗅ぎ続ける。可愛い女の子の足の臭い、これこそが君のフェチの原点だ。
「おまえさあ、もしかして靴下単体でもシコれるの?」
「えっと、すみません、どういう意味でしょうか?」
 君は足裏に鼻を当てがったまま、女の子を見る。
「だから、今あたしが穿いてるこの靴下を脱いで、おまえに与えたら、その靴下でオナれるのかってこと」
「もちろんです!」
 君は胸を張ってこたえる。そんなことわざわざ確認することではない。君からしてみたら、できるに決まっていることだ。
「じゃあ、ちょっとやってみ」
 女の子は君から足を奪還すると、するりとルーズソックスを脱いで、それを手に持ったまま、君の目の前でぶらぶらと揺らした。
「匂いたいか?」
「はい!」
 君は揺れるルーズソックスの爪先部分に鼻を近づけながら頷く。女の子がそんな君に爆笑しながら靴下を放った。
「ほれ」
「ありがとうございます!」
 君は両手でルーズソックスをキャッチして謝意を伝えた後、おもむろに少し黒ずんでいる爪先部分に強く鼻を押し当てた。そしてまるでおしぼりで顔でも拭くかのように、ソックスの足裏全体で自分の顔を覆って圧する。
「キメえ」
 リードを持ったまま手を叩いて女の子が笑う。
「ああ、素晴らしい香りと感触でございます」
 与えられたルーズソックスの質感にうっとりしながら君は言い、女の子に訊く。
「中の匂いも嗅がせていただいてよろしいでしょうか?」
「勝手にしろよ」
「ありがとうございます!」
 君は靴下の履き口を、ゴムが伸びない程度に広げて、そこに鼻を突っ込んだ。そして左手だけでその状態を維持したまま持ち、内部の芳香を吸引しながら、右手でペニスを扱く。
「おまえ、ヤベえって」
 君の仕草に大受けしながら女の子が何度も手を叩く。君は女の子にリードを持たれたまま哄笑を浴びながら半眼でルーズソックスに陶酔し、その夢見心地の快さの中、烈しくペニスを擦り上げる。本心を言えば、ルーズソックスが脱がれた生足に直に鼻を押し当てて臭いを嗅ぎ、足指を一本一本丁寧に舐めてしゃぶり尽くし、心ゆくまで堪能したいが、そういう契約にはなっていないから仕方ない。君は布越しに臭いを嗅ぐことしか許されていない。
「ていうか壮絶すぎ、なんでクッサい靴下なんかでシコれるんだよ、おかしいだろ」
 女の子が開いた口が塞がらないといった目で君を見つめ、何の情緒も湛えない口調で、あっけらかんと訊く。
「そういえばパンツの臭いも嗅ぎたいんだったっけ?」
「はい!」
 君はルーズソックスの臭いを嗅ぎ続けたまま目を輝かせて大きく頷く。
「パンツ、見たい?」
「見たいです!」
「どうしよっかなあ」
 焦らす女の子に、君は哀願する。
「お願いします!」
「じゃあ、こっちも嗅ぐか?」
 そう言って女の子は、いきなり大きく股を開いた。ミニスカートなので、呆気なくパンティが君の目前に誇示される。白いコットンの地に模様は細かな淡いピンクのストライプだ。女の子のパンティの現出に、君の歓喜が爆発する。
「一昨日から履きっぱなし」
 言われてパンティを凝視してみるとクロッチが黄ばんで見えた。女の子はスカートの裾をパタパタ扇ぐ。そのそよ風に乗って濃厚な匂いが漂う。
「ああ素敵でございます」
「ほんとかよ」
 女の子が苦笑する。
「はい」
 君は大きく鼻腔を開いて空気中に漂う馨香を吸いながら懇願する。
「お願いします、直に嗅がせていただきたいです……」
 君はルーズソックスを手放して床に手をつき、顔を股間に近づけつつ、女の子を仰ぎ見る。
「いいけど、舐めたりすんなよ、ドサクサに紛れて舌をパンツの縁から中に入れたりとかも絶対するな」
「はい!」
「じゃあ嗅げ」
 女の子が笑ってリードを引き、命じる。
「失礼致します!」
 君はリードの引きによって若干つんのめるようにして大きく開かれた女の子の股間、コットンのパンティに顔を埋めた。生々しく熟したマンコの蘭麝に包まれ、君はスーハースーハーと大胆にまるでパワフルな掃除機のようにその部分の薫香を吸引する。女の子の股間は芳醇で温かい。黄ばんだクロッチからは僅かにおしっこの匂いもする。
「おまえ、すげーな」唖然となりながら女の子は笑い、煙草を灰皿に消す。「ていうか犬かよ、くっそウケる」
 君は頭部をスカートの裾に包まれるような体勢でパンティの股間、マンコのあたりに強く鼻を押し当てて匂いを嗅ぎ続ける。その君の頭を女の子が両手で掴み、自らの股間に押し込む。
「ぜんぜん洗ってないマンコ、そんなにいい匂いか?」
「ふぁい」
 君は布地に埋もれ、クンクンフンフンとまさに犬のように鼻を鳴らして、こたえる。女の子の股間部は、この世界で最も尊い楽園だ。パンティの縁から陰毛がはみ出ていて、それが君の頬にチクチク触れる。たまらなく舐めたい。パンティのすぐ向こう側にある、マンコ、陰毛の茂み、そして肛門、全てを舐めまくりたいが、君はぐっと堪える。股間部分も足同様、マンコも陰毛も肛門も直に舐めることは許されていない。君はパンティの上から臭いを嗅ぐことしか認められていない。唯一の救済は、最後にこのルーズソックスとパンティは下賜されることだ。もちろんそれなりの対価は必要だったが、その契約は成立している。
「このままオナニーさせていただいてもよろしいでしょうか」
 布地に顔を埋めたまま、くぐもった声で君は女の子に訊ねる。
「その子供みたいな皮被りの包茎チンポ、一丁前に扱きたいのか?」
「はい、シコシコしているところを見ていただきたいです」
「くっそ変態だな、もう死ねよ」女の子は唾棄し、新しい煙草に火をつけると、君の髪を掴んで引っ張り上げる。「でも、おまえさあ」
「はい?」
 君は無理やり股間から引き剥がされて、戸惑いながら女の子にマゾ丸出しの気弱な視線を向ける。
「人に何か頼むときは相手の目を見てお願いしろよ、そんなこと、大人として常識じゃねえのか? 何パンツに顔埋めてマンコの臭い嗅ぎながら調子ブッこいてんだよ」
「申し訳ございません」
 君は髪を掴まれ引っ張り上げられた状態のまま、下唇を噛み締めながら、オドオドした目を女の子に向けて謝罪する。そんな君の頬に、女の子は咥え煙草のままビンタを張った。強烈なビンタで、君の視界には星が弾けた。
「別にまあ許してやるけど」女の子は灰皿に煙草の灰を落とす。「どうせならシコってる変態丸出しの顔とか見たいから、やるなら足の臭い嗅ぎながらやれよ」
「はい!」
 女の子がまだルーズソックスを穿いている方の足を君に与える。君はその足を左手で持ち、爪先部分に鼻を当てがい、大胆に臭いを嗅ぎながら、貧相だが猛々しく暴力的に勃起しているペニスを握り、扱き始める。自然と腰が浮き上がり、若干前のめりになる。
「うっわ」
 女の子は絶句した後、眉間に皺を寄せてあからさまに君を侮辱の言葉で嬲りながら煙草を吹かす。
「マジでくっさい足の臭い嗅ぎながらシコってる」
「す、すみません……」
「ていうかオナニーなんて人前でするもんじゃねーだろ、ふつう」
「は、はい……すみません……」
「何謝ってんの?」
「い、いえ……」
「会話になってねーだろ、クソ変態」
 女の子はそう言うと、煙草を灰皿に置き、強引に君から足を取り上げて床に下ろし、股を広げて前屈みになると、再び君の髪を掴んだ。そして「なんかうぜーわ」と言いながら、ビンタを張る。君はいったん手を止め、歯を食いしばって衝撃に耐えながら必死に謝る。
「申し訳ございません!」
「うっせー、さっさとシコれ、おまえなんかには足の臭いすら贅沢だわ、パンツ見ながら、ビンタでシコっとけ」
 女の子はそう吐き捨てながら、君の頬に往復ビンタを浴びせる。
「はい!」
 君は両方の頬を張り飛ばされながら、オナニーを再開する。膝で立ち、卑猥な包茎ペニスを突き出しながら、スカートの奥のパンティを食い入るように見つめ、夢中になって扱き続ける。
「ビンタされてるのにチンポびんびんとか」
 女の子は笑いながら、ビンタを張る。
「おまえ、頭おかしいだろ」
 ビンタの合間に、ペッと君の顔に唾を吐く。そうして何度か唾を吐き捨てた後、途中からは咥え煙草で淡々と頬を張り飛ばす。
「マッパで首輪つけてリード持たれて唾塗れになってパンツ見て人前でセンズリなんて、ほんとによくやるわ、おまえ何歳だよ? 変態すぎる、生きてる価値ねーよ」
 女の子が冷めた侮蔑の目で君を見下ろし、罵倒し、嘲笑する。君はそんな視線に晒されて、搦め捕られて、恥ずかしさに全身から汗を噴き出させながら、猛然と扱く。何を言われても怯むことなく、むしろそれを爆発的な推進力に変換し、力強く敢然とひたすら健気にオナニーに耽る君を、女の子はあからさまに小馬鹿にする。
「おまえ、どんだけオナニーが好きなんだよ、キモすぎる」
 そしてまた一段と烈しいビンタを叩き込む。君はたまらず絶叫する。
「ありがとうございます!」
 やがて射精の衝動が君の深部から迫り上がってきて、君は手の動きをスピードアップさせていく。そんな憐れで穢らわしくて悍ましい君の姿態にはもう、男としての、大人としての、人間としての理性や威厳みたいなものは、どこにもない。その欠片も、残像もない。君はただの一匹のマゾだ。それ以上でもそれ以下でもない。
「めっちゃ盛ってて、ウケる」
 女の子が手を叩いて大笑いする。
 君はリードに繋がれたまま腰を浮かし、唾に塗れた顔にビンタを受け、キラキラと煌めきながら降り注ぐ女の子の無遠慮な嗤笑の中、破廉恥に息を荒げ、パンティを見つめて必死にペニスを扱き続ける──。

 君の足許は安定しない。どれだけ慎重に歩を運んでも、君の足許が安定することはない。気を抜ける瞬間はまずない。葛藤は続き、逃げ場がない。
 君がゆく道は、決してきちんと整備された、歩きやすい小径ではない。油断したら、容易く足が埋まり、沈み、身動きがとれなくなって、引き摺り込まれてしまう、常に危険を孕む隘路だ。歩き続ける限り、魂の安寧は訪れない。
 しかし今更、他に道はない。もっと進みやすい道もあったはずだが、いつかの岐路で今という未来を選択したのは君自身だ。誰のせいでもない。もう、踏み出してしまっている。
 だから君はゆく。死ぬまで続く流砂の道を。

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