雷鳴

九月の声を聞くと空は若干高くなるが、実際にはまだまだ残暑が厳しく、しかも大型の台風が近づきつつある今夜などはむしむしと蒸して、真夏以上の不快さを覚える。
台風本体はまだ沖縄あたりの海上をウロウロしているが、その余波のような雨雲の前線が列島へ伸び、本州のほとんどを被い始めている。
降り続ける雨と高い湿度のせいで、まるで亜熱帯にいるような気がしてくる夜だ。

今日は午後からずっと雨模様だが、夜の九時近いこの時間になって、五分ほど前から急に雨脚が強くなった。
妙にひんやりとした風が吹きはじめ、遠くでゴロゴロと雷も鳴っている。
それにしても、あっという間に凄まじい雨になった。
所謂ゲリラ豪雨というものだろう。
ずっと蒸し暑くて不快だったが、風が吹くとそのときだけ涼しさを感じる。

君は既に全身ぐしょ濡れだった。
傘は差しているが、これだけ雨脚が強く、風が吹いていると、雨はあらゆる方向から吹きつけてくるから、傘なんてほとんど役に立たない。
君は今、交叉点で立ち止まり、横断歩道の信号が赤から青に変わるのを待っている。
但し、車道からはかなり離れて立っている。
歩道の縁近くにいると、通り過ぎていく車が跳ね上げる路面の水を被ってしまうからだ。

君の近くに、もう一組、信号を待っている人たちがいる。
それは夜目にも派手な雰囲気だとわかる若い女子の二人組だった。
彼女たちもかなり車道からは離れ、大きく枝葉を広げる街路樹の下に退避して、少しでも雨に濡れないように立っている。
君は彼女たちの背後で離れて立ちながら、それとなくふたりを眺めている。
女の子のひとりが体を折り、パンプスの足許を気にしている。
中に水か砂でも入ってしまったのか、踵の低いパンプスを履き直しているようだ。
女の子は片足でバランスを取りながら立つような格好になり、いったんパンプスから足を引き抜いた。
その際、爪先と踵の部分だけを浅く被うパンプス用のカバーソックスが足と一緒に出てきて、次の瞬間、その靴下がするりと脱げてぽとりと地面に落下した。
街路樹の下とはいえ地面は既に濡れている。
女の子はバツの悪そうな笑い声を上げ、隣に立つ女の子と顔を合わせた。
「最悪~、脱げた」
「どうするの?」
「もう要らない、ここに捨ててく」
「ははは」
そんな遣り取りが聞こえた後、靴下を落とした女の子はそのまま脱げたソックスは放っておいてパンプスを履いた。
君は地面に捨てられたカバーソックスを、傘の下から物欲しげにじっと見つめた。
グレーの小さな布だ。
変態M男で足の臭いフェチの君にとって、その靴下は宝物のように瞳に映っている。
勿体ない、君はそう思って地団駄を踏む。
なんとかして手に入れられないだろうか。
信号が青に変わった。
女の子たちは靴下をそのままに歩きだした。
街路樹の下から出て、横断歩道を渡っていく。
君はその後ろ姿を見送りながら、拾おう、と決意した。
どこの誰のものだかわからないような靴下ならスルーするが、持ち主がわかっている。
充分に可愛い、ギャルっぽい女子だ。
しかし、どうやって手に入れるかが問題だった。
何気なく対象物に接近し、さりげなく、そしてもちろん素早く、怪しまれず、誰にも見られないうちに回収しなければならない。
いずれにしても、行動に出るなら、早くしなければならない。
街路樹の下でも地面は濡れているし、激しい雨は勢いを弱めることなく降り続けているから、一秒でも早く拾い上げないとせっかく脱ぎ立てほやほやのフレッシュな靴下が完全に濡れてしまうし、そうなれば、もしかしたらムレムレでいい匂いが染み付いているかもしれないのに、すべて消滅してしまう。
君は女の子たちが全く靴下を気にしないまま横断歩道を渡っていく後ろ姿を見つめながら、周囲に視線を走らせた。
幸い歩道には誰もいない。
信号待ちしている車もない。
君は、今こそ行動のときだ、と思った。
気持を固め、ゆっくりと交叉点に向かって歩きだす。
そして街路樹の下に入り、靴下の傍らに立つと、靴を履き直す振りを装うように地面にしゃがみ込んだ。
広げたままの傘を置いて一応は周囲の視線を遮りながら、靴の紐を結び直し、さりげなくさっと地面の靴下に手を伸ばした。
手に触れたそのグレーの小さな布は当然既に全体的に濡れてしまって湿ってはいたが、まだ許容範囲だった。
君は心の裡で歓喜の叫びを上げた。
本当はその場で鼻に押し当てて匂いを嗅ぎたかったが、どうにかその欲求を必死に抑えつつ、そっと布を拾い上げると、手の中にしまい込むようにぎゅっと握りしめた。
後は立ち上がり、何もなかったように歩きだせばいいだけだった。
目当てのお宝はもう手の中にある。
頃合いを見て上着かズボンのポケットに押し込めばいい。
君は靴下を握りしめたまま立ち上がった。
傘を持ち、改めて交叉点のほうへ視線を上げた。
と、その時、横断歩道の途中で女の子のひとりが唐突に何気なく振り向き、君と目が合ってしまった。
君は慌てて視線を外し、傘を前方に傾けて顔を隠した。
どうして女の子のひとりが急に振り向いたのか、理由がわからなかった。
振り向いたのは、靴下を落としたほうの女の子ではなかった。
君は心臓が口から飛び出すくらい吃驚し、俄に緊張しながら、このまま彼女たちについて信号を渡るのは止めよう、と思った。
だから横断歩道の手前でするりと進路を直角に変えた。
無論、女の子たちのほうの視界は傘で遮ったままだ。
君は内心ドキドキしながら、まだ靴下は握りしめたまま、とにかく平静を装って歩いていく。
本当は手の中の靴下をさっさとポケットに入れてしまいたかったが、この状況では、少しでも不審な行動は避けたほうが無難だろうと思った。
もっと遠ざかってから、さりけなくしまったほうがいい。
君は交叉点から離れ、後方がたまらなく気になったが振り返ることはせず、黙々と歩を進めた。
走り出したいくらいだったが、敢えてふつうの歩行を維持した。

雨が激しい。
傘にあたる雨音が凄まじい。
その破裂音のような雨音の中に、不意に女の子の声が響いた。
「ちょっと待って」
君は心臓を鷲掴みにされたような気分に突き落とされたが、聞こえなかった振りをして止まらなかった。
実際その声はほとんど雨音に掻き消されていて、囁き程度にしか聞こえなかったから、空耳だと思い込もうとした。
しかしすぐに今度ははっきりと強い語気の声が背後から突き刺さった。
「ちょっと待てっつってんだろ」
君はそそくさと靴下をポケットの中に押し込み、呼び止められる理由など何も思い当たらない、という風を必死に取り繕いながら漸く立ち止まり、ゆっくりと振り返った。
「何か?」
君は喉がカラカラに渇ききっているのを自覚しながら、静かに訊いた。
「何か? だと?」
靴下を落としたほうではない女の子が言った。
「おまえ、いまポケットの中に何入れた?」
「べ、べつに何も……」
君は素っ恍けてこたえた。
その君の回答を、女の子たちはせせら笑った。
「しらばっくれてんじゃねえよ、全部見てたんだよ、何も入れてないんだな? だったら今からポケットの中を調べさせてもらうぞ、で、何か出てきたら速攻で警察を呼ぶけど、いいな? 何も入れていないんだな? つうか、何も拾っていないんだな?」
ふたりは強い眼差しで君を睨みつけている。
君はその迫力に気圧されながら、オドオドしながら口籠った。
「え、えっと……」
「ナメてんのか、あ?」
靴下を落とした女の子が一歩前へと踏み出して君との距離を詰めた。
「素直に出せよ」
「は、はい……すいません」
君はもう逃げ場がないと観念し、ズボンのポケットから拾った靴下を掴み出すと、それをふたりの前に差し出した。
「それ、あたしが落とした靴下だろ?」
「はい……どうもすいませんでした」
「盗んだのか?」
「い、いいえ、落ちていたので……えっと……ゴミ箱にでも捨てようかと……はい」
「街の美化か?」
「は、はい、そのつもりでしたが……誤解されてしまったようで、すみません」
そんな君のこたえに、ふたりは爆笑し、女の子は更に言った。
「おめえなあ、そんな言い訳が通用すると思ってんのか? 嘘つけ、この変態糞オヤジ、てめえみたいな奴は顔見りゃわかるんだよ、どうせあたしの靴下でシコシコしようとか思って拾ったんだろ?」
「す、すみません……」
君は項垂れ、小声で謝罪の言葉を述べた。
つい呆気なく認めてしまった。
もっと惚けることはできたかもしれないが、どのみち最後まで惚け通すことは無理そうに思えた。
だから少しでも早く認めて謝り、許してもらったほうがいいと判断した。
何せ、非は全面的に君のほうにある。
脱がれたばかりの靴下を、それも見ず知らずの女の子が落としていった靴下を拾ったのだから、どんな言い訳もできないのだ。
変態扱いされても仕方ない。
否、実際に正真正銘の変態行為なのだから、どう考えても分が悪い。
「キモいな、おい」
ふたりの女の子は君に詰め寄った。
雷鳴が轟いて、空が白く光った。
「すみません……」
君は俯いた。
ふたりの目を見ることは怖くてできない。
靴下を落としたほうではない女の子が、君に言う。
「なあ、人に謝るときは相手の目を見て言うもんじゃないのか?」
「あ、すみません」
君は恐る恐る顔を上げ、ふたりを見てから、頭を深々と下げた。
「申し訳ございませんでした、これはお返し致します、どうかお許し下さい」
君がソックスを差し出して言うと、その持ち主は冷たい口調でこたえた。
「んなもん、今更要らねえよ、変態が触った靴下なんて気持悪い」
「でしたら」
君は思い切って提案した。
「お金を払いますから、買わせてください、それでどうか許してください」
もうひとりの女の子が爆笑した。
「こんなもん買うのか?」
「はい、売ってください、ぜひ買わせてください」
君はこれ以上彼女たちの機嫌を損ねないよう精一杯下手に出て謙虚になりながら言った。
「ちなみに、いくら出す?」
靴下の持ち主が訊いた。
「えっと相場がわからないもので……おいくらで買われたものでございましょうか? その倍は払わせていただきます」
「んじゃ、三万」
「え!? 三万!?」
いくら何でもとんでもない金額だった。
ありえない。
どう見てもこの靴下は安物で、せいぜい数百円だろう。
というかおそらく三足くらいセットになっていて千円以下のものだろう。
そういう考えが咄嗟に顔に出てしまったのか、女の子は君を問いつめた。
「なんか不服そうだな、あ?」
「い、いいえ、そんなことはないのですが、三万はちょっと……いえ高過ぎるとかではなくて、今は持ち合わせが……」
しどろもどろになりながら君が言うと、女の子は苛立ちをはっきりと滲ませながら吐き捨てた。
「ああなんかマジでうぜえ、こいつ」
そして顔の前で手を振り、言う。
「もういいもういい、ちょっとついてこい、な?」
「は、はい……」

君は両側を女の子に挟まれ、歩きだした。
結局、靴下はまだ君の手の中だった。
蒸し暑さと緊張で全身の毛穴から汗が噴き出している。
百メートルほど進むと川があり、女の子たちは君を河川敷へと連行していった。
土手の階段を下りていき、橋の下に入る。
漸く雨が遮られた。
女の子たちは傘を広げたまま地面に置いた。
そして君の傘を取り上げ、適当に放った。

雷が激しく鳴り、雨音や橋の上を通り過ぎる車の騒音が轟く。
こんな場所では、多少大声を出してもたちまち掻き消されてしまい、どこにも誰にも届かないだろう。
「とりあえず土下座しろ」
靴下の持ち主である女の子が君を蹴って命じた。
「はい」
君は素直に土下座した。地面は濡れていて、しかもごつごつとしていて痛かったが、躊躇する余裕はなかった。
「拾ったもん、出せ」
「はい」
君は靴下を差し出した。
女の子はそれを受け取り、君の顔に押し付けた。
湿って蒸れた匂いが鼻を刺した。
もうひとりの女の子はすぐそばで腕組みをして君を見下ろしている。
「こんなもん、何するつもりだったんだよ?」
「えっと……」
「さっさと言え」
「はい、オナニーです、すみません!」
君は両手を軽く握って膝に置きながら言った。
「知らない女が落とした靴下でオナニーかよ?」
「はい、申し訳ございません」
「だったら、見ててやるから、今からここでやれ」
「許してください」
君は涙目になって言った。
いくら変態の君でも、淫らで個人的な妄想の中ならともかく、リアルでそんなことはできない。
そういう理性の最後の箍が君を押しとどめる。
「やれっつったら、やれよ」
腕組みしていた女の子が勢いよく君を横から蹴り、前へ回ると、髪を掴んでビンタを張った。
「言うことを聞かないなら、ある事ない事でっちあげて警察呼ぶぞ?」
この状況で警察は拙い。
君は観念すると、意を決して言った。
「わかりました」
「じゃあ、上は着ててもいいけど下は全部脱いで、チンコ丸出しで跪いたままシコシコしろ」
「はい」
君はもう抵抗する気力すらないままいったん立ち上がって命じられた通りズボンとパンツを下ろして脱いだ。
既に性器はギンギンに勃起していたが、亀頭の半分ほどは皮に被われている。
「包茎だよ、ホーケイ、くっせー」
女の子たちは手を叩いてゲラゲラと笑った。
そして靴下を改めて君の顔に押し付け、命じる。
「おら嗅げ、ちゃんと自分で持って嗅ぎながら、やれ」
「はい」
差し出された靴下を受け取って君はその匂いを嗅ぎながら猛然としごき始めた。
「きめえ、マジでやってる」
「いい匂いか?」
女の子に訊かれ、君はうっとりとなりながらこたえる。
「はい、素敵な香りです」
「素敵だとよ、超うける、つか、おまえ今幸せか?」
茶化しながら女の子が訊く、
君は靴下の感触と香りに陶然となりながら、恍惚の表情でこたえる。
「はい、幸せです、素晴らしいです」
「くっさい靴下が最高とか、笑える」
「つうか最低だわ、こいつ」
女の子は悪のりし、ふたりとも靴と靴下を脱いだ。
靴下を落とした女の子の足の指には金色のラメのペディキュアが塗られていた。
もうひとりの爪の色は白だ。
それらの色彩は、宵の口の路地でそっと咲く可憐な夕顔の花びらのように、闇に映える。
「舐めろ、おら」
君の返事を待たずにふたりは素足の先を君の顔に押し付け、指をぐいぐいと口の中にねじ込んだ。
君は壮絶な芳香に翻弄されながら無我夢中で足の指を頬張り、しゃぶりつくす。
そうしながら、もちろん手は止めない。
むしろいっそう激しく動かしながら、ペニスをしごき上げていく。
「足、おいしいか?」
「おいふぃれす」
おいしいです、と必死にこたえながら、君は瞬く間にイった。
汗だくになりながら、濃厚な精液を噴出させた。
「うわっ、出た」
女の子たちが気色悪そうに後方へ飛び退く。

強い風に乗って雨が橋の下に盛大に吹き込み、君の全身を濡らした。
白い閃光が空に奔る。
大音響で雷鳴が轟く。
その音と光に女の子たちは空を見上げ、言った。
「なんか、すごい天気になってきた、これ以上こいつといると変態が移りそうでキモいし、もういこっか」
「そだね」
女の子たちは果てて脱力している君を無視して靴だけ履くと、それぞれ自分の傘を拾い、橋の下から出ていった。
そして土手の階段を上っていく途中で振り返り、ひとりが君に言った。
「そこにあるうちらの靴下はおめえにやるよ、うちに帰ったらまたせいぜいシコシコしろよ」
「ははは」
笑い声がだんだん遠ざかり、やがて聞こえなくなった。

唐突にいきなり君はひとりになり、強烈な気恥ずかしさに襲われた。
べつに誰かに見られているわけでもなかったが、汚れたペニスはそのままに、慌ててパンツとズボンを穿いた。
君の傘は少し離れた場所で仰向けになって転がっている。
ひとりになり、君は雨音に包まれながら思う。
今、この身に起きた事は現実だろうか──。
もちろん、現実だった。
その証に、脱ぎ捨てられた二組の靴下が目の前の地面にある。
君はそれを拾い、ポケットにしまった。
あまりに惨めて恥ずかしくてたまらない出来事だったが、足フェチの変態M男にとっては夢のような時間だった。
まるで雷光の中に浮かぶ白い幻のようだ、と君は思った。
できることならまた会って、いろいろとやられたい。
しかしたぶん無理だろう。
名前も連絡先も知らないし、二度と会えないだろう。
今夜と同じ時間、同じ場所に立ち続けていれば、いつかまた会えるかもしれない。
しかし仮に会えたとしても今夜のように相手にしてもらえると言う保証はどこにもないし、無視されるかもしれない。
おそらく、もしも会えても、無視されるのがおちだろう。
君と彼女たちとでは、存在のステージが違い過ぎるのだ。

君は立ち上がり、傘を拾った。
白い稲光が派手に空を割り、すぐ近くで雷鳴が炸裂した。

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